第二章 終話
鏡人と蘭坐の動きを封じ、ふぅと息を調えながら九羅は鎖を辿って彼らの元へ歩み出す。
「待って……僕、本当に地獄に行くの?」
その語り掛けに、九羅は何も返さない。
直前まであった蘭坐の不気味なほどの余裕は一気に消え失せ、ようやく自身が置かれた現実を理解したのか、彼はここで初めてべそをかき始めた。
慈悲を請い、助けを求め、謝罪の言葉を口に、大粒の涙と鼻水を垂らしながら、一心に彼は九羅に訴えた。
「ごめんなさい! 本当にごめんなさい! 嘘ついてごめんなさい! バカにしてごめんなさい! 死にたくない! 地獄に行きたくない! お願いします、助けて下さい! なんでもするから!」
情けなくも、必死に縋ろうとするその姿は、実に年齢相応の子どもらしい一面だった。
「貴方の業は、人の法では裁けぬもの。冥府の沙汰にてその身柄を委ねることとなり、鏡人と共に獄門を潜らねばなりません。よって……」
何処となく九羅が空を掴むと、チリン……と錫杖が彼女の手中に。そしてそれを槍のように担ぎ構えると、照魔鏡目掛けて思い切り擲った。見事鏡面に錫杖が突き刺さり、割れた鏡の破片が空間中に飛び散る。
「いやだ! 死にたくない!!――母様ぁああぁあああ!!!」
鏡面から這い伸びてくる鬼の手に、蘭坐は激しく泣き叫ぶ。悲痛とも言えるその声で、何度も、何度も、助けに来ることのない……助けてくれることはない母を呼びながら、最後の最後まで現世に留まろうともがき続けた。
「……母様は、いない」
その九羅の呟きに、泣きじゃくっていた声がぴたりと止まった。涙を頬に残したまま、蘭坐は呆然と九羅を見つめる。
「蘭坐殿の母様は――現世には、いない」
突きつけられた現実にしゃくり声を上げながら、蘭坐は脱力したように暗い天を仰ぎ、一筋の涙を流した。
――それが、彼が最後に見せた姿だった。
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「んん……」
気を取り戻して目を開けた時、隣に蘭坐がいなくなっていることに、蓮はすぐに気付いた。
「あれ?」
辺りを見渡すと、父も儀助も、他の大人達もみんな地面に伏して倒れていた。……ただ一人を除いては。
「おや。目が、覚めましたか?」
声のする方を振り向くと、朝焼けに照らされた九羅が入口に立っており、蔵の扉を開け、今にも立ち去ろうとしているところだった。
「蘭坐は?」
九羅を見るなりすぐその名を出す蓮に、思わず目を瞬く。実の父の心配よりも、たった一人の友を気にするその純粋さに、すぐにフッと笑みが溢れた。
だが、笑って伝えられる結末ではない。少し困ったように眉を下げながら、九羅は「もう……いってしまわれました」とだけ伝え後を立った。
その真意を読み取ったのかは分からない。だが蓮は、「そっか」とだけ返して、それ以上は、何も聞いてくることはなかった。
――――翌晩。
前日の出来事など何事もなかったかのように、後夜祭は無事滞りなく行われた。大人達が隠すのが上手いのか、祭りを無事に終わらせることを優先しただけなのかもしれない。
……だが蓮は、どことなくそわそわと心が落ち着かなかった。注連縄切りの緊張とは違う、どこか軽くなってしまったような、身体のあるべき部分を失ってしまったような、調和の取れないそんな感覚。
普段なら誰かいた方が気になるのに、神楽の音も、雅楽の音も、祝詞の声も、全てが遠い存在に聞こえるほどに、隣にある、空っぽなもう一つの存在が気になってしょうがなかった。
「蓮、出番だぞ」
生稚児として、そして祭りの有終の美を飾る最大の御役目に、信輔から神剣を両手に渡される。
ずっしりと乗っかってきたその感覚に、蓮はふと蘭坐のことを思い出した。
――蓮はホント、普通のことは何もできないなぁ
それは注連縄切りの練習をしていた時、上手く刀を振るえない自分に、何度も何度も蘭坐が呆れながら言った言葉……いいや、注連縄切りだけじゃない。寺子屋でも、みんなと遊んでいる時も、同じようなことを何度も言われた。
だが蓮は、それに腹を立てたことは一度もない。
「これにて、真部村晴天祈願の祭礼を納め奉る」
何もできないと分かってても、それでも蘭坐は、ずっと隣にいてくれた――それだけで、蓮は充分だったから。
「願わくは、尊き御神よ、此度の祈りを御受納あらせ給い、御心安らかに御還幸あらせ給え」
神官の厳かな締めの言葉を言い終え、会場から呼吸一つ聞こえなくなった途端――蓮は、蘭坐に何度も叱られた構えを思い出しながら、刀身を下段に構える。
呼吸を整え肩の力を抜くと、揺らぐことのない安定した重心のまま、構えた刀を上に天高く振り上げ、風を切る音と共に見事注連縄を一刀で断ち切った。
「以上、"神上げ"の儀を終了とする――」
終演に、境内中には大歓声が上がり、祭は最高の大団円を迎えた。
――――ただ一つ。片割れを失った生稚児が、静かに友を偲ぶ涙を流したこと以外は。




