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『関与』  作者: なうなり
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第4章 第四十七条

堂島文雄(53)/一審裁判官

2038年10月某日深夜 東京地方裁判所 裁判官室


判決文を書き始めたのは、深夜十一時を過ぎたころだった。


堂島文雄は裁判官として二十六年のキャリアを持っていた。刑事事件だけで三百件以上を担当してきた。難しい事件、複雑な事件、証拠が薄い事件、感情が揺さぶられる事件。それぞれに苦労があったが、乗り越えてきた。


しかしこれほど判決文を書くのが辛い事件は、二十六年間で初めてだった。


裁判官室の蛍光灯が、微かに音を立てている。それ以外は静かだった。書記官はとっくに帰宅している。廊下も人の気配がない。堂島は一人で、判決文の最後の部分と向き合っていた。


被告人は無実だ。


それは疑いようがなかった。


この事件の審理を通じて、堂島が確信したのはその一点だった。秋山慎吾は爆破事件とは無関係だ。当日のアリバイは完璧に証明されている。久我翔との接点はない。真犯人は既に逮捕され、自白し、証拠も揃っている。


法廷でも、誰も無実を否定しなかった。


検察官は冒頭陳述でこう述べた。「被告人が本件爆破を実行したとは認められない」。弁護人は「被告人は完全な無実である」と主張した。堂島自身、心証として、この被告人が何らかの形で事件に関わったとは微塵も思わなかった。


それでも法律は明確だった。


国家安全保障特別法第四十七条。


条文を堂島は何十回読んだか分からない。この事件を担当してから、毎日のように読み返した。


「国家安全保障分析庁長官により特定危険指定を受けた者が、当該指定の効力発生後において、別表第一に掲げる国家重大犯罪に関与したと認められる場合、裁判所は、当該指定に係る認定の内容を事実とした上で審理を行うものとする」


そして第五十三条。


「特定危険指定を受けた者が被告人となる刑事手続において、当該指定の適否、指定に係る認定の内容及びその根拠については、これを争うことができない」


堂島は何度も解釈の余地を探した。


「関与したと認められる場合」という文言に引っかかった。被告人の車が使われたというだけで「関与」と言えるのか。常識的に考えれば、関与とは言えない。


しかし捜査記録には「事件関与履歴」が記載されていた。その記載の正否を、第五十三条は刑事裁判で争えないと定めている。国家安全保障分析庁の認定——特定危険指定——も同様だ。その事実認定を前提として審理せよ、というのが第四十七条だ。


堂島は上席裁判官に相談した。


答えは同じだった。「条文の文言上、適用を回避する解釈は困難です」。


書記官にも確認した。同じ結論だった。


弁護人は様々な主張をした。しかし第五十三条の壁が全てを遮断した。

堂島は判決文の本文を書き終えていた。事実認定の部分、証拠の評価、法律の解釈。残るのは結論だけだった。


ペンを持った。


止まった。


机の上のコーヒーカップに手を伸ばした。もう冷めていた。一口飲んだ。戻した。


窓の外は暗かった。東京の夜景が広がっていた。無数の光が点滅している。それぞれの光の下に、それぞれの人間がいる。秋山慎吾もかつては、その光の一つだった。


堂島はペンを取り直した。


「被告人が本件爆破を実行した事実は認定できない」


ここまでは書けた。


「しかしながら」


ここで止まった。


この「しかしながら」の重さを、どう表現すればいいのか。堂島には分からなかった。この二文字の後に続く言葉が、一人の人間の命を決める。


十分間、堂島は動かなかった。


それから書いた。


「しかしながら、被告人は国家安全保障特別法に基づく特定危険指定を受けており、本件重大犯罪への関与履歴が捜査記録上認められる。よって同法第四十七条の適用要件を満たす。これを前提として審理した結果、被告人を死刑に処する」


書き終えて、堂島はペンを置いた。


しばらく、動けなかった。


法律に従った。それだけだ。裁判官として、法律の解釈に従い、適用した。間違ったことはしていない。しかしその答えは、どこかひどく空虚だった。


翌日の法廷。


堂島は判決文を読み上げながら、被告人席を見なかった。


見ることができなかった。


「よって死刑に処する」という言葉を読み上げたとき、法廷が静まり返った。静寂の中に、かすかな音がした。被告人が息を吸う音だったか、誰かが椅子を動かす音だったか、堂島には分からなかった。


閉廷後、廊下で書記官が声をかけてきた。


「裁判長、顔色が悪いですよ」


堂島は何も答えなかった。


その夜、堂島は自宅で酒を飲んだ。普段は飲まない。しかしその夜は、グラスを二杯空けた。

法律は正しく適用した。しかし何かが間違っている。その感覚が、翌朝になっても消えなかった。


二週間後、控訴審が始まった。


堂島はその審理に関わらない。一審の担当として、役割は終わっていた。

しかし秋山慎吾のことを、堂島はその後もときおり思い出した。思い出すたびに、同じ問いが戻ってきた。


自分は今日、何をしたのか。


法律に従った。


それだけだ。


その答えは、いつまでも空虚なままだった。

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