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第19話、死神の揺らぎと、消えた『産声』

 「……ライナス。もう一度言うけれど、その荷物半分私に預けなさい。主人の命令よ」


 アイゼンガルド中央街。春の柔らかな陽光が石畳を白く焼き、行き交う人々の活気が街中に満ちている。その喧騒の中でリーンは足を止め頬を膨らませながら背後の執事を振り返った。


 学院指定の魔導触媒――希少な鉱石や、鈍い光を放つ魔導書が詰まった紙袋がライナスの両腕に山のように積み上がっている。


「お嬢様、滅相もございません。このような卑俗な重量を、お嬢様の清らかなお手に触れさせるなど執事としての私の矜持が許しません」


「矜持の前に見た目が怪しすぎるわよ! ほら、貸してっ」


 リーンは強引に山の一番上にあったとりわけ重そうな「魔導銀ミスリルの触媒」が入った袋をひっ掴んだ。

 だが、その瞬間――。


「――っ!? お、重い……っ!」


 ずしり、という想定外の質量にリーンの細い腕が悲鳴を上げた。

 重心を崩し、ドレスの裾に足を取られて身体が大きく傾く。石畳が視界に迫り思わず目を瞑った。


「おっと……。ですから、申し上げたではありませんか」


 衝撃が来る代わりに身体がふわりと宙に浮いた。

 気づけばライナスが片腕で山のような荷物を軽々と支えたまま、もう片方の腕でリーンの腰をがっしりと抱き留めていた。


 至近距離から彼の銀髪がさらりとリーンの頬を撫で、鉄と清涼な香水の入り混じった香りが鼻腔をくすぐる。


 「……あ、危なかった……。ありがとう、ライナス」


「お怪我はありませんか? ……まったくお嬢様は少し目を離すと、すぐにご自分を危険に晒そうとする。……私の心臓がいくつあっても足りませんよ」


 ライナスはそのまま抱き上げたリーンを離そうとせず、彼女の耳元で呆れたような、けれど蕩けるように甘い溜息を吐き出した。


「お嬢様はただ私の隣で、心地よい鼻歌でも歌っていればよろしいのです。面倒な重力おもにはすべてこの私にお任せください。

……いいですね?」



「………はぃ……」


 囁かれる声に含まれる熱量に、リーンの顔がカッと熱くなる。


 (……こ、この人最近ちょっと距離が近すぎないかしら!?)


 だが、その胸の高鳴りは、純粋なときめきだけではない。


(……こんなに温かいのに。……いつか、この腕が私を殺す『死神』に戻るなんて、嘘みたい………)


「き、貴様ぁ! ふざけるなよぉッ!!」


「ひ、ひぃぃっ……!」


「「っ?!」」


 そんな甘くも切ない思考を切り裂いたのは、路地裏から響いた、ひどく耳障りな「音」だった。


 つんざくような悲鳴と、肉を叩く鈍い衝撃音。それらに混じって、地を這うような低く威圧的な男の怒声が、湿った空気と共に流れ込んでくる。


 「――くそっ、この、汚らわしいドブネズミが! 私の特注の靴に泥をかけおって!」


 直後、重苦しい衝撃音が路地に反響した。


 ドゴッ!!


 「ご、ごべぇんなぁ……さ……っ」


 罵声とともに響いたのは、硬い靴底が柔らかな何かを蹴り飛ばす、鈍い打撃音。

 角を曲がった先では、派手な外套を纏った下級貴族の男が、地面に這いつくばる小さな子供を執拗に踏みつけていた。


「こんのぉ……!クズがぁ……!」


 リーンは即座に表情を引き締める。

 彼女の「絶対音感」が、その男が腰に下げた魔導具から漏れ出す、吐き気を催すような「歪んだ金属的な高周波」を正確に捉えていた。


「……っ…。あんなに濁った音、生まれて初めて聞いたわ」


 その言葉が終わるより早く、ライナスの瞳から先ほどの甘い熱が完全に消え、絶対零度の冷気が吹き荒れた。


「…………お嬢様の耳を、汚しましたね。万死に値します」


 ライナスが一歩、踏み出す。

 彼が指を鳴らした瞬間、男の魔導具は内側からみるみる「氷結」して粉砕されていく。


パキパキパキパキッ…… 


ゴッ!!


「ひ、ひぃっ………」




 貴族の男は、自らの魔力の暴走に焼かれ、悲鳴を上げる暇もなく無様に地面を転がり回る。


「……いかがいたしますか、お嬢様。これ以上、この雑音が響かぬよう、根本から消去して参りましょうか?」


 ライナスが恭しく問いかける。その背後に潜む「徹底的な排除」の意志を感じながら、リーンは首を振った。


「いいわ、ライナス。……それより、あの子を」


 リーンの視線は、隙を見て路地の奥へと逃げ出した、ボロボロの子供の背中に釘付けになっていた。

 その子の足取りから聞こえる「音」が、あまりにも不自然で――まるで「魂の抜けたメトロノーム」のように無機質だったからだ。





        ・





 逃げ出した子供の背中を追い、煌びやかな大通りから一本、また一本と細い路地を曲がる。

 陽光は建物の影に遮られ、空気は湿り気を帯びた重いものへと変わっていく。辿り着いたのは、華やかなアイゼンガルドの影に隠された、広大なスラム街だった。


「………音が……死んでる?!……」


 リーンは、思わず足を止めた。

 そこは魔導工学の廃棄物スクラップが山積みになり、腐食した金属の匂いが鼻を突く「吹き溜まり」だった。


 だが、何よりリーンの心を削ったのは、その「音」だ。

 低い地鳴りのような魔導炉の駆動音と、キィィィィン……という耳鳴りにも似た高周波。

 画面越しに見ていた「背景グラフィック」ではない。()()()()()()()()()()()()()湿()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


(……これ、本当に『ゲーム』なの……?)


 今までどんなに怖くても『仕様を知っているから』と自分に言い聞かせてきた。けれど、目の前の空気はあまりにも生々しく、残酷な現実として突きつけていく。


「……お嬢様、これ以上進むのはお止めください。ここは管理の外側……不浄なノイズが溜まる場所です」


 ライナスが素早くリーンの前に立ち、周囲を警戒する。その背中はいつも通り盤石で、冷酷に見えた。



 山積みの残骸を回り込んだ先、小さな広場のような場所に、その子どもたちはいた。

 十人、あるいはそれ以上の、ボロボロの服を纏った子供たち。

 彼らの首筋には、魔力を抽出するための金属製の「制御プラグ」が直接埋め込まれている。


「…………っ!? なに、これ……ひどい……ひどすぎるわ……」


 リーンの声が震える。子供たちの瞳には光がなく、焦点も合っていない。隣の子供と肩がぶつかっても、表情一つ変えずに無機質な作業を続けている。


 「……魔導工学による、生体演算機バイオ・プロセッサのプロトタイプ。……捨てられた失敗作たちですね」

 ライナスの声は、いつになく低く、硬かった。


「アイゼンガルドの演算能力を支えるために、感情や不要な感覚を術式で『切除』された末路です。彼らにはもう、人間としての『こころ』は残っていません。

 ……ただの、肉でできた部品パーツです。……救うすべはありません」


 突き放すような、冷酷な言葉。

 ……けれど。

 リーンの耳は聞き逃さなかった。ライナスの指先が、微かに、……ほんの微かに震えているのを。

 

 彼は子供たちを「消去すべきゴミ」だと言い切りながら、その視線はどこか遠く、自分自身の「欠落」を見つめているようだった。


 「……ライナス。……あなた、本気で言ってるの? この子たちを、このまま『壊れた機械』として放置しろって」


「……っ。……お嬢様。情をかけるだけ、無駄なのです。システムの深部にまで刻まれた『消去命令』は、個人の魔力でどうにかできるものではありません。

 ……切り捨てるのが、彼らにとっても、一番の……」


 言葉が途切れる。

 ライナスは、いつもなら即座に下すはずの「合理的判断」を、今、自分自身の手で押し留めていた。

 助けたい。けれど、助けられない。

 その矛盾した「不協和音」が、彼の内側で激しく鳴り響いている。


「…………いいえ。無理なんて言わせないわ」



 リーンの心の中で、恐怖が怒りへと塗り替えられた。

 これが逃れられない現実なら、その現実スコアを無理やりにでも書き換えてやる。


 彼女は手にした銀の杖を強く握りしめた。


 「ライナス、私の目を見て。……あなたのその『迷い』、私が正解に変えてあげる」


 リーンは初めて、自分の生存という意思を捨て、誰かの魂を繋ぎ止めるためにその喉を開いた。



「――♪」


 スラムの濁った空気を塗り替えるように、リーンの喉から透明な旋律が溢れ出した。

 それは魔導詠唱プログラムではない。ただの、剥き出しの「祈り」だ。


 歌声が広場に満ちた瞬間、子供たちの首筋に埋め込まれたプラグが火花を散らして激しく不協和音ノイズを上げ始めた。システムの『管理命令』が、異分子であるリーンの歌を排除しようと牙を剥く。


「ライナス、お願い……! この子たちの『痛み』を、私に預けて!」


「…………っ」


 ライナスは無言でリーンの背後に立った。

 彼が放つ圧倒的な魔力の圧が、子供たちを縛る「拘束数式」を物理的に捻じ伏せ、強引にハッキングのパスをこじ開ける。

 リーンの歌がその隙間に滑り込み、子供たちの虚ろな瞳に、一滴の熱い涙が溜まった。


「……あ、……ぁぁ……」


 感情を殺されていた人形たちの喉から、掠れた、けれど確かな「産声」が漏れる。

 根本的な解決にはならない。プラグを抜けば死ぬ子もいる。

 けれど、今、この瞬間。確かに彼らは「部品」ではなく、自分自身の痛みを感じる「人間」に調律リメイクされたのだ。





 ──歌い終え魔力を使い果たしたリーンが、その場に膝をついて崩れ落ちそうになる。


「……はぁ……はぁ……はぁ……」


 それをライナスが音もなく支え上げた。

 広場にはまだプラグに繋がれたまま、自分自身の意志で泣きじゃくる子供たちの声が響いていた。


「……お嬢様。これは一時的な気休めです」


 ライナスの声はいつになく低くどこか湿り気を帯びていた。


「わかってるわ、ライナス。……全部を救えるなんて思ってない」


 リーンは汚れを気にせず、自分の手を握ってきた小さな子供の頭を、震える手で優しく撫でる。


「でも、根本的な解決にならないからって目の前で泣いている子を放っておく理由にはならないわ。

……()()()()()()()()()()()()()()この『不協和音おと』を消してあげたいの。」


 リーンの真っ直ぐな瞳。

 その濁りのない光に当てられたようにライナスは一瞬、目を細めて視線を逸らした。


 ライナスはそれ以上何も語らなかった。

 ただ、泥に汚れたリーンの小さな手を取りその指先に祈るような深さで唇を寄せた。

 微かに震える彼の吐息がリーンの肌に熱を刻みつける。


「…………」


 顔を上げた彼の瞳にはいつもの冷徹な従順さはなかった。

 代わりにあったのは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 彼は言葉を交わす代わりにリーンの髪を一房、壊れ物を扱うような手つきで愛おしむように指先で弄んだ。


(……ライナス……?)


 異変を感じたリーンが声をかけようとした瞬間、彼の姿が夕闇の影に吸い込まれるように音もなく掻き消える。

 

 引き止める間もなかった。

 彼が消えた場所には一筋の銀色の魔力の残響エフェクトだけが切ないほど美しく夜の空気に溶けていった。


「……待って、ライナス……!」


 リーンの叫びはスラムの重い空気の中に吸い込まれる。

 魔力を使い果たし限界を迎えた彼女の意識は、底知れない喪失感とともに急速に深い眠りの中へと沈んでいった。




いつもお読みいただきありがとうございます。

投稿強化週間につき次回金曜、日曜、火曜の投稿になります。

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