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湖北の鷹 ―新生浅井伝―  作者: 一代 半可
第四部

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98/116

098_永禄八年(1565年) 選ばれたのは

 長政が小夜に呼び出されたのは翌日早々のことだった。起き抜けにいきなり「本日お会い頂きたい者がおります」と告げられた。


 一体どこから、一体誰を連れてきたのか聞きたい気持ちもあった。


 しかし小夜は昨日から、無言の圧力とでも言うのかそういう雰囲気をまとっていて、とてもじゃないが取りつけない。


 八重にも助けを求めたが静かに首を横に振るばかりだった。


 身支度を終え、小夜に指示されたように自室で静かにその時を待つ。今日は万福丸と遊んでやるつもりだったのに、そうも言ってられなくなってしまった。


 待っている時間が妙に長く感じられ、一人で碁盤に石を並べてみるも集中できずにすぐに立ち上がる。そうして自室をうろうろと半周ほど歩き回った頃だった。


「兄様。お待たせいたしました」


 小夜が部屋を訪ねてきた。


「あ、あぁ」


 彼女は八重を伴って、昨日のあの張り付けたような笑みを浮かべている。一体これから何を言われるのかわかったものではない。


 小夜を座らせ、自身も床に腰を下ろす。自分の部屋だというのにやけに落ち着かない。


 板張りの床がいつも以上に冷たく感じられ、小夜の後ろに控えた八重へ、すがるように視線を送る。


 何か知っているか? と訴えかけてみるも、八重は小首を傾げるばかり。


 長政はおろか、八重にすら側室を誰にするか話していないらしい。こうなってくると一体どこから、誰が出てくるのかわかったものではない。


 六角家からまた新たに姫を迎えるのか? いや、それは無い。となればやはり武田か? だが昨日の今日で武田と婚儀の手筈を整えられるものか? もしかすると織田だろうか? 或いは家臣の誰かから――


「兄様」


「はい」


 小夜のか細いながらも力強い声に意識を引き戻され、自然と背筋がまっすぐ伸びる。そうして小夜を見据えると、彼女は――


「兄様の側室をお連れしました」


 ――と告げたのだった。


「……?」


 しかしこの場には長政と小夜、そして八重の三人しかいない。部屋の外かと思い廊下へ顔を向けるも、近頃鳴き始めたセミの鳴き声がうるさいばかりで人の居る気配すらない。


「……私の側室というのは……一体?」


 とうとう耐えられなくなって長政が口を開くと、小夜は「ですから」と続けた。


「こちらが兄様の側室となる、八重です」


 ……三者の間にセミの鳴き声が響き渡り、沈黙が色を濃くしていく。


 八重です。その言葉の意味が呑み込めず、目を白黒させながら八重と顔を見合わせる。彼女も彼女で聞かされていなかったらしく、完全に動きが止まっていた。


 そして。


「待て待て待て! 急が過ぎる! 八重が側室だと!?」


「姫様!? 私が新九郎様の側室になどと!」


 二人はほぼ同時に、驚きの絶叫を上げた。


 しかしその二人の視線を一身に受ける小夜は知らぬ風。改めて、長政と八重の二人に向き直るように座り直すと、まずは長政に向けて言う。


「では、兄様はお嫌ですか? 八重を側室にすることが」


「嫌とかそういう話ではないだろう! 大体、八重の承諾も得ておらぬではないか!」


 明らかに初耳と言った様子の八重は、長政にうんうんと頷いて見せる。


 普段は表情をピクリとも動かさない彼女が今は目をひん剥いているのだから、もしこれが演技なら騙されても惜しくないと思えるほどの名演だ。


 だが、小夜は相変わらず飄々と告げる。


「私が納得できて、かつ浅井家の内情をよく知り、更には男児が生まれても政争となり得ない女子と言えば、八重は適任でしょう? それに、今更知らぬ仲でもありません。それとも他に誰か女子が居るのですか?」


「いや、そういう訳では……」


「ならばよいではありませんか」


 むしろ小夜は嫌じゃないのかとか、そもそも八重の気持ちはどうなんだとか、言いたいことも言うべきことも色々あるのだが、ならばよいではありませんかと言い切られてしまうとなしのつぶてだった。


 そうして返す言葉に詰まる長政をよそに、今度は八重へと向き直る。


「八重? 貴女も構いませんね?」


 あまりにひどい事後承諾の取り方だった。


「姫様、お言葉ですが私のような下賤の出の者が、新九郎様の側室になど恐れ多く……何より、私は既に女を捨てております」


「側室ならば身分など何でもよいでしょうに。それに、わたくしが聞いているのは構わないかどうかであって相応しいかどうかではありませんよ」


「それは……しかし……」


「及び腰なのはその顔の傷が原因ですか? では兄様。兄様は顔に大きな火傷がある女子を、女子としては見れませんか?」


 突然話の矛先が自分に向き、慌てて首を横に振る。


「そ、そんな事はないが……!」


「だそうですよ八重」


「……」


 心なしか、頬を紅潮させた八重が長政をチラリと盗み見た気がした。

 なんだか段々と、外堀を埋められているような気がする。


 もちろん、長政は八重のことを悪く思っている訳ではない。側室に迎えろと言われればやぶさかではない程度には好意もある。


 ――だがそれは共に育ってきた幼馴染としての、或いは家族にも似た愛情であって……恋愛感情というものでは決してなく、そもそもこういうのは両者の気持ちが大切なのであって長政の一存では決められない。いやもちろん八重のことを女として見れないという訳ではなく、八重はむしろ女性的魅力に溢れていて八重がその気なら長政としては――


 ――などと誰に言い訳しているのかわからない言い訳を心の中で延々と並べていると。


「良かったではありませんか八重。貴女も昔から、兄様の事を慕って――」


「姫様!?」


 小夜は突然、とんでもない爆弾を放ったのだった。


 八重は今までに聞いたこともない、悲鳴のような声を上げて腰を浮かせたが、小夜は構わず続ける。


「あら、今更隠すことでもないでしょう。昔から、兄様の元へ出かけるときだけやけに髪や着物を気にかけて、まるで乙女のような――」


「あああああああああああっっっっ!!!!」


 ……そこからはもう酷いものだった。小夜によってひどい辱めを受けた八重は、長政がぽかんとしていることに気付くなり口をぱくぱくさせて「ちがっ、これは……!」と取り繕おうとするも上手く行かず。


 結局は逃げるように顔を抑えてうずくまり、丸くなって動かなくなってしまった。


 そんな八重の姿を見たのは長政も初めてで、口を半開きにしたまま八重の背中と小夜の顔を交互に見やることしか出来なかった。


 八重が? 自分を? 好いている????


 いくら勇名を馳せる長政と言えど、このような事態への対処法までは学んでいない。


 頭の中では驚きと困惑と少しばかりの照れが混ざり合い、夏の暑さとは別の熱が頭の奥からじんわりと広がっていく。


 一方、この惨状を生み出した小夜は溜息をひとつこぼすと、やれやれとばかりに口を開いた。


「兄様は昔から鈍感ですから、気付かないのも仕方ありませんが……こういう訳なので、八重が兄様に嫁ぐことを嫌がる者は、少なくともこの場には誰も居ません。後は兄様の御心次第という訳ですよ」


 小夜の言うように、長政は全く気付いていなかった。


 何せ八重はいっつも仏頂面で笑顔のひとつも見せたことがなく、長政と接する時もいつも仕事の一環ですとばかりに淡々としていた。


 だからこそ長政も邪な気持ちで接するのは失礼だと思い、常に同僚として接し続けてきたのだが……


「八重……? そうだったのか……?」


 どうにも信じ切れず、丸まった八重の背中に問うと、八重は小さくなったまま僅かに頷いた。


 どうやら長政は長年とんでもない思い違いをしていたらしい。


 ……だが思い返してみると、確かに心当たりらしきものも無くはない気がする。


 八重からの書状はいつも丁寧で字が美しいものだったし、何だかいつもふんわりと良い香りがしてた気もするし、そう言えば長政の前に現れる時、八重は常に身綺麗にしていた。


 あれらが全て、八重の好意の表れなのだとしたら……?


「それで? 兄様はどうなのです。八重では不満なのですか?」


 小夜の真剣なまなざしが長政に向けられる。彼女の言うように、八重を側室に迎えられない理由はもう無い。後は長政の気持ち次第だ。


 だが、だからと言ってはいそうですかと承諾できるなら誰も苦労しない。


「……すまない小夜、少し八重と二人にさせてくれないか?」


 男としても、人としても、ちゃんと八重と話し合う必要がある。長政が真剣にそう告げると、小夜は「承知しました」と立ち上がり、そして。


「兄様。兄様にとって八重が大切な存在であるように、わたくしにとっても大事な姉です。くれぐれも八重のこと、お頼みします」


 最後にそう言い残して、部屋を後にしたのだった。

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