第4話、武人の娘とティータイム
アイゼンガルド学院の入学式という「歴史的やらかし」から一夜。
私は、義父ブッシュバルド卿から届いた「親バカ指数200%」の怪文書を、そっと心の奥底へ封印したところだった。
「ふぅ……。さて、今日は休日。ライナスの機嫌を損ねないようにしつつ、次の『歌学』の構成でも練ろうかしら……」
チリンチリンチリンッ……
私がのんびりと紅茶を啜っていると、突如、公爵邸の重厚な玄関ホールに、遠慮がちで、けれど必死な呼び鈴の音が響き渡った。
「……お嬢様。本日の予定に、来客の記録はございません。……休日の平穏を乱す不届き者が現れたようです」
背後に立つライナスの声が、一瞬でマイナス四十度の殺気を帯びた。
彼の周囲の空気がピキピキと音を立てて凍りつき、絨毯にはうっすらと白銀の霜が降り始めている。
(ひっ……! 待ってライナス、殺意が漏れすぎよ! 物理的に排除しに行こうとするのはやめて、普通に開けてちょうだい!)
………なんて重苦しい本音を口に出せるはずもなく、私は引き攣った笑顔を必死に張り付けて、彼を制した。
「……ライナス。どなたか存じませんが、わざわざ足を運んでくださった方よ。丁寧にお迎えして差し上げて?」
「……。畏まりました、お嬢様。……『客人』であれば、それに相応しい、痛みのないおもてなしを心がけましょう」
(「痛みがない」って何!? 結局排除する前提じゃないのよ!)
ライナスは不承不承といった様子で、指先一つで玄関の鍵を解錠し、音もなく扉を開いた。
そこには――。
「あ、あのっ……! ご、ごきげんよう、リーン様……! お、お邪魔じゃなかったかしらっ……!?」
ひょっこりと入り口から顔を出したのは、三つ編みのポニーテールを一生懸命に揺らす、小動物のように愛らしい少女。
(………あ、忘れてたわ。この子、シャルロッテ・フォン・ベルベットちゃんじゃない!)
私は反射的に立ち上がり、彼女を迎え入れた。
『シャルロッテ・フォン・ベルベット。』
シャルは、私の数少ない幼なじみだ。親は国防の要、軍艦系の重役を務める「アイアン・フォン・ベルベット」侯爵。蝶よ花よと育てられた、正真正銘のサラブレッドお嬢様である。
「シャル、久しぶりね。よく来てくれたわ。………ライナス、お茶の準備を。客人へ最高のおもてなしを」
「………。畏まりました、お嬢様」
ライナスは流れるような所作で、すぐさま二人のためにお茶の準備を始めた。
私はソファに座るシャルを見つめながら、前世の記憶を掘り起こす。
(………ゲームでの彼女は、庇護欲をそそる癒やし系ヒロイン候補。でも、その実家は『不沈の鉄壁』と呼ばれる武門の家系……。全く、羨ましい限りだわ。この「光属性」の塊のような可愛さ、少し分けてほしいくらいよ)
そんな私の皮肉めいた称賛をよそに、ライナスは甲斐甲斐しくシャルの世話を焼き始めた。
銀のトレイを捧げ持ち、完璧な角度で紅茶を注ぐ。
その姿は、まさにお手本のような執事そのもの………だが━━
(あらっ?ライナス……ちょっとだけぎこちないわね)
私は、チラリとライナスの横顔を盗み見た。
一見、いつも通り無表情だが、その指先の動きがわずかに硬い。昨夜の「甘え攻撃」による情緒のバグが、まだ彼の正確な演算回路を狂わせているのだ。
(ふふ、答えを知っているのは私だけ。それよりも………そろそろね)
私はティーカップを置き、次の「イベント」が扉を叩く瞬間を、静かに、そして確信を持って見計らっていた。
・
ドンッドンッ━━
「たのもぉーー!邪魔するわよ、死神執事ぃ!
━━相変わらずカビ臭いほど精密な術式を組んでるわね、ここは!」
静寂を物理的に叩き割るような、凛として、かつ豪快な女言葉。
扉を「開ける」というより「突破」して入ってきたのは、スラリとした長身に、上品で華やかな赤い部分鎧を纏った女性騎士――ロレッタだった。
「………はぁ。相変わらず無礼な足音だな、ロレッタ」
背後に立つライナスの声が、ドスの利いた低音に変わる。
二人の間に火花が散る中、ロレッタは甲斐甲斐しくシャルのお世話をしているライナスを、ニヤニヤと眺め回した。
「まあまあ、固いこと言わないのライナス! 相変わらずお手本みたいなお世話ねぇ。でも、ちょっと動きが硬くない? まるで錆びついたゴーレムみたいだわ」
ライナスの眉間に深い皺が刻まれる。それを柳のようにかわすと、ロレッタは不安そうに身を縮めるシャルの背を、強く、けれど温かく叩いた。
「ほら、シャルの良いところを見せてやりなさい。あんたはベルベットの娘なんだ。軍艦の装甲みたいに厚かましく、言いたいことをぶちまけちゃえばいいのよ!」
「ロレッタさん、失礼ですよっ………! でも………」
シャルの瞳に、わずかな勇気が宿る。ロレッタは軽口を叩きながらも、シャルの「武人の娘」としての芯の強さを引き出そうとしているのだ。
シャルはおずおずと、けれど真っ直ぐに私を見つめ、ギュッと小さな拳を握りしめる。
「………リーン様。入学式の日……水晶が暴走した時、私もいたんです。……本当は、貴女を助けに行かなきゃいけないって思ったのに、足がすくんで、何もできなくて………」
シャルの瞳に、後悔の色が滲む。
本来のゲームシナリオなら、彼女はここで「無能な自分」に絶望し、バッドエンドへと突き進むはずのキャラだ。
(……ああ、やっぱり。この世界の『数式』は、彼女のような優しい子にさえ、残酷な役割を強いるのね)
私は無意識に、喉の奥で柔らかな音を鳴らした。
シャルを縛り付ける「罪悪感」という不協和音を、そっと書き換えるための旋律。
「……そんな不甲斐ない自分を助けてくれた貴女に、………あ、改めて、お友達になっていただきたいのです……!」
シャルの必死な告白に、私は微笑んでその手を取った。
「……ええ、喜んで。シャル、私たちはもう、ただの幼なじみじゃないわ。……本当の意味での、お友達よ」
その瞬間、シャルの顔がパッと花が咲いたように明るくなった。彼女を覆っていた重苦しい空気――世界のシステムが押し付けたバッドエンドの予兆が、私の指先から伝わる微かな旋律によって「調律」され、霧散していく。
「……よかったぁ。私、嫌われちゃったかもって、ずっと怖くて……。リーン様、ありがとうございます……っ!」
シャルは感極まったように、私の手を両手でぎゅっと握り返した。その瞳に溜まっていた涙が、今度は安堵の輝きとなって零れ落ちる。
「っは! やったじゃない、シャル! さすがアタシが見込んだお嬢様だわ、この肝の据わり方はベルベットの血筋そのものね!」
ロレッタが豪快に笑い、シャルの背中をパァンと景気よく叩く。
「……。お嬢様の慈悲深さは、アイゼン山脈の深雪よりも深く、広大でございますから。シャルロッテ様、貴女がその価値を理解されたのであれば、執事としてこれ以上の喜びはございません」
ライナスもまた、お世辞を交えつつも、どこか誇らしげに目を細めた。昨夜のぎこちなさが嘘のように、その声には温かな響きが混じっている。
この閉鎖的な公爵邸の応接室が、一瞬だけ、死にゲーの世界であることを忘れるほど、柔らかな光に包まれた。
━━それからの一時間は、驚くほど穏やかに過ぎていった。
前世の女子大生としての知識を総動員して、流行りの焼き菓子の話や、学院の厳しい校則への文句など、たわいもないお喋りに花を咲かせる。
ライナスはまるで影のように寄り添い、二人の会話が途切れる絶妙なタイミングで、温かなおかわりを注ぎ続けた。
ロレッタも最初はライナスを茶化していたが、次第に私の「歌学」の理論に興味を示し、武人らしい鋭い視点で質問を投げかけてくる。
殺し合いと絶望がデフォルトのこの世界で、こんなにも「普通」の、女の子同士の時間が持てるなんて。
窓から差し込む西日が、絨毯の模様を長く引き伸ばし始めた頃。
シャルはようやく、名残惜しそうにソファから腰を上げた。
「……あっ、もうこんな時間! お父様に怒られちゃうわ」
「……リーン様、また学院でね! さようなら!」
シャルは満面の笑みで大きく手を振り、軽やかな足取りで玄関へ向かう。ロレッタもそれに満足そうに頷き、去り際にライナスの肩を叩こうとしたが――。
「さーて、それじゃあ私も帰りますか。じゃあな死神。またお嬢様同士、仲良くさせてもらうわよ!」
「……。さっさと帰れ。……シッ、シッ!!」
ライナスはまるで害獣を追い払うかのような無慈悲な手つきでロレッタの腕を払い、そのままバタン! と扉を閉めた。
嵐が去った後。
テキパキと「除菌」と称した片付けに精を出すライナスの背中を見ながら、私は窓の外を見つめた。
(……生存フラグのために始めた『歌学』だけど。……こうして誰かの運命を書き換えるのも、悪くはないわね……)
その隣で「不潔な魔力が残留しています。お嬢様の肺が汚れる前に浄化を!」と過保護を爆発させる激重執事に怯えつつも、リーンは確かな手応えを感じていた。




