第6章 届かない声
羽賀拓海(38)/NSA・AI認定制度開発責任者
2038年12月某日 東京高等裁判所 第三法廷
証言台に向かう廊下で、羽賀は深呼吸を三回した。
国家安全保障分析庁のAI認定制度開発責任者。肩書きはそう言うが、羽賀の仕事の実態は、システムエンジニアだ。コードを書き、データを設計し、バグを潰す。五年間、そうやってNSAのシステムを作ってきた。
法廷に立つのは初めてだった。
弁護側からの申請で証人として呼ばれた。羽賀はそれを受け入れた。むしろ証言したかった。秋山慎吾のケースが自分のシステムに起因する問題だということは、報告書を読んだ段階で即座に分かった。完全な誤認定だ。技術的に説明できる。証言すれば、裁判に影響を与えられるかもしれないと思った。
証言台に立った。
傍聴席にはそれなりの人数がいた。記者らしき人間も何人か見えた。一審の死刑判決は社会的に注目されていた。
弁護人の桐島玲子が質問を始めた。
「証人は国家安全保障分析庁のAI認定制度の開発責任者として、秋山慎吾氏の特定危険指定に至った経緯について御存知ですか」
「はい。詳細を把握しています」
「説明してください」
羽賀は準備してきた内容を話し始めた。
「本件の特定危険指定は、二〇三七年八月に実施されたデータベース統合処理における照合誤差が原因です。当該処理において、秋山慎吾氏のデータと、テロ組織関係者として別途登録されていた別人物のデータが照合対象として抽出されました。氏名と生年月日が完全に一致し、顔認証スコアが閾値を超過していたため、自動統合の候補として選定されました」
「その結果、何が起きましたか」
「統合処理が承認され、秋山慎吾氏のデータが当該テロ組織関係者のデータと統合されました。その結果、秋山慎吾氏が特定危険指定を受ける状態になりました。しかしこれは行政上の誤りです。二名は全くの別人であり——」
裁判官が口を開いた。
「証人、少々よろしいですか」
羽賀は止まった。
「第五十三条により、当該認定の内容については本法廷では扱えません」
羽賀はそれを想定していなかった、というわけではなかった。弁護人から事前に説明は受けていた。しかし実際に裁判官の口から聞くと、また違う重さがあった。
「しかし、技術的な事実として——」
「証人。法律の規定は明確です。特定危険指定の適否、認定の内容及びその根拠については、刑事手続において争うことができない。それに関わる証言は受け付けられません」
羽賀は弁護人を見た。玲子は静かに頷いた。続けてください、という意味ではなく、そうです、これが現実です、という意味の頷きだった。
「以上です」
羽賀は証言台を降りた。
廊下に出た。
壁に背をもたれた。
五年間かけて作ったシステムが、今ここで一人の人間を死刑にしようとしている。システムは設計通りに動いた。データの照合、スコアの計算、統合処理。全て正確に機能した。ただ、一つのケースで入力が間違った。同姓同名、同生年月日、閾値をわずかに超えた顔認証スコア。その組み合わせが誤りを生んだ。
バグではない。設計上の限界だ。
技術者として、羽賀はバグを見つけたら修正するという習慣を持っている。問題を発見したら直す。それが仕事だ。
しかし今、修正する場所がない。
技術的なバグは既に修正した。同様の誤認定が起きないよう、照合プロセスを見直した。しかし過去に起きた誤認定は、法廷では修正できない。第五十三条がそれを遮断している。
羽賀は廊下の蛍光灯を見た。
白い光が、静かに廊下を照らしていた。
通り過ぎた書記官が羽賀を一瞥して、何も言わずに行った。
しばらくそこに立っていた。
法廷の中から、審理が続く音がかすかに聞こえた。
羽賀には、もうできることが何もなかった。




