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第7話、音大生(わたし)の覚悟 

 重厚な石造りの扉が左右に開かれた瞬間、私の肌を叩いたのは、数千年の歴史が蓄積した濃密な魔力の「匂い」だった。


アイゼンガルド学院、中央演習場。


 そこは天を仰ぐほどに巨大なドーム状の空間だ。外光を遮断した薄暗がりの中、壁面を埋め尽くす防護術式が、暴走した魔力を食らう青白い幾何学模様エーテルラインとなって、生き物のように拍動している。


 一歩踏み出すごとに、硬質な床がコツンと高く反響した。静寂の奥から、幾重もの魔法が発動し、霧散していった残響が耳の奥を震わせる。大気はしびれるような微弱な電流を帯び、露出した首筋の産毛が逆立つのがわかった。



「………うわぁ。これ、ゲームの背景画イラストで見た時より、百倍くらい凄みがあるわね……」


 私は、横に並んで歩くシャルの歩調に合わせながら、思わずそんな独り言を零した。


 この学院の伝統にして最大の特徴、それは『術理の伴走者バディ』を伴う実技演習である。


 私の背後には、燕尾服のしわ一つなく、影のように静かに付き従うライナスがいる。

 彼が放つ、周囲を寄せ付けない「絶対零度の静寂」は相変わらずだが、今日、私の目を奪ったのは他の生徒たちの背後に控える「()()」たちだった。


 (……ちょっと待って。あそこの生徒の従者バディ、二メートルを優に超える半巨人ハーフジャイアントじゃない。あ、こっちは透き通るような肌のハイエルフ……。

 えっ、あそこに浮いてるの、蒸気を吹き出しながら歯車が回転してる機械生物(!?)よね、あれ!)




 私は、前世でこのゲームのアドベンチャーパートをプレイしていた時の記憶を必死に掘り起こした。


(思い出したわ……! 画面の端っこに小さく描かれていた立ち絵や、設定資料集の『没案・その他種族』のページにいた子たちだ!

 当時は『モブにまで気合入れすぎでしょ』って笑ってたけど、実物で見ると情報の解像度が狂ってるわよ!)


 エルフの耳の尖り具合、機械生物から漏れるオイルの匂い、半巨人が踏みしめる石畳の微かな振動。




 それは、単なる「魔法の世界」という言葉では片付けられない、多様性と執念が入り混じったカオスな光景だった。


(このゲームの制作陣連中……これ絶対自分たちの趣味を詰め込めるだけ詰め込んだわね!?

 モブ一人ひとりに専用のモーションと背景設定を盛るなんて、どれだけブラックな開発環境だったのよ! 戦々恐々っていうか、この世界の『作り込み』そのものに殺されそうな気分だわ……)


「っ?!」


 そんな、運営の狂気すら感じさせる異種族のパレードに圧倒されていた私の視界に、ふと、隣を歩くシャルの小さな手が映った。

 彼女は三つ編みの先を指で弄りながら、いつになく真剣な、どこか悲壮感すら漂う表情で前を見据えている。


「……リーン様。私、頑張らなきゃ。ベルベットの家名を汚すわけにはいかないもの……」


 シャルの呟きは、周囲の喧騒に消されそうなほど小さかったけれど、私の耳にはどの魔導具の駆動音よりも鋭く、切なく響いた。


(……シャル。気合が入ってるのはいいけど、その『リズム』、すごく危ういわよ)


 彼女の歩幅は一定ではなく、呼吸は浅く速い。


 音大生わたし的に言えば、本番前の緊張でテンポが走りまくっている状態だ。




ピィーーーーーーーー!!



 整列を促す教官の鋭い笛の音が、ドーム状の演習場に反響した。


 私の隣で、シャルが「ひっ」と短く息を呑み、肩を震わせる。その興奮と、隠しきれない一抹の不安。

 彼女の背負う「軍門の娘」という重圧が、濁った不協和音となって私の鼓膜をチリチリと焼いた。


(……やっぱり。この子のリズム、完全に崩れてるわ)



 その悲痛な姿に、私は前世の「()() ()()()」としての原風景を重ねていた。






 音大に入ったばかりの頃━━


 死に物狂いの受験勉強と、喉を壊す寸前までの発声練習で勝ち取った、たった一枠の「特待生枠」。


 しかし、待っていたのは華やかなキャンパスライフなどではなく、一度でもコンクールで音を外せば、あるいは試験で評価を落とせば、即座に支援を打ち切られ路頭に迷うという、崖っぷちの現実だった。




(……あの頃の私は、全然音楽を楽しんでなんていなかったわ。ただ、明日を生き残るために歌ってた……)


 周囲の才能溢れる同級生ライバルたちに追いつくため、私は「心」を捨てた。自分をただの「正確な周波数を出す機械」にまで磨き上げ、食事中も、歩いている時も、寝る直前までメトロノームの音を脳内に響かせていた。


 いつしか、周囲からは「あの子には血が通っていない」「人間楽器だ」と揶揄されるようになったけれど、私はそれを「()()()()()()()」だと自分に言い聞かせて、さらに自分を追い込んだのだ。


(……今のシャルの顔。あの時の私に、そっくりじゃない)


 ふと、杖を握りしめるシャルの手元が目に入った。


「っ?!」



 冬の朝の冷気にさらされた彼女の袖口から、わずかに覗く手首。そこには、数枚の救急絆創膏と、軍用の硬い魔導具との摩擦でできたであろう、赤()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()があった。


(………。設定では知っていたけれど……本物は、こんなに痛々しいの?)


 ゲーム『氷の冠と銀の調べ』の資料集の端に、一行だけ書いてあった一文。

 ――『シャルロッテは、自身の魔導適性の低さを、血の滲むような反復訓練で補おうとしていた』。


 その「反復訓練」の重みが、今、私の目の前で生々しい傷となって証明されている。




 彼女は天才じゃない。


 だからこそ、誰よりも泥臭く、不器用に、何度も何度も同じ数式を、同じ動作を繰り返してきたのだ。自分の肉体が悲鳴を上げるまで。





(………決めたわ。もう迷わない)


 私の内に眠る「音楽の亡者」が、静かに目を覚ます。

 前世の私が、血を吐く思いで指を動かし、喉を枯らして手に入れた、あの「人間楽器」としての技術。


 それは、単に自分の生存のためだけに使うべきものじゃない。


(こんなに頑張っているこの子の『足掻き』を、ただの『不協和音バッドエンド』で終わらせてたまるもんですか。

 ……私が、この子の努力を最高の『旋律』に書き換えてやるわ)

 私は、鏡のような冷徹な決意を瞳に宿し、震えるシャルの隣で、そっと肺いっぱいに空気を溜めた。

 

 生存戦略としての「演技」じゃない。

 これは、音大生わたしとしての、プライドをかけた「共闘」の始まりだった。





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