第16話、共鳴(レゾナンス)のプレリュード
「――で、なんでこんな所で油を売っているんだい、お嬢さん?」
呆れ果てたような声が、ルナリエの頭上から降ってきた。
場所はアイゼンガルド魔導学院の広大な敷地のさらに外縁。高くそびえる防壁の内側に近い、騎士団の詰め所に近い門の脇でルナリエは地面に落ちた枝を手に、石畳の隙間をガシガシとなぞりながら不貞腐れていた。
「……油じゃないもん。私の燃え上がる情熱を、地面に刻みつけてるだけだもん……」
「それは世間一般で『落書き』って言うんだよ」
門番の立ち位置で槍を抱え、重そうな銀の胸当てを鳴らして溜息をついたのは、幼なじみのソルだ。彼は魔力適性が低いと言われながらも、ルナリエの「世界一カッコいい魔法を見せる!」という宣言に突き動かされ、彼女を守るために騎士団の末端――新人の下っ端として入団を果たしていた。
「ソルぅ、聞いてよぉ! 私の運命、絶対にバグってるってば!」
「バグとか物騒な言葉使うなよ。……で、今度は何だよ。……入学式の夜に知恵熱出して三日寝込んだのは自業自得だろ?」
「そ、それはそうだけど! やっと治って登校したら、あのお嬢様――リーン様が今度は欠席なんだよ!? 毎日毎日、私が教室に行けば休み、私が休みの日には登校してる(気がする)し! ニアミスにも程があるでしょぉぉ!」
ルナリエは持っていた枝を放り投げ、ふさふさの尻尾を地面に叩きつけた。
実はこの間、リーンはシャルの誘拐事件という「死にゲー」本番のトラブルを解決するために奔走していたのだが、そんな事情を知る由もないルナリエにとってはただの「意地悪な運命の不協和音」にしか聞こえない。
「せっかくお近づきになれるチャンスだと思ったのに……。私、あのお方の『音』に一目惚れしたんだよ? 弟子入りしてあわよくば横でタンバリンでも叩かせてもらおうと思ってたのに!」
「お前、魔導学院に何しに来たんだよ……。しかもそれ、楽器の持ち込みは禁止されてるだろ」
ソルは兜の隙間から汗を拭い、苦笑いした。
彼女──ルナリエが落ち込んでいるのは、単に「認められたい」という欲求からではない。それは彼も十分に理解している。
あの時聴いた、世界を塗り替えるような美しい旋律のそばにいたい。ただそれだけの、純粋で真っ直ぐな憧れを──。
「……まぁ、安心しろよ。お前がそんなに騒いでる『お嬢様』なら、今日こそは来てるはずだ。今日は確か、全クラス合同の大きな実習だろ?」
「あ……っ! そうだった! 『共鳴魔法』の講義!」
ソルの言葉に、ルナリエの耳がピクンと音を立てて直立した。
「全クラス合同なら、絶対にお嬢様もいるはず……! ソル、私やっぱり行ってくる! 地面を削ってる場合じゃなかった!」
「おう行ってこい。……お嬢様に会えたら、変なリズムで話しかけて引かれるなよ?」
「失礼しちゃうなぁ! 最高のシンコペーションで挨拶してくるもん! 行ってきます!」
さっきまでの不貞腐れた様子はどこへやら、ルナリエは弾かれたように立ち上がると、尻尾を勢いよく振って校舎の方へと猛ダッシュしていった。
それを見送るソルは、「やれやれ」と肩をすくめながらも、彼女の背中に向かって少しだけ誇らしげに微笑むのだった。
・
アイゼンガルド魔導学院、実演演習場。
そこは、空中に展開された無機質な魔導数式が青白く発光し、凍てつくような緊張感に包まれた空間だった。
「次……初等部、ルナリエ! 前へ!」
教官の鋭い声が響く。
「は、はいっ! 行ってきますっ!」
ルナリエは愛用の魔導杖を折れんばかりに握りしめ、鼻息も荒く演習台へと駆け上がった。
彼女の視線が向かうのは、観覧席の最前列だ。
そこには、あの入学式の救世主――リーンお嬢様が、銀髪の執事を従えて泰然と座っている。
(お、お嬢様が見てる……! 私が奏でる最高の音を聞かせなきゃ。ここで失敗したら、ロナ村の恥になっちゃう!)
だが、気合とは裏腹に、ルナリエの耳には心臓の鼓動が「緊張」の不協和音となって激しく鳴り響いていた。
舞台中央に設置された共鳴水晶に魔力を流し込む。だが、いつもなら軽快に刻めるはずのリズムが、指先から逃げるようにガタガタに崩れていく。
(……なんで、うまくいかないの……っ!?)
焦るほどに心臓の鼓動は速まり、魔力の奔流は制御を失っていく。水晶から漏れ出したのは、弱々しく、今にも消えそうな歪な不協和音だけだった。
「……ふん。獣人の分際で、この共鳴講義に挑むとは。図々しいにも程があるな」
静まり返った演習場に、氷のように冷ややかな声が突き刺さる。
侯爵子息のエドワードだ。
彼は震えるルナリエの指先を眺め、獲物をいたぶるような笑みを浮かべた。
「どうした、心音がここまで聞こえてくるぞ? 数式を理解できぬ野生児には、その程度のノイズを奏でるのが限界か。
……見苦しいな。早くその場を降りるがいい。時間の無駄だ」
周囲から漏れるクスクスという失笑。視界が白く霞み、ルナリエの耳が屈辱とパニックで真っ赤に染まる。
(ダメだ。……音が、聞こえない。視界が、真っ白に……)
絶望に足が震えた、その時。
――ふわり。
春の陽だまりのような、甘く優しい香りが鼻先を掠めた。
「あらあら……そんなに肩を硬くしてたら、せっかくの素敵なリズムが泣いちゃうわよ?」
気づけば、すぐ隣にリーンが立っていた。
驚いて目を見開くルナリエをよそに、彼女は荒れ狂う魔力の奔流を愛おしげに見つめ、鈴を転がすような声で問いかける。
「ねえ……何に怯えているの? あなたの中に流れているのは、そんなに細くて弱い音じゃないはずよ」
「あ、あの……わ、私……あなたみたいな、綺麗な音が出したくて……っ」
「……私と同じである必要なんてないわ。思い出して。あなたがずっと鳴らしたかった、一番ワクワクする鼓動を」
リーンの指先が、ルナリエの胸元にそっと触れた。
その瞬間、脳裏に。夕焼けの草原で拳を合わせた時の熱。祭りの夜、人々の心を跳ねさせた太鼓の響き。
それらが泥臭くも愛おしい「記憶」となって蘇る。
(……そうだ。私は、賢い数式を解きに来たんじゃない。……『最高の音』を叩き込みに来たんだ!)
「……お嬢様。……私、鳴らしたい「音」があります!」
「ええ。ぜひ聞かせて、あなたの『魂の演奏』を」
リーンが身を引くと同時に、ルナリエが床を蹴り上げた。
今度は、迷わない。
水晶に叩き込んだのは、精密な理論ではない。荒削りで、けれど命の脈動そのものである強烈なバックビート――!
「――ッ、おおぉぉぉぉぉん!!」
水晶が、見たこともない『琥珀色』の輝きを放ち、会場全体を震わせる重低音が爆発した。
それは理論を超え、聴く者の本能を、血液を直接揺さぶる「生命の共鳴」。
エドワードの嘲笑も、学院の冷たい静寂も、すべてがルナリエの作り出した熱狂の渦に飲み込まれていく。
「な……し、信じられん。獣人の魔力が……ここまで美しく『調律』されるなど……!」
教師たちの驚愕を置き去りに、講義終了の合図が響き渡った。
「……はぁ、……はぁ、……はぁ……っ」
肩で息をし、真っ白に燃え尽きたルナリエの前に、リーンが再び歩み寄る。
「……素敵だったわ。あなたのリズム、私の隣にぴったりだと思わない?」
「え……?」
「ルナリエ。……私の専属リズム隊として、隣で演奏する権利をあげる。……どうかしら?」
真っ直ぐで、悪戯っぽく微笑むリーンの瞳。ルナリエに迷いなどなかった。
「はいっ! 喜んで!! どこまでもお供します、お嬢様!!」
――こうしてこの世界の残酷なシナリオを書き換える「調律師」と、その魂を鼓舞する「打楽器奏者」が、手を取り合った瞬間であった。
いつもお読みいただきありがとうございます。
次話からリーン視点へと戻ります。
変わらずにお付き合いくださいませ。
(投稿間隔も月、金へと戻ります。)




