第8話、開演の合図と調律のタクト
私が銀の杖を握り直し、シャルの横で深く腹式呼吸を整えたその時だった。
背後から、物理的な風圧を伴うような、肌を刺す高圧的な魔力の気配が近づいてきた。
(……ちっ。この、教科書通りに積み上げられた「心」の通わない冷淡な音色。
━━いちいち聞かなくてもわかるわ。本番直前に一番関わりたくないタイプね……)
「……ふん。養女の分際で、無能なベルベットの娘と傷を舐め合っているのか。アイゼンガルドの土を汚すのもいい加減にしたまえ」
振り返れば、そこには金髪を傲慢に揺らし、取り巻きの男子生徒二人を引き連れたエドワードが立っていた。
『エドワード・フォン・ジークハルト』
この国に君臨する四代侯爵家「四侯」の一人。彼が歩くたびに、懐に隠し持った魔導宝珠が、主の不快感に呼応してパチパチと青い火花を散らしている。
(出たわね。『初心者狩りのエドワード』。
ゲームの設定に忠実に、取り巻きを含めてきっちり三人編成……。まさにアクションゲーム序盤の『嫌味な中ボス・ユニット』そのものじゃない)
エドワードの隣に立つ二人の取り巻きも、家柄自慢の選ばれたエリートなのだろう。だが、私から見れば、彼らが纏う魔力の波形はどれも似たり寄ったりだ。
彼らにとって、数式を通さず「歌(感情)」を魔力に乗せる私の在り方は、完璧に調律された世界の楽譜を汚す「異物」でしかない。
「昨日の入学式では随分と目立ったようだが、あれは何らかの妨害工作だろう?
━━泥棒猫がブッシュバルドの名を語るなど、反吐が出る」
エドワードの挑発。
その瞬間、私の背後で、ライナスの瞳が音もなく絶対零度の「処分モード」に切り替わるのを、私は首筋を撫でる冷気で察知した。
(ひっ、ちょっと待ってライナス! 今ここで彼らを粉砕なんかしたら、私の学園生活が
『即・打ち切りエンド』になっちゃうからぁ!
手を出さないで、殺気も引っ込めてぇ!)
私はライナスの燕尾服の裾をこっそり指先で引き、それを合図に彼を制した。
そして、エドワードが放つ「ジークハルト流」の数式を、冷静に音楽理論で分析し始める。
(……ふむ。確かに精密で出力も高いけれど、リズムが単調すぎるわね。四拍子の繰り返しばかりで、転調の予備動作が丸見え。これ、今の私なら鼻歌を被せて『逆相』にするだけで、魔法そのものを消去できるわよ?)
すると彼は私の沈黙を「畏怖」と勘違いしたのか、鼻で笑って自分の位置へと戻っていった。
「はっ、今日の演習で、どちらが真にアイゼンガルドの名に相応しいか、徹底的に分からせてやろう。精々、不格好な鳴き声を晒さないことだな」
去り際の捨て台詞。
私は鏡のような微笑みを浮かべ、震えるシャルの隣で、静かに自分の「音域」を確認した。
(……いいわよ、エドワード。あんたの『完璧な数式』が、私の『歌』でどんな惨めな不協和音に変わるか、特等席で聴かせてあげるわ!)
・
演習開始を告げる重厚な鐘の音が、ドーム状の天井に低く反響した。
今回の課題はシンプルかつ残酷だ。各自の『数式魔法』を用いて、演習場に鎮座する無機質な金属標的ゴーレムの核を掌握し、互いに「どれだけ正確に動かせるか」を競う。
「……ふん、見ていろ。これが『四侯』ジークハルト家の正統なる術理だ!」
先陣を切ったのはエドワードだった。彼が掲げた魔導宝珠が、鋭い高周波と共に青白く発光する。そこから伸びたのは、一分の隙もない「数式の鎖」。
それが標的の一体に絡みついた瞬間、鈍重な金属の塊が、生き物のような滑らかさで右腕を振り上げた。
(……癪だけど、さすがは序盤の中ボスね。あの年齢で、あんな高密度な命令系統コードをノータイムで走らせるなんて。
並の魔術師なら、数式を脳内で組み立てるだけで鼻血を出して倒れるレベルよ)
取り巻きの二人も、それぞれ誇らしげに数式を叩き込み、ゴーレムに歩行や旋回の動作をさせていく。
かつてゲームをプレイしていた頃、この「初期エドワード・トリオ」の連携に完膚なきまでにボコボコにされ、冷たい『Game Over』の文字を飽きるほど見せつけられた記憶がムカムカと蘇る。
(なんか……思い出したら腹が立ってきたわ。でも、今の私のミッションは、そんな安い復讐じゃないのよ……)
私は、隣で完全に浮き足立ってしまっているシャルを見つめた。
エドワードたちの圧倒的な「数式の暴力」を目の当たりにし、彼女の瞳からは光が消えかけ、杖を握る指先は白く強張っている。
(……シャル。あなたの鼓動、走りすぎて今にも止まりそうよ。
……いいわ、プロの伴奏を聴かせてあげる。待ってなさい)
シャルの番が回ってきた。彼女が震える足で一歩前に出る。周囲の貴族たちから「無能なベルベットの娘に何ができる」という冷ややかな嘲笑が漏れる。
シャルが紡ごうとした数式は、彼女の指先で頼りなく揺れ、今にも霧のように霧散しようとしていた。
・
目の前で、エドワード様たちのゴーレムが完璧な動作を繰り返している。
それに引き換え、私の魔力は指先をすり抜けて、どこにも届かない。
(……怖い。やっぱり、無理なのかな……?)
「武人の娘」としての誇りが、今は重りとなって私の心を深い闇へと沈めていく━━。
けれどその時、隣に立つリーン様の凛とした、けれどどこか楽しげな横顔が視界に入った。
(……そうだわ。あの日――入学式の水晶暴走。リーン様も、私と同じ……いえ、私以上に複雑な『養女』という立場で、あんなに強い視線に晒されていた。
……なのに、彼女は怯えるどころか、あの荒れ狂う魔力を歌声一つで優しく『調和』させてみせた……)
あの日、心に刻んだまばゆい光。その瞬間に立ち会えたことが、どれほど私の救いになったか。
泥臭い努力の記憶が熱を帯び、私は意を決して、杖を高く掲げた。
キラッ……
(「?!……ここ!!」)
シャルの魔力が、一気に膨れ上がったのを私の『絶対音感』が捉えた。
彼女は、エドワードの「支配」に対抗しようとしている。でも、その魔力波形はまだガタガタで、今にも崩れそうだ。
(よし、ここからは私の『歌学』の出番よ!!)
「――━♫♪!」
喉の奥を、舞台の中央に立つプリマのように深く、かつ繊細に震わせる。
前世で培ったベルカント唱法。魔力を数式として組むのではなく、「音」という物理振動として、シャルの魔力に直接干渉する。
(シャルの主和音を私が拾って……対位法で補完。
……不協和音をすべて『テンション・コード』に変えて、世界のシステムを書き換える――『上書き(オーバーライド)』!!)
瞬間、演習場を支配していた冷たい「数式」が、艶やかな歌声に塗り替えられた。 シャルの杖から放たれた光が、ゴーレムたちに触れた刹那。
――キィィィィン……!
澄み渡るような、魂を揺さぶる和音が響き渡った。
ゴーレムたちはエドワードの命令を完全に拒絶し、物理的な変形を始める。鈍い銀色のボディは、巨大な「銀のパイプオルガン」や「ハープ」へと再構成され、勝手に私の歌の伴奏を奏で始めたのだ。
さらに、残された二体のゴーレムは、優雅に膝を折って私に一礼すると、一糸乱れぬバックダンサーとなって華麗なワルツを踊りだす。
「な……なんだこれは。何が起きているんだ!? 標的が……楽器になった!? 支配数式が……歌でハックされたというのか!?」
周りの教師たちが腰を抜かし、エドワードは持っていた魔導宝珠を落として呆然と立ち尽くしている。破壊も支配も超えた、圧倒的な「調和」。
「リーン様……見て! 私の魔法が……笑ってるわ……!」
満面の笑みで私に振り返るシャル。彼女を縛っていた呪いは、今、最高の旋律へと書き換えられていた。
「………。流石はお嬢様。………世界が、貴女の旋律に跪いております」
背後でライナスが、狂信的なまでの崇拝を込めて私を仰ぎ見ていたが……今は、シャルの勇気が報われたことが、何よりの勝利だった。
(……ふぅ。これで生存フラグも、シャルの救済も、一石二鳥ね。……でも、これ、明日からもっと目立っちゃう気がするんだけど!?)
私の懸念をよそに、学院の歴史を塗り替える歌声は、いつまでも演習場の高い天井に響き渡っていた。




