第二章 第十二話
――その日は、吐いた息が白に染まるほど、底冷えする朝だった。
『あら、蘭ちゃん』
『おはようございます』
もこもこの首巻を巻いて、鼻と頬を赤く染めながら蘭坐が立ち寄ったのは、蓮の家だった。
出迎えてくれたのは、ちょうど庭の井戸から水を汲んでいる最中の蓮の母親 伽耶。
『ごめんなさいね。蓮まだ寝てるの。何か、約束でもしてた?』
『いえ。今日は伽耶さんに用事があって』
『私に?』
そう言って蘭坐は、持っていた唐草柄の風呂敷包みを伽耶に差し出した。ずっしりと重たいそれを受け取り確認してみると、中からは干し柿と数本の芋が。
『伯父さんがお裾分けって』
『え、いいの? ありがとう!』
きらきらと目を輝かせるその表情は、好きな食べ物を前にしたときの蓮と同じ顔をしていた。
『今度何かお礼するわね』
『お構いなく。それより、これから山に行くんですか?』
玄関先に置かれている山籠と収穫用の鎌を指差しながら蘭坐が聞いた。その鋭い洞察力に、思わず目を見開く伽耶の表情を見て、自身の予想が的中したことはすぐに読み取れた。
『蓮が起きるまでの間、僕も一緒について行っていいですか?』
蘭坐の申し出に、伽耶は二つ返事で「もちろん」と快諾し、急ぎ用意を整えて二人は家の裏山に入った。
雪解けのこの時期はふきのとうが採れ頃で、蓮の家の裏山には群生地があり、他の場所よりも多く収穫される。毎年近所の人達にも分けて回り、今年も多く取れそうだからと、干し柿と芋のお礼に好きなだけ持って帰りなと言ってやると、蘭坐はやった!と兎のように飛び跳ねた。
『ここから危ないから、おばちゃんと手繋ごうか』
ふきのとうが実るのは、日の当たりにくい山の斜面や、川の周りや土手などの湿っぽい場所。山の斜面に入ると、乾燥していた土は段々と柔らかくなって、水分を多く含んでいるため足場が崩れやすい。蘭坐の手を先導しながら、滑らないよう伽耶は慎重に山の斜面を下って行った。
『叔父さんとこでの生活は、もう慣れた?』
『はい、お陰様で』
『それなら良かった。蘭坐君には、本当いつも感謝してるんだ。ウチの問題児の面倒を嫌がらずにいつも見てくれて』
『そんな……むしろ蓮くんに遊んでもらっているのはこっちの方で』
『ハハハ! ホント、蘭坐君って歳の割に大人びてるよね。7歳にしてその返しは大人の人と話してるみたい。……でもね』
笑っていた伽耶の声は少し下がり、やや神妙な面持ちで伽耶はこう言葉を続けた。
『蘭坐君は本当にしっかりしてるけどまだ子ども。だからさ、辛いことは隠さずに、大人に吐き出してしまっていいんだからね』
どうしてそんな話になったのか。急に掛けられた優しさに、蘭坐の目がぱちりと瞬く。
『大好きな人が急にいなくなれば誰だって辛い。辛い時は頑張って誤魔化さなくていいの。いつも蘭坐君には助けられてばかりで頼りないかもしれないけど、蘭坐君がしんどい時は、なんでも私達を頼ってくれていいからね』
『なんでも……?』
『うん、なんでも。力になるからさ』
そう言って、太陽のように笑いかける伽耶の笑みにつられて、蘭坐の口角も自然と弧を描いた。
『じゃあ……』
――――トン……
『…………死んで?』
繋いだ手を振り解いて、躊躇いなく蘭坐は伽耶の肩を押した。
ここは斜面――背後には掴めるものなど、何もない。
態勢を崩した伽耶は受け身を取る間もなく、頭部から後ろへひっくり返って、勢いよく斜面を転がって行った。木々や岩などに身体を打ち付け、それでもなんとかして止まろうと木の蔦などに手を伸ばすがそれも虚しく、どこかの骨が思い切り砕け鳴る音を最期に、伽耶の意識は飛んだ。
――そしてその一部始終を、蘭坐は顔色一つ変えることなく、ただただ見下ろしていた。
『……母様は、死ぬつもりはなかった。だから母様は、蘇らせてもいい人なんだ』
草木の音が止んだのを見越し、蘭坐は伽耶の元へとゆっくり山を下って行った。
『蓮はホントバカだなぁ。人を殺すのは許されないことって分かってるなら――許されやすい子どもの内にできないことやらなきゃ。ね? 伽耶さん』
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遺体となった伽耶の元に、懐から出した二枚の鏡を合わせ置く蘭坐の後姿を最後に、追憶は終わった。
どんな顔で、どんな気持ちで蘭坐が呼寄を行ったかまでは分からない。
――だが、再び戻った闇の中で対峙する蘭坐は、薄ら笑みを浮かべて九羅の様子を眺めていた。そしてその隣には、依代となった伽耶が、顔に紫色の煙模様を拵えてじっと佇んでいた。
「あーあ。黙って、嘘を貫けばバレることはないはずだったのに」
悪びれる様子なく蘭坐は平然と言い放った。
だが彼のその嘆きに、九羅は嘲るように鼻で笑う。
「そうまでして、自分を愛さぬ母が恋しいか?」
途端、余裕の笑みを浮かべていた蘭坐の顔が、一気に真顔に変わる。
「真部村の生稚児 蘭坐殿。禁忌に至る貴殿の業――しかと、見届けた」
今度は蘭坐のために、改めて九羅は右腕を差し出し、照魔鏡を蘭坐の背後に顕現させる。
「己を偽ってでも母の身勝手な愛情に縋り、慰み者になることすら厭わず、貴方は愛されない現実を否定しようとした」
「違う」
「だが、それで飢えを凌げるはずもなく、最初から存在しない母親の愛を渇望し続け、自殺した母の魂を呼寄せた」
「違う! 母上は――!」
「その深き咎を以てして――」
「母上は――僕を、愛してくれていた!!」
「此度、第五陣の獄門を……招来する!」
仄かな光を宿し鏡面に梵字が浮かび上がると、九羅は羂索で二人の身柄を拘束しにかかった。
――だが、索が身体に絡まる直前で鉤が何かによって弾き飛ばされる。鏡人である伽耶の帯締によって振り落とされ、髪や注連縄、帯締や麻縄などの幾本もの紐状の物が、一斉に九羅に襲い掛かった。
滞空して華麗に避けるが攻撃はしつこく、かつ紐でしなる為、軌道が読みにくい。
「くっ!」
空中で迫り来るそれらを前に、九羅は即座に釘をばら撒き指を下に下ろした。釘は九羅の指の動きに合わせ、帯締らに突き刺さって怪異の動きを封じる。
だが、紐ばかりに気を取られてはいけない。そうこうしている内に、一気に間合を詰めてきた鏡人は着地した九羅の首を狙って手を伸ばす。
九羅はその手を咄嗟に蹴り上げて引き下がり間合を取るが、また新たな注連縄が顕現され、止めどない攻撃に表情が歪む。苦悶の表情を浮かべる彼女を見るなり、蘭坐は勝ちを確信したようにニヤリと口角を上げ卑しく嗤った。
「さようなら」
しかしその瞬間――迫る注連縄を上体を反らして九羅が躱すと、今度は逆に鏡人との間合を一気に詰めに行く……ように思われた。
「へ……?」
鏡人を通り過ぎ、九羅が狙ったのは――蘭坐。
気付いた時にはもうすでに、彼の視界は横に激しく流れていた。
先に蘭坐の身柄を羂索で括り付けると、そのまま投げ縄の要領で蘭坐ごと鏡人にぶつけた。
鏡人は呼人を死なせない。読みどおり蘭坐と衝突する直前、鏡人は彼を庇う態勢を取って、二人抱き合った状態で地に転がって行く。そこから鏡人が起き上がり、再び対峙しようとしたところで、空かさず鎖のもう一方で鏡人を絡め、釘を打ち込み二人の動きを封じた。




