第5話、リーン・ブッシュバルドの生存戦略
(カチ、カチ、カチ……)
視界の端、空中に浮かぶ半透明の「システム・メトロノーム」が、無慈悲にリズムを刻んでいる。
この世界の住人には見えない
━━転生者であり、ゲーム『氷の冠と銀の調べ』のプレイヤーであった私にだけ見える、残酷なタイムリミットだ。
(……あと、二回。この世界独自のカレンダー『聖詠暦』が二度目の冬の聖誕祭が来るまでに、私はこの曲を完奏しなきゃいけない)
二年の猶予。
そこが楽曲の終止線。
それまでに、私を「不要なノイズ」として廃棄しようとする義父の評価を書き換え、隣で微笑む裏ボス・ライナスの「殺戮プログラム」を完全に上書き(ハック)しなきゃ、私の人生はそこで強制終了リトライ不可。
(……笑えないわよね。前世の死因だって、結局はこれ(リズム)のせいだったんだから)
思い出すのは、あの雨の夜。
音大のコンクール直前、私は自分の歌唱リズムに納得がいかず、録音機を握りしめて夜道を歩いていた。
「あと〇・五秒、ブレスが早い……! ここを詰めなきゃ、私のベルカントは完成しない……!」
……そう、完璧な「休符」を求めて一歩踏み出した先が、下り坂をノーブレーキで突っ込んできたトラックの進路だった。
(はぁ………ほんとバカよね。音楽にのめり込んで、現実の交通規則を無視するなんて。まさに自業自得、音大生の鑑というよりは、ただの音の亡者よね……)
━━だからこそ、今度は間違えない。
この世界は、完璧な「数式」という楽譜通りに動くことを強要する、冷たくて残酷なオーケストラ。
一歩間違えれば、今度はトラックじゃなく、ライナスの即死コンボが飛んでくる。
(………けど、残念だったわね。この世界の神様だか運営だか知らないけれど……)
私は鏡の中の、十二歳の可憐な少女――リーン・ブッシュバルドの瞳を強く見据える。
(私は、杉並ヒナ。音を外したまま演奏を終えるなんて、私のプライドが許さないわ。
不協和音だらけのこのシナリオ、私の『歌学』で全部デバッグ(調律)して……ライナスの即死コンボより先に、私がこの世界のタクトを奪ってやるんだから!)
――「お嬢様、出発のお時間です」
扉の向こうで、死神の声が響く。
私は大きく腹式呼吸をして、肺いっぱいに「覚悟」を吸い込んだ。
・
ガタゴトと揺れる公爵家の馬車。その豪華な革張りシートに身を沈めながら、私は膝の上で指を動かしていた。
ピアノの鍵盤を叩くように、あるいは見えない五線譜に音符を並べるように。
(……改めてこの世界のシステムを整理しましょう。冷静に、音大生の視点でね)
窓の外、流れる景色を見つめる私の横では、ライナスが彫刻のような横顔で外の警戒を続けている。彼が信奉するこの世界の魔法体系は、大きく分けて三つ。
一つ目は、主流の『数式魔法』。
これは現代のプログラミングに近い。膨大な数値を組み上げ、論理的に現象を引き起こす。
(でも、正直言って非効率すぎるわ。
音大で学んだ「和声学」や「対位法」の視点で見れば、この世界の数式は『無駄な装飾音』だらけのクソコードよ。もっと簡潔な和音で構成できるはずなのに)
二つ目は、高等技術の『虚式召喚』。
概念や異界の存在を呼び出す、いわゆる召喚術。
(これは「ソルフェージュ(聴音)」の世界ね。呼び出す対象の固有振動数を聞き分け、自分の魔力を同調させる作業。絶対音感がある私なら、他人の召喚獣を『調律』して奪うことだって理論上は可能だわ)
そして三つ目。運営(神様)にさえ忘れ去られたバグ技、『歌学』。
私の前世、声楽専攻としての知識――ベルカント唱法や腹式呼吸を魔力循環に直結させる技術。
(数式を通さず、私の『声』という振動で世界そのものを直接書き換える。
既存の魔法体系を内側からハックする、まさに禁じ手ね)
「……お嬢様。先ほどから、非常に鋭い眼差しをされておいでです。……もしや、昨日の無礼な客の影響で、体調を崩されたのでは?」
不意に、ライナスの低い声が鼓膜を震わせた。見れば、彼は心配そうに私の額に手を伸ばしかけている。
「……ひゃっ! い、いえ、大丈夫よライナス。ただ、これからの二年間……いえ、学院での『カリキュラム』をどうこなそうか考えていただけだわ」
「左様でございますか。……お嬢様の才があれば、あのような泥臭い数式の羅列など、習得にひと月もかかりますまい。……私が、不要なノイズは全て排除して差し上げます」
(その『排除』が怖いのよ! あんた、私の成績が悪かったら私ごと排除する設定だったでしょ!)
私は引き攣る笑顔を窓の外へ向けた。
学院の巨大な尖塔が見えてくる。そこには、最初の攻略対象にして「不協和音」の予備軍、シャルロッテが待っているはずだ。
(まずはシャル。彼女の『軍人の娘』としての過度な緊張を、私の『歌学』でリラックスさせてあげるのが今日のメインミッションね。)
馬車が学院の正門をくぐり、石畳を鳴らして停車する。
扉が開かれた瞬間、待機していた生徒たちの視線が一斉に突き刺さった。
「――お嬢様。アイゼンガルドへようこそ」
ライナスが恭しく手を差し出す。
私はその手を取り、優雅に、けれど内心では「デバッグ(生存戦略)」の開始ボタンを強く連打しながら、一歩を踏み出した。
拝読していただきありがとうございます。
明日はお休みで、8日に1話更新。その後は月曜日と金曜日の週2回更新となります。




