第二章 第三話
蓮という少年に手を引かれ、草叢を掻き分け、少しばかり傾斜を下った先にある開けた場所に九羅は連れられた。ほらあれと蓮が指を差す先には、確かに立派なミズメの木が何本か植えられていた。
祭場からは然程離れておらず、遠いが祭囃子もまだ聞こえる距離。なるほど、子どもだったら確かにちょっと席を外す程度の感覚なのも分からなくはない。
連れてきたことに満足したのか、蓮は案内が終わると繋いでいた九羅の手を放り出し、木に向かって一直線に走り出し、一人遊びに行った。
「……先程は、お気遣い頂きありがとうございました」
木に登る蓮の様子を遠目に見ながら、九羅の隣で父親の信輔は礼を述べた。
「すでにお気づきかと思いますが、蓮はその……なにぶん変わった子でして。興味のあることには熱心なのですが、なかなか、人並みにはいかぬ子で手を焼いておりまして」
言いにくそうに、だが聞いてほしそうに、信輔は息子のことについて語り始めた。
「蓮殿は、梓弓のことはどちらで?」
「さあ……普段は私の母に面倒を任せてるもんで。最近では呪いや奇術などにめっぽう興味を示しているみたいで。どこで見たのか、地面に奇妙な陣を描いて遊んでいたことも」
「失礼ですが、奥方は?」
「今年に入って、不慮の事故で……山菜を取りに山に登ったところ、足を滑らせちまって」
――『最近、やけに事故が続いてて……』
店の主人が言っていた言葉が、ふと脳裏を過った。
「妻は死に、蓮もあんな感じで自由奔放なもんだから、村の人達にも迷惑を掛けることが多くてね。生稚児にも、蘭坐君とは違って、本当は村の方々は蓮にやらせたくはなかったでしょうに……面目が立たねぇ」
笑みを取り繕いながら信輔は言う。
先程、祭世話に話をするのを渋った理由がなんとなく分かった気がした。普段から迷惑をかけている上、名誉な役回りに不本意ながらも息子が選ばれる他なく、挙げ句祭当日に迷子になったからと手を煩わせるのは、確かに気が引けたことだろう。
「『蘭坐君』というのは……もう一人の?」
すると信輔は、フッと憂いを帯びた笑みを零した。
「さっきの儀式、見ました?」
「ええ。実に見事な注連縄切りで」
「蘭坐君もウチと同じ、母親を早くに亡くしていてね。それでも気丈に振る舞って、しっかり者で利発で、村始まって以来の神童とまで言われる賢い子なんです。それでいて周りにも気を使える子で……蓮とも、小さい時から仲良くしてくれている」
面の下で、密かに横目で信輔を見やる。
蘭坐を語る彼の横顔が徐々に俯き、語れば語るほど、その声は惨めな有様を滲ませるように窄んで行く。
しみったれた雰囲気が漂い少しの沈黙が流れると、それに気づいた信輔はハッと顔を上げ、仲良い友達と一緒に生稚児ができて蓮は幸運だなんて場の空気を誤魔化した。
「蓮ー、そろそろ戻るぞ!」
縦横無尽に木の上を移動する蓮に信輔が大きな声で呼びかけるが、蓮の耳には届いていない様子。子どもの弱い力で、お気に召した枝の部分を頑張って折ろうと奮闘中である。
「一つ……信輔殿にお聞きしたいことが。蓮殿が興味ある呪いの中に、鏡を用いる儀式はありましたか?」
「鏡、ですか?」
九羅の質問に訝しげな表情を浮かべつつ、信輔は顎に手を当て空を見ながら考え込んだ。んーと悩み少しした後、そういえばと思い出した話を教えてくれた。
「合わせ鏡を作ってみたいと、母親の鏡台と手鏡で遊んでいたことがあったような……」
横目で信輔の顔を見る程度だった九羅の顔が、その話を聞き、初めて信輔に正面を向けた。
「……その呪いでは、なにか起きたので?」
「なにか起きたと言いますか……鏡の前で線香を焚こうとした蓮が今度は火に興味を持っちゃいまして。火で遊ぼうとしたので中断させた、ということくらいです」
「……左様で」
どこか力が抜けたような納得した返事を、九羅は返した。
「あの、それがなにか?」
どうしてそのようなことを尋ねるのか、気になった信輔は少し不安げに尋ねるも、九羅は「いえ特に」とはぐらかし深くは語ろうとしなかった。だが信輔の顔を見て、邪推を抱かせる端緒となるのも行けないと考えを改め、小さなため息を吐いた後、適当な理由を述べた。
「火を扱う呪いですので、遊び半分でやっていては危ないと、気になったもので……」
無難ながらも筋は通らなくはない理由に一応の納得を示し、それ以上信輔が追及してくることはなかった。
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——「信輔!」
立ち話をしている内に、思っていた以上に時間が過ぎていた。気付けば祭りの賑わいもそろそろ引けようとする頃合いになって、信輔と蓮はようやく祭場に戻った。
人が少なくなった通りを、二人手を繋いで歩いていたところ、聞き覚えのある声に呼び止められた。
「どこに行っておった! 皆、心配しておったぞ」
振り返りそこにいたのは、屈強な肉体を見せつけるかのごとく、赤い法被を肩までたくし上げた地黒の中年男性……祭世話の蒲田 勝之進だ。
「も、申し訳ありやせん。倅が興味深いもん見つけたとかで付き合ってたら、こんなことに……」
元々強面の面がさらに取り乱した剣幕で近づき、信輔はつい上体を仰け反らせた。
「社務所に確認したら蓮がまたいなくなって探してたとかで、その後お前の姿も見えなくなったから何かあったのかと!」
自分達が探されていたことを知らされ、結局また迷惑を掛けてしまったことに、密かにズキンと心の臓辺りが痛む。
「まあ、無事なら良かった……」
表面的でも、その優しい言葉掛けがまた追い討ちのように信輔の心の臓を痛ませ、ぐっと胸元を掴んだ。
「これから山車蔵で、明日の動きについて最終の打ち合わせだ。一緒に来い」
拒否権はないし必要なことだと分かっちゃいるが、山車蔵に向かう足取りは重い。
肩身が狭い思いと、白い目に晒される場に行きたくない気持ちと、滞りなく蓮が御役目を果たせるのかという不安と……様々な後ろめたい感情が入り交ざり、自然と眉が下がる。
当の本人はそんな親心に気付くはずもなく、「あ、風車」と辺りの風景を楽しんでいる。前を歩く勝之進も、信輔の心情を知る由もなくスタスタと足早に山車蔵に向かった。
「皆、待たせた!」
「蓮!」
蔵の戸を開くや蓮を心配そうに涙を潤ませ飛び付いてきたのは、同じ水干を纏った少年。もう一人の生稚児 蘭坐である。
「お前、今までどこにいたんだよ〜! 心配したじゃないか!」
心配する友を余所に、蓮は山車の提灯に群がり舞う蛾を目で追っていた。
「そんなので大役が務まるのかね」周りの大人のこそこそとしたそんな雰囲気を肌に感じつつも、信輔は気付かぬ振りして、状況を分かっていない無反応な息子に代わって「いつも心配かけてすまないね、蘭坐君」と蘭坐に謝罪の言葉を口にした。
「心配なんて、当たり前じゃないですか。蓮に何かあったら、俺と一緒に遊んでくれる人がいなくなる」
「蘭坐君……」
「蓮がいないと、つまらないもん……」
耳を赤く染めながら呟く蘭坐に、尖っていた周りの大人達の眼差しは徐々に和らぎ、雰囲気が変わる。
「はいはい。麗しき男の友情はそれくらいに、明日に備え早く寝られるよう、ささっと会合を終わらせよう」
勝之進の手叩きに、大人達もそれに賛同した。
明日の打ち合わせとは言え、本祭での蓮の役目は山車蔵の囃子台で、蘭坐と共にただ座るのみ。人前が苦手な子ではあるが、やることがなければ言われた通り大人しく座るだけのことはできる。外の景色に興味が削がれたとて、事前に椅子から動くなと伝えておけば離れることはない。信輔は生稚児の近侍として、不測の事態があったときの為に、山車の背後をただついて行くだけ。
問題なのは、三日目の終幕を告げる注連縄切り。練習でも半分は失敗し、一度は刀を振り上げることができず、囃子台から落としてしまう始末。
今更考えたとてどうにもできないと分かっていながら、蘭坐のあの完璧な儀式を前にして親としては焦りを募らせるばかり。
明後日のことを考えるだけで心配で押し潰されそうになり、さり気なく頭を抱える信輔。するとその時、クイクイと法被の袖を誰かに引っ張られる感覚を覚えた。
「とーちゃ」
「ん? どうした」
話の邪魔にならないよう、こっそり小声で要件を尋ねる。
「お腹空いた」
途端、蓮の腹の虫がぐぐぐと鳴る音が聞こえた。
人の気も知らないで全くこの子は……。そう呆れ果てつつも、この鈍感さが今は逆に救いな気がした。
「家帰ったら、すぐ飯にするべ」
「飯食い終わったら、梓弓作ってい?」
「早く寝るからちょっとだけな」
「うん」
嬉しそうに少し口角を上げる我が子の不器用な笑顔に、自然とこちらの口角も上がる。
聞き分けが悪い子なわけじゃない。人に言われたとおりの動きをするのが難しいだけで、根は真面目で練習だって本人なりに一生懸命に取り組んでいた。
考えたとてしょうがない。蓮とてやれるだけのことはやる男。それに改めて気付いた途端、先程までそれで割り切れず藻掻いていた気持ちが、「まあいっか」とすっぱり楽観思考に変わった。
「じゃあ明日本番、よろしく頼むぞ」
自分の中の不安と葛藤してる束の間、最後の打ち合わせはいつの間にか終わっていた。




