第2話、私とスーパー執事
王立アイゼンガルド魔導学院。
その歴史を紐解くことは、大陸の魔導史そのものを辿ることに等しい。
数千年前の混迷を極めた戦乱期において、この学院だけは「不可侵の聖域」であり続けた。略奪を繰り返す皇帝も、大陸を席巻した蛮族の王も、この門を前にしては剣を収めざるを得なかったのだ。
理由は単純明快。ここに座す魔術師たちが構築した、精緻にして巨大な「理論の防壁」を突破する術が、歴史上のどこにも存在しなかったからである。
礎を築いたのは、伝説の「魔導工学の祖」アイゼンガルド。
彼は魔法を神話の領域から引き摺り下ろし、記述可能な「数式」へと定義した。以来、この学院は一分の隙もない論理こそが正義であると説き続けてきた。
歴代の賢者たちは、淀みなく並ぶ魔導式の「整列図」を至高の美と仰ぎ、感情という名のノイズを徹底して排除してきたのである。
そんな、数千年の誇りと鉄の規律が凝固した大講堂に、今、場違いな足音が軽やかに響いていた。
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「ねえ見て、ライナス! あの天井の模様、とっても楽しそうに揺れてるわ!」
ここで私リーンは、あえてこの場に似つかわしくない「無邪気な子供」を演じてみせた。
燕尾服の袖を引く私の小さな手に、ライナスが静かに視線を落とす。
「お嬢様。あちらは初代学園長が編み出した『絶対防衛数式』のレリーフにございます。揺れているのではなく、多重演算が物理干渉を起こしているのです。あまり見つめすぎると、酔いますよ」
(………知ってるわよ! 実際は、演算エラーが蓄積してラグが発生してるだけでしょ。放置すると、あの天井、物理判定を持って落下してくるギミックなんだから!)
私は内心で毒づきながら、ライナスに襟元のリボンを整えてもらう。周囲の新入生たちは、重圧で青い顔をして魔法式を暗唱していた。
だが、私の隣に立つこの「死神」の存在感こそが、一番の重圧だということに、彼らはまだ気づいていない。
義父上――当代最強の魔導工学師が『構築の極致』と嘯いて渡した銀の杖を、ステッキのように軽快に振る。
そんな私を見て、周囲の貴族たちは鼻で笑った。
『あれが例の公爵令嬢か。魔導工学の父も、ついにボケたらしい』
『論理の欠片も感じられん。学院への冒涜だ』
(……言いたい放題ね。いいわよ、後で泣きを見ても知らないから!)
嘲笑、蔑み、冷ややかな好奇。
だが、私の胸中にあるのは、この役目に就く際、義父ブッシュバルド様とライナスが交わした、たった一つの約束だった。
『ライナス。あの子がもし、既存の数式という殻に閉じ込められ、息苦しそうにしていたら……その時だけは、あの子の「自由」を全力で守ってやってくれ』
ライナスは私の背後で、冷酷なまでの静寂を纏って立っている。
彼にとっては、この学院の権威も、数千年の歴史も、私のリボンの結び目ほどの価値もないのだ。
突如、壇上の空気が爆ぜた。
名門子爵家の嫡男カスパールが『始祖の魔導水晶』に触れた瞬間、あまりに高密度な数式の詰め込みすぎにより、水晶がどす黒く変色し始めたのだ。
「な、なんだ!? 数式が……私の完璧な計算が、書き換えられていく!?」
悲鳴が上がる。暴走した魔力は不協和音となり、周囲の防御魔法を紙細工のように引き裂いていく。
「……やっぱり。そんなにギュウギュウに詰め込んだら、苦しくて爆発しちゃうわよ」
私は、恐怖に凍りつく群衆をよそに、壇上へ歩み出た。
エリートたちが私を突き飛ばそうとするが、私の周囲に揺らめく「歌学」の波紋が、荒れ狂う魔力を柳のように受け流していく。
(……よし、ここが「入学式」攻略の序盤のポイント。
歌でシステムの強制終了コードを叩き込む!)
私は銀の杖を指揮棒のように掲げ、唇から一筋の旋律を零した。
「――♪♫」
それは、厳格な理論では「ノイズ」として切り捨てられるはずの、震えるような吐息の混じった声。
しかし、その一音が空気に触れた瞬間、講堂を埋め尽くしていた黒い霧が、一斉に黄金色の光粒子へと反転した。
「な……んだ、これは……!?」
私はそのまま迷いなく歌い続けた。
冷たい数式という「骨組み」に、歌という名の「魂」を宿す儀式。
暴走していた水晶は、今や聖母のような慈愛に満ちた輝きを放ち、講堂全体を温かな旋律で包み込んでいく。
「はい、おしまい。……ねえライナス、この子、とってもいい声で笑ったわよ?」
私が振り向くと、そこには予想だにしない光景が広がっていた。
カスパールが放った私への攻撃を、ライナスが指先一つで弾き飛ばし、その付き人を床に沈めていたのだ。
「……見苦しいですよ、子爵令息殿」
ライナスの声は、水晶の輝きとは対照的に、魂まで凍りつかせるほど無慈悲だった。
「き、貴様、何者だ! ただの執事が、魔導騎士をこうも容易く……!」
絶叫するカスパール。
ライナスは乱れた手袋の指先を直し、淡々と告げた。
「数式を記述するだけが魔導工学ではない。……それとも、我が師、ブッシュバルド卿の弟子であるこの私の定義に、何か異論がおありでしょうか?」
「っ?!な、なんだと………」
その瞬間、会場の空気が物理的に重くなった。
教師陣が『銀盤の死神』の名を囁き、顔を青くして震え上がる。
(……あああ、もう! ライナス、かっこよすぎて死人が出るわよ! ってか、威圧感出しすぎ!)
私は慌ててライナスの燕尾服の裾をぎゅっと掴んだ。
「わ、わぁ、ライナス! 今の、すっごくかっこよかった!」
その瞬間、世界を凍らせていた彼の表情が、春の陽だまりのように崩れ去る。
「……お目汚しを失礼いたしました、お嬢様。さあ、帰りましょうか。お嬢様の大好きな焼き菓子を買いに参りましょう」
「ありがとぅ、ライナス、大好き!」
(……よし、生存フラグ、完全回収! でもライナスの笑顔が重すぎて、心臓のほうが先に止まりそうなんだけど!?)
私は彼の首に抱きつきながら、心の中で「後輩」への文句と、これからの多難な学院生活への覚悟を決めるのだった。
ちなみにこのお話は、短編として投稿したエピソード前半の別視点となります。




