第17話、消えた救済者、残された令嬢の生存戦略
(ふぅ……。ひとまずなんとかなったわね。私、えらいわ)
数日ぶりに足を踏み入れた学院の廊下。心地よい疲労感に包まれながら、私は優雅に……あくまで優雅にため息をついていた。
──シャルの誘拐事件。原作なら確実に「デッドエンド」へ直結する強制詰みイベントを、力技でねじ伏せてようやく取り戻した平和な日常。
(……そんなカオスな状況下での、あのドタバタ劇。今思い返してもよく正気を保っていられたものだわ)
ライナスの魔法から逃げようと窓からダイブしたフェリックスが、着地点でよりによってシャルと鉢合わせ。
全身霜降り状態の兄を見て目を丸くする妹に、彼が放った言い訳は ──
「これはあれだ……最新のクールビズだよ。」
……バカなの? 氷点下のクールビズって、それただの冷凍保存よ。
極めつけは我に返ったライナスだ。
半壊した公爵邸を見るなり「……わ、私はなんということを……!万死! 万死に値するッ!」と地面にクレーターができる勢いで土下座を敢行。
そのまま自暴自棄モードに突入した彼をなだめるのは正直……魔王を倒すよりしんどかった。
(はぁ……死の運命を回避したと思ったら、身内の暴走でストレス死しそうになるとか……私の『生存戦略』の方向性合ってるよね!?)
そんな数日間にわたる土下座行脚(各所への謝罪回りとも言う)を終え、ようやく出席した今日の『共鳴魔法』の講義。
……そこで運命の神様は、とびきりの「追奏」を用意してくれていた。
ルナリエ・バーリエル。
私の知る原作知識には存在しない、地響きのような重低音を響かせる少女。
これから来る『父の監査』という絶望的な壁を乗り越えるには、私の旋律にただ従うだけのお人形じゃ足りない。運命という名の譜面を一緒に叩き壊してくれる、彼女のような力強い「リズム」が必要だった。
「私の専属リズム隊として、隣で演奏する権利をあげる。……どうかしら?」
精一杯の「上から目線(内心顔真っ赤だったけど)」で勧誘した私に、彼女はキラッキラの瞳で「どこまでもお供します!」と応えてくれた。
(……半ば勢いでスカウトしてしまったけれど、彼女のあの射抜くような瞳を見る限り、この選択は間違っていないはず……よね?)
熱狂が去りふと頭が冷えていく。
安堵の波が引いた後に残ったのは、心臓の奥をチリチリと焼くような正体不明の違和感だった。
私はもう一度、誰もいない「その場所」を、食い入るように見つめる。
本来ならこの講義で誰よりも鮮烈な光を放っているはずの人物。
この死にゲーにおける真のヒロインであり、私、ひいてはこの世界の破滅を食い止める鍵を握っているはずの存在。
彼女がいれば物語は正しく進み、残酷な結末は回避されるはずだった。
けれど今、そこにこのゲームの主人公の姿はない。
(……なぜ? 私がシナリオを書き換えたせいで、何かが狂い始めたというの?)
ルナリエという心強い相棒を手に入れた代わりに、本来あるべき「救済」が消失している。
先ほどまでの強気な余裕は消え失せ、私は拭えない冷や汗を感じながら誰もいない空席を見つめ続けていた。
この不在は何を意味するのか。私が運命を捻じ曲げた代償として、もっと別の「邪悪な何か」が、暗い水底で動き出しているんじゃないか――。
(……いろいろ考えたけれど、……それこそありえた可能性の話をしていても堂々巡りだわ。それよりも……)
私は気持ちを切り替えドレスの裾を指先が白くなるほど強く握りしめた。
この『死にゲー』において私の首筋に常に添えられた刃――ライナスによる処刑。
彼が私の命を刈り取るその結末だけは何があっても変わらない。
たとえヒロインが隣にいたとしても、システムが下す「消去命令」の前では彼女の祈りも愛も、何一つ届かない。ライナスはヒロインの目の前で、淡々と、そして無慈悲に私の心臓を貫く。
それがこの世界の揺るぎない設定だった。
「……お嬢様。どうかなさいましたか?」
背後から氷のように透き通った重く鼓膜を震わせる声が降ってきた。
振り返ればそこには銀髪の執事ライナスが立っている。
その瞳は以前のような冷淡な観察者のものではない。今の彼は主の視線が自分以外に向くことさえ耐え難いとでも言うように、不快げに目を細めている。
「……いいえ別に。……少し、立ちくらみがしただけよ」
「……立ちくらみですか。……お疲れなのですね。無理もありません、あのような『雑音』ばかりの講義を聴かされては……」
ライナスが恭しく逃がさないと言わんばかりの強さで、リーンの細い肩を抱き寄せる。
「ご心配には及びません。私がいつでもついていますから……安心なさってください」
その指先の熱を感じた瞬間リーンの脳裏に「最悪の楽譜」がフラッシュバックした。
想像の海に、冷たい雪が降り積もる。
──いまから半年後のアイゼンガルド学院の、白く凍てついた中庭にて──
そこに立つのは、養父のブッシュバルド卿だ。彼は一片の情もなくゴミを見るような目で私を見下ろしこう言い放つのだ。
『――ライナス。このノイズを我が家系から消去しろ』
その瞬間私の背後にいるライナスの瞳からすべての光が消える。
いままでの過保護な執事の面影も、私に向けた熱い視線も一切なくなり、ただの「死神」へと戻った彼の無慈悲な一突きが、私の胸を容赦なく貫く。
「……ひっ……!!」
心臓が凍りつくような感覚。
視界が真っ赤に染まっていく絶望。
聖女の愛ですら止められない世界の意志。ライナスは、私を殺すために作られた「完璧な凶器」なのだ。
(……助けなんて最初から来ない。……私を殺すこの死神を止められるのは仕様を知っている私しかいないのよ)
ガタガタと身震いするリーンにライナスが顔を近づけてくる。
心配そうにその頬を撫でる手つきはどこまでも優しい。
「……お嬢様。何が、貴女をそれほど怯えさせているのですか? 私に命じてくださればその『恐怖』の根源ごと、すべてこの世界から消去して差し上げますのに」
その指先が首筋に触れた瞬間リーンは心臓が跳ね上がるのを感じた。
皮肉なものだ。私を震えさせているのは、いま私のために世界を敵に回すと誓っている目の前のあなただというのに。
「……なんでもないわ。少し寒気がしただけよ」
リーンは強張る顔を無理やり動かし、彼の手に自分の手を重ねた。そうして物理的に自分を縛り付ける死の予感を、強引に「生き抜くための意志」へと変換する。
(半年後のお父様の最終監査。……絶対にライナスにあんな顔はさせない。私を殺すなんていう最悪な『仕事』あんたには絶対に……させないんだから!)
ヒロインが消え理不尽仕様が牙を剥くこの世界。
だからこそ自分が「調律師」として、この死神を完全に調律してみせる。
私はライナスの過剰なまでの護衛を「命綱」として逆手に取る覚悟を決め、次なる一手――味方にするべき対象へと視線を向けた。
まずは今日から始まった「共鳴魔法」の講義を皮切りにして、周囲のキャラクターたちとの間に生じる「不協和音」を取り除き、味方を増やしていくのだ。
好感度稼ぎなんてゲーム的な言い方は嫌いだけど、一人でも多くの「理解者」を作ることがあの惨劇を回避する唯一の旋律になるはずだから。
(……見てなさいよ。開発者だかなんだか知らないけれど、こんな残酷なシナリオ……私が最高のハッピーエンドに編曲し直してあげるんだから)
顔色は青ざめたままその瞳に不屈の炎を宿して──。
リーンは次なる「調律」のターゲットを探すべく喧騒に包まれた教室へと踏み出した。
・
(はぁ……落ち着け私。深呼吸よ、ドレミファソ……よし)
心臓を貫かれる悪夢を脳内のゴミ箱に放り込み、私は教室を見渡した。
この『共鳴魔法』の講義はただの授業じゃない。ゲーム的には、周囲のキャラクターとの『共鳴値』――つまり絆システムを解放するための重要なチュートリアル・ステージだ。
半年後の監査には「利用価値がある」と思わせなきゃいけない。そのためにはクラスのサブキャラ達を味方につけ、私の『歌学』の有効性を証明する必要がある。
(とはいえ、いきなり「共鳴値」を跳ね上げろと言われても無理な話よね。……まずは最初の実習で顔合わせを済ませた「知り合い」から地道に落としていくしかないわ)
こんなこともあろうかと、そのためのターゲットはすでに目星をつけておいた。
……けれど、どうやらドワーフ族のクラスメイトは今日の講義をサボっているらしく姿が見当たらない。
(……残念。あの子の『頑強な低音』私の歌に絶対合うと思ったんだけどな)
落胆しつつ、視線を教室の隅へと巡らせる。最後の一人。そこには、まるで「透明人間になりたい」と言わんばかりに気配を殺している影があった。
(……いた。あの子ね)
しれっと講義に参加しているものの周囲との壁を分厚く築き、小刻みに震えながら佇んでいる少女。
透き通るような白い肌。銀糸のような長い髪。そして感情に合わせてピンと立ったりしょんぼりと垂れたりしている長いトンガリ耳。
エルフの中でも希少なハイエルフの娘だ。
彼女は誰とも目を合わせずひたすら手元の魔導書を握りしめている。
その震えは恐怖というよりは、周囲の「不協和音(他人の魔力)」に対する極度の過敏症のように見えた。
(……孤高のハイエルフ。ゲームの設定じゃ、プライドが高すぎて誰とも組まない『難攻不落の歌い手』だったはずだけど……)
実際に見る彼女は、今にも泣き出しそうなほど繊細で折れてしまいそうなほど危ういリズムを刻んでいた。
背後に立つライナスの、私のすべてを慈しみ何があろうと見守らんとする重い視線。その圧を背中に感じながら、私は彼女の震える背中に向かって一歩を踏み出した。
(……待ってて。あなたのその『震え』、私が最高の旋律で止めてあげるから)




