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第21話、銀盤の死神が生まれた日(其のニ)

 視界が、白く濁っていく。


 どれほどの距離を歩いただろうか。喉は焼け付くように乾き、足の感覚はとうに消えていた。


 目を閉じるたび、あの日の熱い爆風とすべてを焼き尽くした黒い煙が鼻腔をくすぐる。

 崩れ落ちる家々の隙間で、ただ泣き叫ぶことしかできなかった幼い自分が、今の惨めな姿に重なっていた。


 生き延びてしまったという罪悪感と、止まらない身体の震えだけが、辛うじて僕がまだ生きていることを証明している。



 ──アイゼンガルド領内へと入り込んだ僕は、冷たい石畳の上に糸が切れたように倒れ込んだ。遠のいていく意識の端で、誰かの無作法な足音と下品な笑い声が聞こえた。


 「ぎゃははっ、おい見てみろよ。こんな所に『燃え残り』が転がってるぜ」


 薄汚れた軍服を着た男が僕の体を爪先で手荒に転がす。


 彼らは戦場を這い回る火事場泥棒同然の兵士だった。焼け野原になった街で、死体から金品を剥ぎ取る――そんな最低な連中だった。


 「ちっ、シケてやがる。金目のもんなんて何もありゃしねえ。……おい、こいつをどっかに売り飛ばせば、酒代くらいにはなるんじゃねえか?」


「よせよ、そんなガキ、……二束三文だ。それよりあっちの貴族街へ――」


 兵士が不満を漏らしたその瞬間、周囲の空気が不自然なほど急激に温度を下げた。

 コツ、コツ、と規則正しく、氷を叩くような足音が近づいてくる。


「……ッ!? な、なんだありゃ……」


 兵士たちの視線の先。

 陽光を跳ね返すほど真っ白な装束に身を包み、鳥のくちばしのような不気味な仮面を思わせる異様な風体の男が、音もなく佇んでいた。


「……ひっ、『白ずくめ』かよ。おい、逃げるぞ! こいつは軍の暗部、異端の部隊『粛清パージ』の研究員だ!」


 相方の兵士が震える声で叫ぶ。

 彼らにとって、その白装束は死神の象徴だった。戦場から「素材」を拾い集め、生きたまま人間を壊す、軍内部でも恐れられる狂気の一団。


「あ、あんた! このガキを差し出すから見逃してくれ!」


 兵士たちは僕を放り出すように差し出すと、蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていった。


 残されたのは意識が混濁した僕と白装束の男。

 男は仮面の奥から、品定めをするような冷酷な視線を僕に向けた。

「……相変わらず、野蛮な連中だ。我らの評価を理解しようともしない……」


 男は独り言のように呟くと懐から奇妙な形をした計測器を取り出し、僕の頭部にかざした。

 カチカチカチ……と、無機質な音が静寂に響く。


「……ほう。これは、存外な拾い物を得たな。……魔力共鳴値が理論上の限界点に近い……」


 仮面の奥で、満足げな、粘りつくような笑い声が漏れた。

 男は抵抗する力もない僕の襟元を掴み、引きずるようにして闇の中へと連れ去っていく。


 ――僕が次に目覚めた時、そこはもう「人間」の世界ではなかった。




        ・





 ━━ドサッ、と。

ゴミ袋でも放り出すような無遠慮な衝撃で、僕の意識は強制的に覚醒させられた。


「……っ、……あ……」


 冷たい石畳の感触が頬に伝わる。そこは、アイゼンガルド学院の外縁部――その広大な敷地のどこかに位置する、窓一つない巨大な地下石室だった。


 当時の僕の知識では、ここが正確にどこなのかを理解する術はなかったけれど、淀んだ空気の匂いと、壁の向こうから聞こえる巨大な機械の駆動音が、ここが「普通の世界」ではないことを物語っていた。


 どれくらいの時間が経ったのだろうか。


 数時間か、あるいは数日か。


 体中には、最低限の「生かしておくため」の応急処置が施されているようだったが、裂けた足の裏も、瓦礫で打った背中も、ズキズキと脈打つような痛みは一向に引かない。


(お父さん……お母さん……。……寒いよ、怖いよ……)


 暗闇の中で、ネガティブな思考が泥濘ぬかるみのように渦を巻く。

 僕が死んでも、誰も気づかない。あの日、あのアップルパイの匂いと一緒に、僕の居場所はすべて消えてしまったのだから。

 絶望に押しつぶされそうになり、声も出せずに震えていたその時だった。


「……おい、1042番。立て。移動だ」


 重い鉄の扉が開き、表情を消した兵士が僕の腕を乱暴に掴み上げる。

 抵抗する力もなく引きずられるようにして連れて行かれた先は、淡い燐光が灯る、さらに広大な地下ホールだった。


 そこには、僕と同じように「白ずくめ」の男たちに拾われた子供たちが、何百人も詰め込まれていた。みんな、一様に死んだ魚のような目をしている。希望も、怒りも、もはや涙さえも枯れ果てた、空っぽの器たちが。


「……ねえ、君。生きてる?」


 そんな時、湿った暗い隅っこから一人の少年が声をかけてきた。

僕より少し年上に見えるその少年――アルは、痩せ細った手のひらをそっと差し出してきた。

そこにあったのは、小さな飴玉。


 「これ、あげる。どうにかして、ふたつ貰えたんだ」


 アルはそう言って、僕に飴玉を握らせると、消え入りそうな声で優しく微笑んだ。


 「ぼくは……ライナス。……父さんと、母さんが、いなくなったんだ」



僕が掠れた声でこぼすと、アルは悲しそうに、しかし力強く僕の肩を叩いた。


 「そっか……僕はアル。……ここはね、アイゼンガルドの『特別育成枠』だって大人は言ってる。……でも、嘘だよ。ここは、僕たちを『人間』じゃなくするための場所だよ」


 アルの囁きに応えるように石室の奥から、キィィィィィン……という耳鳴りのような不快な駆動音が響いてくる。

 それは、子供たちの魔力を強制的に引き出し、脳の構造を「演算機」へと作り変えるための地獄の旋律だった。


「……痛いのは嫌だ。怖いよ、アル」


 「……僕もめちゃくちゃ怖い。……本当は小さな弟とはぐれちゃってさ……僕がしっかりしなきゃって、無理してるだけなんだ。……情けないよね」


 アルは僕に握らせた飴玉の上から、ぎゅっと手を重ねた。


 「この奥にある『銀盤』っていう冷たい板を、頭に埋め込まれるんだって、大人の話を盗み聞きしたんだ。

みんな頭がおかしくなっちゃうみたいだけど、もし耐えられたら、すごい力が手に入るらしい」


 アルは駆動音のする闇を睨みつける。

 

 「壊されるか、魔術師になって生き残るか……。僕は絶対に諦めないよ」


 「……僕には無理だよ。耐えられるわけない、怖いよ……」


 「大丈夫だよ、ライナス。……いつか僕たちがこの力を自分のものにできたら。……その時は、僕たちの街を燃やした奴らに復讐しよう。……約束だ」


 アルが差し出した煤と泥に塗れた小さな拳。

 僕は、震える手でそれを合わせた。

 

(……そうだ。生きなきゃ。……生きて、あいつらに同じ絶望を味わせてやるんだ)


 復讐という名の、たった一つの黒い「旋律」が、僕の空っぽになった心に根を張る。

 しかし僕たちはまだ知らなかった。


 その「復讐心」さえも、研究者たちが効率的な魔力を引き出すために計算デザインした、ただの『感情触媒ブースター』に過ぎないということを。





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