第二章 第一話
——涼やかなある初夏の夜
ぼんやり灯る赤提灯の下、活気ある人々の賑わいの声が溢れていた。屋台から聞こえる威勢の良い売り声、金魚掬いにはしゃぐ子供、胸いっぱいに広がる甘く香ばしい食べ物の匂い……。
今日は、待ちに待った縁日。この真部村では毎年、田植えが始まる時期に、晴天祈願のための盛大な祭りが催される。村総出で執り行われるこの祭りは、前夜祭、本祭、後夜祭と三日三晩続き、生稚児を乗せた山車が村を巡回し、晴天の神様を迎え入れる。その準備として、開催前には村人達が作ったてるてる坊主が村中に飾られ、祭場であるここ戸津国神社の境内でも、飾られたてるてる坊主が夜風にそよいでいる。
「繁盛繁盛。賑やかだねぇ」
浴衣着で道ゆく人々の波を、団扇で優雅に風を仰ぎながら屋台の主人はぼうっと眺めていた。
祭りならではの焼きイカや天ぷらなどの食べ物、矢場や見せもの小屋などの娯楽屋台とは違い、ありきたりな遊び道具を売っている店に足を止める客は少ない。それに、もうすぐ“神降し“の儀式が始まる。祭りの見どころを見物しようと客が境内にひしめき合う頃合いで客は来ないと鷹を括り、大きなあくびを一つ。
「——もし」
油断しているところに突然声を掛けられたものだから、主人は思わず肩を跳ねがらせた。声を上擦らせながらも商人の意地で「へいらっしゃい」と決まり文句を口にしたが、店の前に佇んでいた客の姿に微かに目を見張った。
そこにいたのは、藍染の浴衣に身を包む、おかめ面を被った一人の男。腰まで伸びた艶髪は後ろで一つに編み込まれ、すっきりと着こなした浴衣の隙から見える肌は、今どきの若者らしく白粉を叩いてめかし込んでいる。
「一つ、頂いても?」
「好きなの持っていきな」
金を受け取り、男は選ぶというよりは適当に手前にあった緋色の風車をひょいと掴み取った。見た感じ連れがいるような様子ではなさそう。かと言って、心の底からこんな玩具を望んで買ったとも思えない。面を外して風車を回すわけでもなく、男は買ったそれを指先でチョンチョンと突き、優雅に指先で転がした。
なんとも変わった青年だ。何が、というわけではないが、本当になんとなくの印象で、主人は直感的にそんなことを思った。
「此度は」
「ん?」
「なんの、お祭りで?」
その問いかけに、すぐにこの男が村の人間ではないのだとわかった。どこぞの流浪人が、この賑わいの声に誘われて足を運んできたのか。
店主は暇つぶしがてら、この村の慣わしである晴天祈願について教えてやった。村一番の催しの時に来られたことが幸運なこと、山車のこと、てるてる坊主のこと……面越しのため興味があるのかないのかは分からないが、相槌を打たない代わりに、男はじっと主人の目を見て話に聞き入っていた。
「あともう少しで“神降し“と言って、正式に祭りの始まりを告げる儀式が執り行われる。この祭りの見どころの一つだ」
「神降し?」
「まあ正確に言うと、生稚児が注連縄を切って、晴れの神様に祭りが始まったからおいでって教える儀式だな」
「その、生稚児とは?」
興味ありげに、立て続けに男は聞き返す。
生稚児とは、神が座す山車に、唯一乗ることが許される子どものことだと、主人は答えた。
「毎年二人、今年7つになる村の男子が選ばれる。……とは言え、こんな小せぇ村だから子どもも少ないし、選ぶどころか今年は7つになる男子が二人しかいねぇから必然的に、な」
「必然的に、ですか」
興味があればせっかくだから見に行くといいと促され、男は顎を引いて静かに頷く。
「ついでに、明後日の晩の山車曳きに名乗りを上げてみるといい」
「斯様な神聖な儀式に他所者が出張っては、神を怒らせてしまいます」
「神はどうか分からんが、人間様には歓迎されると思うぜ。なんせ、山車曳きの男手が足りてねんだ。俺も明日の本祭で曳き手に借り出された口よ」
「それは、先程の"子どもがいない"と似たようなもので?」
男が尋ねると、主人はどこか気まずそうに視線を落としながら「まあ、そんなとこさ……」と言葉を濁した。どう見てもそんな単純なものではなさそうな雰囲気に、男は視線を外す主人を静観し続けた。
何を言うわけではない。だが、何か答えを求められているようなその無言の圧に、主人はたじろぐ。様子を伺うように何度か男の面に視線をやるが、男は変わることなく視線の圧を送り続ける。うーんと悩む様子を見せつつも、観念した主人は、周りの目を憚るように口元に団扇を当てて、ひそっと教えてくれた。
「最近、やけに事故が続いてて……」
「事故?」
「俺くらいの年代の男女がこぞって仏さんになりやがる」
だから人がいねーのさ。そう言って主人はもういいだろと言わんばかりに、雑に話を切り上げて、神降しの儀式に行くよう男に差し向けた。




