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第1話、目覚め

お久しぶりです。おかイチです。

5月2日、『銀盤の死神は少女の歌に膝をつく   〜鼻歌でバグを直しただけなのに!? 激重な推し執事に、誘惑が止まりません〜』を投稿いたしました。


 有能執事と転生令嬢の異世界物になります。処女作の『境界のグローリア』での反省を活かし、ダイジェストばかりにならない様に細心の注意をしていきたいと思います。(……知り合いにはだいぶ詰められた(笑))。

 まずは、GW中は1日、1話ずつ、8日に第6話を、その後は毎週月曜と金曜日の週2回更新の予定です。楽しんでいただけたら幸いです。

したっけ〜。

 ここは王都の北側にそびえるアイゼン山脈。

 その万年雪を映し出すかのように、白く輝く巨大な屋敷がブッシュバルド公爵邸と呼ばれる所だ。


 最新の魔導工学で作られたこの館は、壁の一枚一枚に精密な数式が刻まれており、うかつに近づけば自動防衛システムで消し炭にされるという、およそ「一般階級の家庭の庭」とは呼びがたい物騒な要塞である。


 その中庭、季節外れの雪が舞うガラス張りの東屋あずまやで、一人の少女が優雅にティーカップを傾けていた。


 「お嬢様。本日のダージリンは、セカンドフラッシュの中でも特に香りの高いものをご用意いたしました。お口に合えばよろしいのですが」


 背後に立つ燕尾服の男――ライナスが、羽毛が舞い降りるような軽やかさで銀のティーポットを傾ける。


 一滴の無駄もなく注がれた琥珀色の液体が、カップの中で宝石のように揺れた。


「ええ……。とても良い香りね。ありがとう、ライナス」


 リーン・ブッシュバルドは、おっとりと目を細めて微笑んだ。

 齢十二歳にして完成された、非の打ち所のない美少女。夜のとばりを溶かしたような艶やかな朱色の髪に、どこか遠くを見つめるような、不思議な吸い込まれそうな瞳を湛えている。


「光栄に存じます。……さて、間もなく学院の入学式のお時間でございます。馬車の用意は整っておりますが、お召し替えの最終確認をよろしいでしょうか?」


「そうね。お願いするわ」


「畏まりました。では、一度失礼いたします」


 ライナスは深々と、指先まで神経の通った完璧な一礼をして、霧が晴れるように音もなく去っていった。その背中を見送るリーンの表情は、まさに「高貴な公爵令嬢」そのもの。


 ――だが。


 彼の気配が完全に消えた、その刹那。



「……はっ、……ふう、……ふぅふぅぅふぅ……っ!!」



 リーンの肩が、生まれたての小鹿のようにガタガタと震えだした。

 手に持った高級カップがカチカチと音を立てる。彼女は慌ててそれをテーブルに置くと、自分の両腕をぎゅっと抱きしめ、白目を剥きそうになるのを必死に堪えた。


 (……一、二、三、五、七、十一………お、落ち着けぇ、ヒナ! 素数を数えて落ち着くのよ!

 あいつはまだ私を殺さない! 今はまだ『可愛いお嬢様』枠! セーフ……! ギリギリでセーフよ!!)



 可憐で小さい美少女・リーンの内側で、前世の記憶――杉並 ヒナ(20歳・女子大生)の意識が、絶叫に近いセルフ実況を始めていた。



(うぅ……なんでこうなったのよ! そもそも転生先がおかしいでしょうよ!)



 ━━彼女は、前世での自分を思い出す。

 学費免除のために声楽学校へ必死に合格し、朝から晩まで血を吐くような発声練習に明け暮れていた女子大生。


 「歌」にだけはストイックな重度の陰キャと自認している。

 唯一の癒やしは、後輩に勧められたゲームをやり込むことだけだった。


 そのゲームこそが、今、目の前に広がっているこの世界――タイトルは『()()()()()()調()()』。


(く、このアホ後輩……『これぇ……キャラが超イケメンな乙女ゲーなんですよぉ』、なぁーんて嘘、よくついたわね!?中身は操作ミス一発で首が飛ぶ、超高難易度アクションアドベンチャーじゃないのよ!!)


 恋愛要素は、いわゆる「飾り」。

 本質は、魔導工学という名の物理演算と、シビアな判定が繰り返される「死にゲー」だった。

 そして何より最悪なのが、今の自分の立ち位置である。


 この「リーン」というキャラは、中盤のイベントで『()()()()()()()()()()()()』と判断された瞬間、義父に見捨てられる運命。


 そして――。


(……殺されるのよ。あの、ライナスに!)

 ライナス・ヴィンセント。


 彼は攻略対象などではない。プレイヤーの間で『銀盤の死神グラキエス・レクイエム』と恐れられた、最高難易度モードの隠しボス。ターゲットを定めたら最後、回避不能の即死コンボで氷の湖に沈めてくる、トラウマの具現化だ。


(今はあんなに優しく紅茶を注いでるけど、フラグが一本でも折れた瞬間に、あの銀のポットで私の頭をカチ割りに来るのよ……! 怖すぎるでしょ!)


 彼女の目的は、もはやハッピーエンドなんて高尚なものではない。

 とにかく、ライナスに「この子は生かしておいた方が面白い」と思わせ続けること。

 そのために彼女は、前世の「声楽」の知識を、この世界の「魔法」に無理やりはめ込んだ「()()」というバグ技を駆使し、必死で天才少女をプロデュースしているのだ。


「……よし。学院に行けば、またシナリオが動く。でも大丈夫、私はこのゲームを何周もクリアした女よ。

 隠しアイテムの場所も、敵のポップ位置も全部覚えてるわ……!」


 リーン(ヒナ)は、震える手で頬をピシャリと叩き、再び「完璧な令嬢」の仮面を被った。

「お嬢様、お待たせいたしました」


 直後、再び背後から声がかかる。

 もはや空間から染み出してきたかのような無音の登場。ライナスが、銀のトレイを手に微笑んでいる。


「……ひゃっ!?」


 変な声が出た。

 ライナスが、ほんの僅かに不思議そうに首をかしげる。


「……お嬢様? いかがなさいましたか?」


「な、なんでもないわ。……ちょっと、今日の風が少し、冷たかっただけよ」


 リーンの精一杯の誤魔化しに、ライナスは至極真面目な顔で頷くと、流れるような動作で自身の燕尾服のジャケットに手をかけた。


「左様でございましたか。では、私の体温で良ければ、お分けいたしましょう」


「っ?!!」



(お、重い! 忠誠心が重いし、物理的に距離が近い! やめてぇ、それ以上近づくと私の心臓がバーストして死んじゃうからぁ!!)


 ヒナの生存戦略は、入学式を前にして、早くも最大の障壁にぶち当たっていたのである。






        ・






 しばらくののち、公爵家の紋章が刻まれた豪華な馬車。

その内部は外観以上に「異常」だった。

 振動を完全に打ち消す魔導サスペンション、常に最適な温度を保つ空調術式。

 そして何より、向かいに座る「歩く最終兵器」ことライナスの存在感が、空間の密度を狂わせている。


 「お嬢様、少々お疲れの色が見えます。……私の膝をお使いになりますか?」


「いえ、結構よ。座り心地は最高だわ、ありがとう」


(はぅぁぁ……死ぬぅ! 物理的に死んでしまう!…… 裏ボスの膝枕なんて、実質的な処刑台への招待状でしょ!)


 リーンは窓の外へ視線を投げ、必死に心臓の鼓動をなだめながら、改めて自分が置かれている状況をおさらいしていた。


 このゲーム、『氷の冠と銀の調べ』は、普通の乙女ゲーとは「前提」が違う。

 まず、攻略対象たちが全員、「()()()()()()()()()()()()()()()()」シリアルキラー予備軍だらけなのだ。

 

 騎士団の嫡男は「弱者は不要」と切り捨て、魔導学院の天才は「実験材料」としてこちらを見る。


 そんな魔境で、本来のリーンは「魔力は豊富だが扱いきれない無能」というレッテルを貼られ、中盤のルート分岐で必ず「廃棄」される。その「廃棄」を担当するのが、目の前で優雅に茶葉の蒸らし時間を計っているライナスなのだ。


(……あのアホ後輩、なんて言ってたっけ。『ヒナ先輩ぃ、このゲームのライナスルート、最後は震えるほどヤバいですよ!』って。

 ……ああ、そうね。別の意味で震えが止まらないわよぉ!)

 ライナスの「裏ボス」としての設定は、全プレイヤーにトラウマを植え付けた。

 彼はある条件下で、主である公爵をも殺害し、世界を氷河期へと叩き落とす。

 その戦闘能力は、レベル100のカンストパーティーが束になっても、数秒で全滅するレベルの「運営の悪意」そのものだ。


「……お嬢様。先ほどから、私の顔をじっと見つめておられますが。……何かついておりますか?」


 ライナスが、ふっと薄い唇の端を上げた。

 彫刻のような造形美。けれど、その微笑みには「獲物を慈しむ捕食者」のような、冷徹な色香が混じっている。

 

 「……え、ええ。今日のタイの結び方が、少しだけ甘いかしらと思って」


「……おや。これは失礼いたしました。では、お嬢様の手で直していただけますか?」


 ライナスがするりと身を乗り出し、顔を近づけてくる。

 至近距離。彼の体温と、かすかなサンダルウッドの香りが鼻腔を突いた。


(ち、近――ッ!! これ、アクションゲーなら『QTEクイックタイムイベント』が発生して、ボタン連打で回避しなきゃいけない距離じゃないの!?)


 二十歳の杉並ヒナは悲鳴を上げるが、十二歳のリーンの肉体は、彼の端正な顔立ちにドクンと大きく波打ってしまう。

 震える指先で、彼のネクタイに触れる。

 

(お、落ち着けぇ、わたし……。ここで逃げたら『無能』判定。ここで魅了されたら『籠の鳥』エンド。……ここは『天才』らしく、彼の術理をハックするくらいの余裕を見せなきゃ!)


 ヒナは、喉の奥で小さく、彼にしか聞こえない程度の低音でハミングした。

 

「〜〜〜♪」


 ――「歌学」の基礎、共鳴波レゾナンス

 

 彼が纏う氷の魔導衣を、ほんの一瞬だけ「調()()」して緩ませる。

 

「……っ!?」

 

 ライナスの瞳が、驚愕に大きく見開かれた。

 自分の絶対的な防御領域が、少女の小さな鼻歌一つで、優しく解体されたのだ。

 

「……はい、直ったわ。ライナス、あなたは完璧でないと、私の執事としては困るもの」

 

 ヒナは、心臓が口から飛び出しそうなのをこらえ、これ以上ない不敵な笑みを浮かべて見せた。

 

(ふん……どうよ! 『私はあんたの術式をいつでも壊せるのよ』っていうデモンストレーションよ! これで少しは、殺すのを躊躇してくれるはず……!)

 

 だが、ヒナの予想は裏切られた。

 ライナスは、自分の喉元に指を当て、呆然とした後に――今まで見たこともないほど「()()()()()」、熱を帯びた瞳で彼女を見つめたのだ。

 

「……素晴らしい。お嬢様、貴女は……。ああ、やはり貴女こそが、私の世界の全てを捧げるに値する、唯一の主だ」

 

(……あれ? なんで?!気のせいかしら……言い表せない重い「何か」が飛んできてるかんじがするんだけど!?)

 

 馬車が学院の正門をくぐる。

 ヒナの生存戦略は、意図せずして最強の裏ボスの「執着フラグ」を根こそぎブチ立てるという、大波乱の幕開けとなった。



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