第二章 第九話
「貴方が呼人、だったのですね――――蘭坐さん」
人ならざる者のみが映し出される照魔鏡に、蘭坐の姿が映り込んだ。
「なんのことですか? 僕は、蓮のように何もしてはいません。何かの間違いでは?」
「仲のいい貴方なら、禁術の手法を知る蓮さんから知識を得ることは容易、なのでは?」
「僕は蓮がすることをただ見ていただけ。蓮から呪いなど教わったことなどありません」
取り乱す様子なく、淡々と蘭坐は九羅の言うことを否定し、無実を訴える。普段であれば褒められることが多い年齢に見合わないその冷静さが、今では不気味さしか与えない。
「誰を、殺した」
「子どもの僕に人を殺せるはずがないでしょう」
「――誰を、呼び寄せた」
「僕じゃない、と何度言えば分かるんですか?」
一貫してしらを切り続ける童に、九羅の目が自然と細まる。
「こいつぁ……なんとも、面倒くさい」
「他の方々も普段の僕をご存知なら分かるはずです、僕が人を殺すような人間ではないことくらい。なぜ得体の知れぬ方の言うことに、耳を傾けられるのですか」
蘭坐の言うことに、大人達は複雑そうな表情を浮かべ、周りの様子を伺い始める。
確かに、蓮とは違い、普段どれだけ彼が優秀か知っている者達からすれば、彼の無実は無条件に信じられたことだろう。だが今それが叶わないのは、皆、背後に映し出される鏡像が気がかりとなっているからで……。
するとここでまた、儀助がそういえばと新たな情報を告げた。
「お前の母親も、一年前に首を吊って自殺していたな」
その瞬間、それまで揺らぐことのなかった蘭坐の瞳が、明らかに目の色を変えた。その揺らぎは動揺というよりも、静かな怒りを秘めた冷徹さが漂っていた。
「蘭坐殿の、母親?」
九羅が聞く。
「若くして蘭坐を産んだが……まあその……息子と違って、節操があまり」
なんでもはっきりとした物言いだった儀助が、初めて言い淀んだ。その様子と選んだ言葉だけで、彼の母親がどんな人物だったか、言われずとも大体察しがつく。
「儀助殿は、彼が呼び寄せたのは、蘭坐殿の母親だと……そう言いたいので?」
「……違う」
呟くような、蘭坐の声が聞こえた。
「母様は……首を吊ったんじゃない」
「なに?」
儀助を睨み据えながら、ゆらりと立ち上がる蘭坐。
子どもながらに凍てつくようなその眼差しは、儀助の背筋に冷たい感覚を走らせた。
「母様は間違えただけ……」
「"間違えた"?」
九羅が聞き返す。
「母様は死にたくて死んだんじゃない――死ぬつもりは、なかったんだ!!」
するとその時――!
蘭坐の感情に呼応するかのように、ゆらりと大きく、視界が一度上下に揺れた。
「なんだ!」
一度揺れただけで終わる不自然な地揺るぎ――九羅がふと視線を下にやったその瞬間
「きゃぁあぁあああぁ!!!!」
悲鳴が上がった先に目をやると、目を疑いたくなる光景――なんと、蔵の天井から黒く巨大な水滴のような影が、いくつも垂れ落ちているではないか。
それらは床へ落ちることなく、まるで意思を持つかのように両壁全体へと散り、儀助たちを襲ったあの陰が次々と流れ落ちていく。
その数は、儀助たちの頭数を遥かに上回っていた。これだけの数に一斉に襲われれば、ひとたまりもない。
「壁から離れろ!」
九羅はすぐに壁から離れ内へ集まった人達の周りを囲うように釘を打ち放ち、結界を展開。
壁を伝い、やがて床に流れ出てきた陰は、真っ先に人間の足元へと向かうが、結界を嫌い近づくことはできない。
「一体、何があった……!」
もはや結界では追い払えぬほどの闇の数……膠着状態もそう長くは続かない。すでに陰は、徐々に結界周りの床を侵食し始めている。
一刻も早く、蘭坐の真相と鏡人の居場所を突き止めなければ、間違いなく全員殺られる――!
「僕は何も知らない、ただの子どもだ」
危機的状況の中での蘭坐の表情は、恐怖などは一切感じられず、子どもであることを免罪符に、逃げ惑い足掻く大人達の醜い姿を、嘲るように笑っていた。
「くっ……!」
途端、結界は討ち破られ、陰の集合体は一つの大きな闇となって床一面に広がり、蔵の中の全てを呑み込んだ。
床が消え失せ刹那の浮遊感の末に、一切の光を差さない暗闇の中へと誘われる。自身の身体でさえ視認することができない深く黒い景色だけがただ視界に広がる。
分かるのは、四方八方から聞こえる阿鼻叫喚ひしめき合う叫び声のみ。果てのない底に向かって、彼らはただただ堕ちていく他なかった。




