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鏡人ーカガミビトー  作者: みかん坊や
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第一章 第二話


「今夜は本堂で寝て頂くことになりますが、その前にまずは御住職にご挨拶を」


 色濃い線香の匂いが染み付く、広い建物内を渡り歩き、本堂を通り過ぎて案内されたのは、住職たちの居住場所に当たる庫裏(くり)と言われる場所。

 今は出払っているためか、人の気配がまるでせず、九羅の錫杖の遊環が鳴る度に、その音だけが庫裏に長く残った。陽が沈んだ仄暗い庫裏は、なんだか妙な不気味さが漂う。


「こちらが、御住職の自室になります」


 そこは、唯一灯りが灯っていた、奥にある角部屋。

 

「失礼いたします。住職、お客様がお見えです。ご挨拶を」 

「入りなさい」


 弱々しい掠れた老人の声に誘われ、妙順は畏みながら障子を開けた。

 そこには、蝋燭の灯りが風に揺らめく中、祈るように瞳を閉じて、仏壇に手を合わせ続ける住職の姿が。


「本日、本堂にお泊まりになられます。尼僧の九羅殿でございます」

「今宵、一晩限りお世話になります」

 

 九羅が口を開くと、ここで初めて、住職は目を開けた。

 ただし、合掌の姿勢を崩すことはなく、灯りが差さない見開いた瞳だけをギョロリと動かし、訪客を一瞥する。


「拙僧は、薬心寺住職 日照と申す者。旅の御方、ゆるりと身を休まれよ」


 それだけ言って、住職は再び瞳を閉じ、先ほどの掠れた声からは一変した、重厚で威厳ある声で、読経を唱え始めた。

「もう行っていい」と告げるかのような住職の読経に、妙順は邪魔にならないよう黙って会釈だけをして、ゆっくりと障子を閉めた。



 ・

 ・

 ・

 

「それでは、本堂の方にご案内致します」


 来た道をなぞるように、二人は渡り廊下を渡って、本堂に戻った。

 

「生憎、すでに五名の方にも、宿を貸すことになっておりますので、少々手狭にはなりますが」

「構いません」

「それでは」


 テンポ良く、妙順が唐戸を三回……本堂の両引戸を左右に滑らかに開き、真っ先に視界いっぱいに広がったのは、真正面に構える、金色の輝きを放つ見事な阿弥陀如来像。

 天に届いてしまいそうなほどに立派なそのお膝元には、今宵この寺に居候する男女が集い、好奇の目が一斉に九羅に集中した。

  

「おや、妙順殿。また、新入りさんけ」

 

 御仏に最も近い位置に座す侍が、煙管を蒸しながら興味ありげに聞いてくる。

 

「ええ。皆様、また少し場所を寄せて頂いても? あ、九羅さん、今布団をお持ちいたしますので、少々お待ちを」


 そう言って、妙順はまたどこかへ行ってしまった。

 何者かを探るような、やや居心地の悪い空間に一人残された九羅。しかし構うことなく、錫杖の音をチリンと響かせながら、唐戸側の端に腰を据えた。


「尼僧さん。そんな端に座ってないで、もっと中央に来んさいや」


 素性知れぬ尼僧に興味があるようで、侍はニヤニヤと卑しい笑みを浮かべながら手を招く。

 

「ちょうど今、自己紹介がてらそれぞれの素性について話しちょったところ」

「ほとんど心門様のお話でしたがね」


 侍の隣に座る青年が、少し困ったように笑う。


「とはいえ、新しい方もいらっしゃったことですし、ここいらで改めて仕切り直しと行きましょうか。尼さん、よろしければこちらへ」


 九羅を気遣い、青年が声を掛けるが、静かに視線を向けるだけで、腰を上げようとする素振りはない。

 「あの……」と再度伺いを立てるが、うんともすんとも状況は変わらず。なんとなく気まずい空気が漂う中、場を読んだ青年はコホンと咳払いを一つ、無理やり話を進めることに。


「ええっと、じゃあまずは誰から……」

「こう言う時は、身分が高いものからと決まっちょる」


 そう真っ先に名乗りを上げたのは侍。挙がった手を見て、若干皆の表情が引きつったように見えたのは気のせいか。

 

「長州藩藩士 八重樫 心門。今はまだ下級武士の身分だが、いずれは大組となって、長州藩の礎となる男。先日も広島藩が我が藩に攻め込んできた時に」

「あああ! 一旦そこまで、そこまで!」


 話の出だしを聞いて、慌てて青年が止めに入り、水を刺された心門の口が曲がる。そこから察するに、ここから彼の武勇伝が始まって、九羅が合流する直前まで、その長ったらしい話を聞かされていたのだろう。

 

「我々はすでにその先を聞きましたので、もし続きを聞きたければ、後程、個人的に心門様にお聞き下さいね」

「なんだ、つまらん」


 臍を曲げた心門は、自分の話が終わるや否や、そっぽを向いて不貞寝し始めた。

 そんな彼をチラリと横目に、青年は進行を続けた。

 

「えー、私は商人の清二と言います。雑貨用品などを商っております。そして……」


 自分の右隣に座る男性に顔を向ける。

 

「飛脚の田宮と申しやす」

「で、さらにその隣にいらっしゃるのが」


 縹色の着物を見に纏う若めの女性と、年五つくらいの子供。


「千代乃と言います。この子は息子の鈴太。今日は、喘息を持つ息子の湯治のために旅行を。まだ五つになったばかりで、未だ夜泣きもありご迷惑をおかけするかもしれませんが、何卒ご容赦を」


 母親が頭を下げるのを見て、不思議そうにしながら、鈴太も真似て一緒に頭を下げた。その様子に男達は表情緩ませながら、最後のトリに視線が向く……


「で? 尼僧さん、あんたは何者だい」


 頬杖をつくように頭を支え、寝転んだまま振り向いて、心門が九羅に聞く。

 

「名を九羅。見ての通り修験の身、でございます」


 声を出した途端、その場にいた全員が同じ反応を見せた。

 

「女性……の、御方で?」


 同じ女性でも、千代乃の柔らかな女性らしい声と比べると、その違いは明らか。

 非常に言いにくそうに、清二が恐る恐る尋ねるが、その質問に九羅は興味がなさそうにそっぽを向くだけで、答えを返さない。

 

「それならちょいと、頭巾を取って、その面拝ませちゃくれねぇか」

「心門様、何も無理やり」

「一晩と言えど、そこまで得体を知られたくないとあっちゃあ、こっちも警戒しちまう」


 徐ろに起き上がりながら、心門は外した脇差に手を掛けて、背筋が自ずと伸びるような張り詰めた空気を僅かに漂わせた。


「修験の身だろうが、性別すら読ませない相手に無防備な姿は見せられん。こちとら、“武士“なんでね」


 皮膚が痺れる、心門のピリついた雰囲気に、密かに固唾を飲む清二。刀に手を掛けている男相手に、丸腰で制止に入る勇敢さは彼にはない。他の者達も、また然り。


「頭巾を外しゃあ、自ずと喉仏も確認できよう」

 

 半ば脅迫とも言える心門の要求に、九羅は小さくため息を吐いた。

 そして、膝の上で重ねていた手を、頭巾の後ろに手を伸ばそうとした、その時だった——。


 

 コツン……


 

「ん?」


 何かに当たった音が鳴る。

 ふいに九羅の手が止まり、錫杖ではない音が鳴ったその方に視線を下げると、そこにあったのは


「盛り塩?」

「ん? どうかしたか」

 

 先ほど座った時は、頭巾で視界が狭まって気がつかなかったが、本堂の四隅には、盛り塩が置かれていた。それも、塩の乾燥や崩れ具合から、定期的に入れ替え、その効力が維持されるよう手配されている。


「それ、俺がここに来たとき、妙順さんが入れ替えておりやした」


 田宮が言う。


「なんじゃ。別に寺に盛り塩があってもおかしなことではなかろう」

「いいえ……かなり、珍しい」

「なんで」

「よくお考えくださいまし。御仏のご加護を得る場所でありながら、こんな(まじな)いで退魔を図るなんて、不自然とは思いませんか」

「む……それは」

「僧であれば、読経や護摩焚きなど、より守護の力を得る術を持っているはず。ともすれば、この寺の僧ではどうにもならぬ、なにか不吉なことでも……?」


 その問いかけに、辺りはシンと静まり返る。

 不穏な展開に、大人達は「まさか」と耳を傾けようとはしなかった。心門も九羅の怪しげな話に虚勢を張って、話を元に戻そうとした。

 しかし、ただ一人。彼女の話に引っ掛かりを覚える人物が……。


「もしかして、あの噂は……」


 唇を震わせながら口火を切ったのは、飛脚の田宮。


「『噂』?」

「実は、飛脚の間では最近、この寺から『人が消える』と不吉な噂が流れているのでございやす」

 

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