第二章 第八話
蓮が合わせ鏡の禁術を知っていたことが分かり、まるで勝ち誇ったように儀助は信輔を鼻で笑った。
「蓮…………お前……やってないよな?」
「とーちゃ」
「人なんて……殺してないよな? な? 蓮?」
そう言ってほしいと願うように、引き攣った顔で、信輔は蓮へ一歩歩み寄る。
だが、「線香は火を使うからダメ」と、てんで的はずれな返しばかりで、肝心なことを言わない。
「蓮!」
「諦めな。母親にもう一度会いたい一心で、侵しちゃいけねぇ領域を侵した。その気持ちは分からなくもないが、テメェのケツはテメェで拭かせねぇと」
やれやれと清々しい表情を浮かべながら、儀助は絶望の淵に立たされた信輔の肩をポンと叩く。
「犯人、分かったぜ。この後どうしたらいいんだ」
正念場を超えたつもりの儀助は、誇らしげに煙管を飲みながら九羅に聞く。
「……儀助さんは、子どもの彼が人を殺したと?」
「別に、一人殺しゃあ、相手は大人でも子どもでも、どっちでもいいんだろ?」
異議も弁護も、唱えるものは誰もいない。早く彼を裁けと言わんばかりに、周囲の大人達も息を呑みながらこの後九羅が蓮をどうするのか、不安ながらも期待が込められた眼差しを向けていた。
「……いいでしょう」
ガシャン!と錫杖を地に固定し、九羅は右袖を滑り上げ、白獅子の横顔が彫られた動く面妖な彫物を顕にする。
「待ってよ! 蓮はどうなるの?」
再び、蘭坐が蓮を擁護しようと、彼を守るように立ちはだかった。
「彼が呼人であれば、鏡人と共に隠世へ送る」
「蓮はお母さんに会おうとしただけなんだよね?」
「如何なる理由があろうとも、それが禁忌を犯した人間の運命」
「蓮は僕の友達なんだ! 人を殺してしまったことはいけないことだけど……でも僕、一緒にごめんなさいするから! そのために蓮と一生一緒になんでもやるから! だからお願い……蓮を、連れて行かないで!」
まだ齢7歳の子どもが、たった一人の友のために、体を張って最後まで庇うのは立派だ。大人達がこぞって蓮をどうにかしようと息巻き、味方となる者が誰もいない中、震えることなく堂々と立つその肝の強さには、感心を示すものがある。
だが、村の神童の声であっても、その声は今はもう大人達には響かない。
「蘭坐……んな出来の悪い人殺しを庇う必要なんかねぇ」
儀助が冷めた目で、冷たく言い放つ。
「蘭坐君も、こっちにおいでなさい。危ないわ」
大人達は蘭坐に言い聞かせるように優しく言うが、その目は誰もが冷めきっていた。蓮に向けられるそのあまりに冷徹な眼差しに、さすがの蘭坐も身震いした。
腕の中の金色の瞳を宿した獅子が、形を成し、白い光を放ちながら霞がかった半透明な姿で現世に降り立ち、蓮の元へと駆け寄る。
「ダメー!」
迫る獅子から蓮を守るように、蘭坐は彼の身を庇う。状況が分かっていない蓮は、唐突に蘭坐に抱きつかれて、これまたキョトンとした表情のまま硬直している。
すぐ近くに感じる獅子の気配に、蘭坐はギュッと硬く目を瞑り、蓮を抱える腕にさらに力が入る。
「蘭坐、苦しい」
蘭坐の腕を軽く叩きながら呑気な声で蓮が言う。
だが、肌寒い冷気が二人を包み込み通り過ぎて行く感覚に、蘭坐は「え?」と恐る恐る瞼を開けた。
何が起きたのか……自身の身体や蓮の身体も見渡してみるが、特にこれと言って怪我などもしていない。獅子の姿もどこにもなかった。
だが、目の前に並ぶ大人達は、皆目を丸くして、呆然とこちらを見て立ち尽くしていた。視線はこちらを向いているのに、その瞳に自分達を捉えられているような気がしない。不思議に感じた蘭坐は、大人達が見ている先が自分達の背後にあることに気付き、ゆっくりと後ろを振り返る。
するとそこには、異様なまでに巨大な神鏡が佇んでいた。振り向きざまに交わる、もう一人の自分との視線。だが、ふと鏡の中の蓮にも目をやると、そこにはさらに驚くべき事象が……。その異常性にすぐに気付いた蘭坐は、思わず言葉を漏らした。
「蓮……お前、なんで」
「ん?」
映っていなかった……蓮の姿は、鏡のどこにも、映っていなかった。
「映っていないわ」
「やっぱり、あの子が!」
大人達もどよめく。
その怪現象に、誰もがこの一連の出来事の首謀者は蓮であると確信した。
「怪異で殺された奴らも、こいつが殺したようなもんだ……!」
突き付けられる現実に、信輔は涙を流し、絶望に打ちのめされたように膝から崩れ落ちた。
示された真実を前に、次第に人々はこれまで抑えていた蓮に対する憎しみの感情も顕にするようになり、早く地獄に送れと口々に九羅に言う。
「ガキだろうと関係ねぇ!」
「そうよ! 残された光恵ちゃんが本当に可哀想!」
「何もできねぇお前らを助けてやった恩を、仇で返しやがって!」
だが聞こえているのか、いないのか……蓮に発せられる罵声にはなんの反応を示すことなく、九羅は鏡を凝視し続けた。
「なにやってんだ。さっさと蓮を地獄に送らなきゃ、いけねんだろ?」
それでもじっと鏡を見続ける九羅。やがて――その口角は、ゆっくりと吊り上がった。
「貴方でしたか」
どこか愉しげな口振りで、九羅は言う。
「貴方が件の呼人、だったのですね……――――蘭坐さん」
「……は?」
耳を疑うというよりも、皆、九羅が何を言っているのか分からなかった。いや、どちらかと言えば名前を間違えたのかという混乱に近い。
「九羅、"蓮"だろ? 人を殺して死者を蘇生させたのは、あの鏡に映っていない"蓮"の方だろ?!」
「……あの鏡は照魔鏡。いわゆる、この世ならざるものを映し出す鏡」
元来、死者蘇生とは、呼人の魂を贄に死者を現世へ留める契約。故に呼人と鏡人の魂は融合する。
鏡人もまた、この世ならざる魂である。
「つまり……呼人の魂は半分、すでに人に非ず」
この世ならざるものを映し出す鏡なのであれば、あの鏡には本来、人の姿は映ってはいけない。
項垂れていた信輔の顔がゆっくりと上がり、再び鏡を見つめた。
そこには確かに、息子の姿は映ってはおらず、薄ら笑みを浮かべながら、開いた瞳孔で静かに九羅を見つめる、蘭坐の後姿だけがはっきりと映し出されていた。




