第一章 終話
「私の本当の名は、忍。日照住職でなければ、僧侶でもない、生まれながらに罪を犯した、ただの老爺にございます」
対面に座し、日照の話を、九羅は神妙に聞き入った。
「貴方が、呼び寄せたのは……?」
「私が禁忌を犯し呼び寄せたのは」
ガチャン!!
その時、地上に続く扉の南京錠が開く音が聞こえた。
もちろん、この地下にいる者以外に、生存者はいないのは承知の上。
ひたり、ひたり、と誰かが地下に潜ってくる足音に、妙順は怯えながら奥へと逃げ込み、心門は九羅を背に庇いつつ、入口に警戒を向け刀を身構えた。
「私が呼び寄せたのは――――日照。我が兄を禁術にて召喚した次第」
「何故に」
「兄が研究したとされる解毒薬の調合書を探るが為に」
――私は、合わせ鏡の禁術を用いて、兄を呼び寄せた。
人の領域を幾度と犯した身。もう恐れるものなど何もなかった。
妹を救うことを諦め切れず、手段を厭わなかった私は、兄の記憶を頼りに解毒薬を自らの手で調合することを決めた。
……だが、解毒薬なんてものは、最初から存在しなかった。
『げ、解毒薬があるんだ!』
『フン、誰が教えるか!』
兄が落とす記憶の片鱗に触れても、それらしき情報が見つかることはなかった。
口からでまかせ、自分が助かりたいが為に、あの状況で咄嗟の虚言を吐いたのだと……気付いた時にはもう全てが遅かった。
ほんの少しでも、ほんのごく僅かでも、あの兄に期待を抱いた私が馬鹿だった……。
「本堂に置かれていた塩は、外からやってきた者を鏡人から守る為、ですね?」
「効果は、然程なかったがね……」
物悲しげに薄ら笑いながら、憂いを帯びた俯きと共に手を合わせ、日照はゆっくりと瞳を閉じた。まるで、語りの終わりを告げるかのように。
「日照住職……の弟君、忍殿。禁忌に至る貴殿の業、しかと見届けた」
忍の背後に控える巨大な神鏡が、仄かな光を宿し彼を照らすと、鏡面に梵字が浮かび上がってきた。
「愛する妹の為に兄の生を盗み、記憶を求め、血で血を洗い救いを渇望したその深き咎を以てして、此度、第二陣の獄門を……招来する」
神秘の現象ながらも、どこか禍々しい気を放ち始めた展開に、心門の背筋にゾクリと嫌な電撃が走った。まるで、避けることのできない殺気を向けられているようなその感覚に、思わず心門は九羅に待ったを掛ける。
「住職はどねーなる!」
焦る心門の顔を一瞥すらせず、九羅は淡々とその問いに応える。
「忍殿の背負った業は、人の法では裁けぬもの。よって、冥府の沙汰にてその身柄を委ねることとなり、鏡人と共に獄門を潜らねばなりません」
「それってつまり……住職は……」
その先の言葉を出し切る前に、心門は不安気に忍を見やった。
身の上話に絆されて、現実を受け止めきれぬ顔を顕に出す男を、九羅はフッと鼻で笑った。
「それが、禁忌を犯す人間が払わねばならぬ対価。元より、全てが承知の上で成就する事象にございます」
ギィー……
大きく軋む扉の音に、心門と妙順の肩が大きく跳ね上がる。
地上より降り立った者が、ついに入口の把手に手を掛ける。細く角ばった手が、扉の隙間から顔を覗かせて、まるで吹き風に揺らぐように勿体ぶり、中にいる者を弄ぶかのようにゆるりゆるりと扉を開ける。
「九羅殿。其方に、何卒お頼み申す」
「……」
「すべてを……終わらせて下され」
重々しく、それでいて厳かに、忍は深く九羅に頭を下げた。その荘厳さたるや、間違いなく長きにわたり住職の務めを果たしてきた者が捧げる、畏敬の一礼であった。
「――承知!」
振り返りざまに、扉に二本の釘を刺し、指を下ろし、即座に結界を展開。
鼓膜を破くような甲高い悲鳴を上げながら、結界を嫌がる鏡人が飛び跳ねて、その姿を現した。
泥塗れの白い作務衣を身に纏う、若い小坊主の形をしたそれは、一気に先頭の心門との間合を詰め寄り、心門に掴みかからんとする。
すると空かさず、空いた腹を目掛けて九羅は錫杖を鏡人の腹へねじ込んで、綺麗な"くの字"型に曲がったその身体は、苦しげに嗚咽を吐きながら、まんまと後ろへ押し飛ばされた。
「お前……妙真か!?」
鏡人の依代の顔を見た妙順が、声を上げる。
男の目は白く鱗のように生気を失っており、なにより青白い皮膚に広がる、香の煙を被った紫色の煙模様は依代の証。
一年前に行方不明となったこの寺の修行僧が、鏡人の依代だったのだ。
口から這い出る蛆を咀嚼しながら、恨めしそうに生者達を睨み付ける。
すると次の瞬間、鏡人がトンッと床を軽く叩くと、彼らの足元に妙弦の時と同じ、深い水溜りが一気に湧き出て、水の手が現れる。
「のわ!」
心門達の足がガクン!と沈み、一気に腰の深さまで呑み込まれ、さらに下に沈めようと上から数多の水の手が降りかかる。
だが、目論見どおりに事が運んだ先で、鏡人が真っ先に狙ったのは――
「九羅ー!」
水溜りを避ける九羅の行動を先回り、着地点にて身構える。
蛆が湧く口を大きく上げて、操水を吐き出そうと狙いを定める鏡人の姿を宙より捉えると、九羅は不敵に微笑んだ。
「いざ」
鏡人の喉奥に釘を投げ打ったと同時に、ジャラジャラと重く騒がしい金属音が地下に鳴る。
どこぞに隠し持っていたのか、またもや不思議と、袖より出でた黒い鎖を自在に操りながら、九羅はそれをあっという間に鏡人の全身に巻き付けて拘束する。
「ん"ん!?」
鏡人が拘束された途端、彼の記憶の片鱗である水が一瞬にして消え去る。
脚に、身体に、顔にと場所を選ばす雁字搦めにしても、身を捩って拘束から逃げようとするので、そのまま鎖を釘で打ち付け完全に動きを封じる。
そして、鏡人の拘束が済むと、その鎖のもう一方で、今度は無抵抗な忍の身体を縛り付けた。
「忍殿」
――これで、ようやく終わる。
それを悟った忍の顔は、名残惜しげに後ろを振り返る。
「ご……はん……ごーはん…………くぅくしゅ、ぃ」
牢の中で、兄と分かっていない男に飯を縋る。そんな妹の姿を、忍は冥土への土産のつもりで、最後にたっぷり目に焼き付けるつもりだった。
……だが、段々と熱を帯びる瞳は、やがて大粒の涙を零し、その視界を奪う。流れても、流れても、絶えず溢れる涙は視界を奪い続け、満足に妹の姿を捉えることができなかった。
すると――……
「へ?」
ふと頬に、何かが優しく当たる。
見上げてみると目の前には、九羅が自身の頬に触れ、流れる涙を指で掬っていた。
「九羅、殿……」
彼女は、何も言わなかった。
表情一つ変えず、ただ黙々と、頬に伝う涙を拭ってくれた。
「光を、見失わぬように」
チリン……と遊環が静かに揺れると、次の瞬間、九羅は錫杖を力強く鏡に突き刺した。
割った部分から鏡面全体にヒビが広がり、破片が飛び散る。すると中から、禍々しくも鬼のような剛健な手が何本も鏡面の闇から這い伸びた。
一度襟元を掴まれると、まるで小石を持ち上げるかのごとく簡単に老体は宙に浮き、鏡の中へと引っ張られて行く。
口を大きく開かねばならないほどの息苦しさに、早くも逃げ出したい気持ちが襲う。……だが同時に、先程まで溢れていた涙が止まっていることに気付いた。
最後の力を振り絞り、鬼の手を掴み無力な抵抗をしつつ、忍は最期にはっきりと、妹の姿を捉えた。
「楓……どうか、元気で」
これまで見た顔の中で一等穏やかに、人間らしく微笑みながら、忍は、日照の鏡人と共に鏡の闇へと吸い込まれて行った――。
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「うお〜まっぶしいのう」
地上に戻ると、照りつけるような太陽に草木に残った露が光を輝かせていた。
空蝉が鳴き、すっかり夏を感じさせる心地よさ……だが、どこか心は晴れきらない。
「はぁ〜……」
地下への入口を見やり、なんとも深い溜息を漏らす。
「私の役目は終わった」と、どこぞの比丘尼はすべての後始末をお人好しの一人の武士に押し付けて、早々に姿を消してしまった。
面倒事も、礼も、なにも受け取らずに跡を絶った。その潔い後姿を思い返しながら、「よし!」と自身の両頬を力強く叩き、心門は気合を入れた。
――さて、やるか!
ここまで読んでくださって、ありがとうござました。
文章力や語彙力など、力量不足で伝わりにくい部分も多々あったと思います。
ですが、個人的に今まで書いてきた小説の中で最も満足して書けた作品で、第一章分を書き上げ、投稿しきったことをとても嬉しく思っています。
第二章もすでに完成し、投稿予定ですが、投稿頻度については少し模索中で、一話目は2日か3日後くらいに投稿しようかなと考えております。
改めて、ここまでお付き合い下さり、ありがとうござました!第二章以降も読んで頂けると幸いです。




