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第6話、学院初日のオリエンテーション 

 アイゼンガルド学院の正門をくぐった瞬間、馬車の窓の外に壮麗な校舎が姿を現した。

 抜けるような青空にそびえ立つ白亜の尖塔は、まるでお城のような美しさだ。前世で画面越しに何度も眺めたあの光景が、今、圧倒的な存在感をもって私の目の前に広がっている。


「リーン様、おはよう! 待っていたわ!」


 馬車の扉が開くと同時に、三つ編みのポニーテールを揺らして駆け寄ってきたのは、親友のシャルロッテだった。


「おはよう、シャル。……そんなに急いで、転びはしなかった?」


「ええ、大丈夫! 早くリーン様に、この学院のことを教えたくて………。えっとね、あそこが私たちが授業を受ける講義棟よ。一階は大きなホールになっていてね……」


 シャルは、付き添いの女騎士ロレッタに「お嬢様、落ち着いてください」と苦笑されながらも、一生懸命に学院の案内をしてくれた。

 

(……尊い。何この親切なチュートリアル。前世の大学初日、掲示板の前で一人ぼっちで立ち尽くしていた私に見せてやりたいわ!

シャル、あんたは私の専属ナビゲーターね。頭の中では拍手喝采の嵐よ!)


 幸運なことに、クラス分けもシャルと同じ。

 私は表面上、クールな公爵令嬢を装いながら、心の中では激しくガッツポーズを決める。


 期待に胸を膨らませ、シャルと連れ立って教室の扉をくぐる。差し込む朝日に照らされた教室内は、磨き上げられた机が整然と並び、独特の緊張感と高揚感に包まれていた。


 「みてみて、リーン様。私たちの席、隣同士だよ」


「……ふふっ、そうね……」


 シャルの弾むような声に頷き、私はあくまで優雅な所作で指定された席へと腰を下ろす。

 周囲の生徒たちから注がれる羨望と好奇の視線を、公爵令嬢としての「完璧な仮面」で受け流しながら、心の中では

(よしっ!シャルの隣とか気が利くわね!……神様ありがとうございます)

 などと、荒ぶる心を必死に抑え込んでいた。






 やがて予鈴が響き、重厚な足音とともに教師が入室してくる。私は背筋をピンと伸ばし、これから始まる学園生活、そしてシャルとの「癒やしの時間」に思いを馳せながら、教科書を机に広げた。



  ━━しかし、幕を開けた学園生活は「癒やし」とは程遠い、苛烈なスパルタの世界だった。

 『国語』や『マナー』は、前世の音大で叩き込まれた発声法や舞台での振る舞いが功を奏し、鼻歌まじりにこなすことができた。

 問題は、魔法の演算を司る『数論(数学)』である。


 「……では、この数式を読み解き、魔力の収束点を導き出しなさい」


黒縁眼鏡をかけ直しながら教師が黒板に書き殴ったのは、現代の大学生ですら発狂しそうな、微分積分をさらに複雑怪奇にこじらせた難問。


 級友クラスメイト達が「人間が解くレベルじゃない……」と絶望し、静止画のように固まる中――。

私の目には、それが『()()()()()()()()』に見えていた。


 (あ、これ、ポリリズム(複合リズム)の構造と同じだわ。拍がズレているようでいて、最後には完璧な一音になるよう設計されている)


 音大生にとって、複雑なスコア(総譜)を読み解くのは日常茶飯事。この世界の「数式」は、私にとっては「少し変拍子がきつい楽譜」に過ぎない。


 「……できました。先生、これでよろしいでしょうか?」


 サラサラと解答を書き終え優雅に挙手した瞬間、教室は奇妙な沈黙に支配され、先生は眼鏡を何度もかけ直していた。


 「……正解だ。いや、正解なのはもちろんだが……君、まさかこれを暗算で?」


 「えっ?……ただ、そこにあるべき『音』を置いただけですわよ…」


 微笑む私の背中を、冷や汗が伝う。

     

 うっ、やばい……また「天才キャラ」を盛りすぎたかもしれない。けれど、過酷なこの世界で生き残るには、替えの利かない「駒」であると証明し続けなければならないのだ。

 









「……リーン様、あの!」



 講義が終わり教室を出るなり、背後から弾かれたように駆け寄ってきたのはシャルだった。

 彼女は私の前でぴたりと止まると、何かを言いたげに口をパクパクさせ、潤んだ瞳をキラキラと輝かせている。


 その様子は、まるでご主人様に全力で尻尾を振る子犬――それも、か弱く愛らしいチワワのようだ。


「さ、先ほどの講義のお話……痺れました! あの多重演算の構成、まるで……神話の魔法陣をそのまま書き換えるような、そんな神々しさで……っ!」 


 言葉が追いつかないのか、シャルは小さな拳を握りしめて身悶えしている。その直球すぎる眩しい崇拝の眼差しが、罪悪感にまみれた私の胸を鋭く刺した。


(うぐ………)


「……ええ。ただ、そこにあるべき論理の結び目を、少しだけ解いて差し上げただけですわ」


 私は扇で口元を隠し、あくまで「当然のことをしたまで」という風に目を伏せた。だが、内心では必死に自分を叱り飛ばしている。


 (ま、眩しい! シャルの純粋な瞳が痛い……! 現代音楽どころか、今の私はただの『カンニング気味の音大生』なのよ。あんな複雑な理論、本当は数式の原型が譜面に見えたから適当に音を当てはめただけなんだから!)


 「私、リーン様のような高みに少しでも近づけるよう、今日のノートは家宝にして一生読み込みますわ……!」


「 へ、へえ……そう……熱心なのは良いこと……ですわね。……ふふ」


 頬の筋肉がピクピクと痙攣するのを、優雅な微笑みで塗りつぶす。

(やばい、期待値が天元突破してる。

 ……次こそはもう少し『()()』っぽく、計算を間違えたふりでもしてバランスをとらなきゃ。このままだと、そのうち本気で

 「空中浮遊くらい余裕ですよね?」とか言われかねないわ……!)





         ・





━━午前の座学を終え、私はぐったりとした脳を抱えながら、ライナスのエスコートで食堂へと向かった。




 午前中の「数論無双」で、すっかりクラスメイトたちの引きった視線を集めてしまった私。


 暴れ出したい欲求を必死に抑え、澄まし顔をキープしながら歩を進める。

たどり着いたそこは、食堂というより、巨大な王宮の広間そのものだった。

 主人が席に着くと、お付きの従者が背後にピタリと控え、まるで魔法のように次々と料理が運ばれてくる。


「リーン様、こっちよ!」


 シャルがブンブンと手を振って、私を誘ってくれる。

 彼女と向かい合わせに座り、背後に控えるライナスに、ずっと気になっていた「素朴な疑問」を投げかけてみた。


「………ねえ、ライナス。私たちが授業を受けている間、あなたたちは何をしていたの? ずっと外で立っていたわけじゃないでしょう?」


 ライナスは一滴の無駄なくスープを私の前に置きながら、涼しげな顔で答える。


「従者の過ごし方は様々です、お嬢様。自己研鑽のために訓練場に籠もるストイックな者もいれば、図書室で知識を蓄えるインテリな者

 ……あるいは、中庭でまったりとティータイムを楽しむエンジョイ派もおります」


「……へぇ。意外とホワイト職場なのね。あ、ホワイトっていうのは、自由で快適って意味よ」


(……死神ライナスがティータイム。想像するとシュールすぎるけど、この世界の『従者バディ』って、主人の盾であると同時に、一つの専門職として尊重されてるのね。ちょっと感心しちゃったわ)


 隣ではロレッタがシャルのために肉料理を切り分けながら、「ライナス、あんたは午前中、お嬢様が使う演習場の数式を裏で全部チェックして、異変がないか調べてたんだろ? 相変わらず過保護ねぇ」と茶化している。

 ライナスはそれを完全に無視し、

「お嬢様の安全を第一に考えるのは当然の責務です」と冷淡に返した。


(……責務っていうか、それって、完全にステージの事前検分ロケハンじゃない。どんだけ私を過保護に守る気なのよ。……まぁ……悪い気はしないけどさ……)


 シャルと笑い合いながら、美味しい食事を楽しむ。

 一瞬、ここが「アクションアドベンチャー」の世界であることを忘れるほど、穏やかな時間。

 だが、学食を出る際、私は壁に掲げられた『聖詠暦カレンダー』の数字を盗み見た。


(……次は午後の授業。いよいよ『魔導実技』。魔法を実際にぶっ放す、アクションゲーの本番ね)


 演習場に向かう道中、私はシャルの顔が少し強張っているのに気づいた。

 彼女は軍門の娘。周囲からの「強くて当たり前」という期待が、不協和音プレッシャーとなって彼女の小さな心を締め付けているのだ。


(……大丈夫よ、シャル。あんたのバグは、私が全部歌でデバッグしてあげるから)


 私はライナスのエスコートを受けながら、魔力を帯びた重厚な演習場の扉へと向かった。


(……さあ、開演よ。音大生わたしの初陣、見せてあげるわ!)

 


 

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