096_永禄八年(1565年) 隻腕の忍び
その後、おたゆと別れた長政は、最後に夜鷹の兵舎を訪れた。
この兵舎はいわゆる忍びの者たちが集う詰め所だ。夜鷹衆の中でも特に腕利き、選りすぐりの者たちが集まる場所と言い換えても良い。
彼女たちの務めは言うまでもない。八重と共に長政の身の安全を守ることである。
「お前たち、浅井様がおいでなすったよ。ご挨拶をし」
兵舎に足を踏み入れるなり、すぐさまおばばがそう声をかける。ここでは誰もが長政の正体を知っているため、今更浅元様、とは呼んだりしない。
中で各々自由に過ごしていた女たちは、おばばの声を聴くなり一斉にこちらに向き直って頭を下げた。
彼女たちは誰もが腹掛と呼ばれる、紺色のエプロンのような下着姿だった。おかげで背中や肩が丸見えで目のやり場に少々困る。
すぐさま長政が手を振って「いや良い、楽にしてくれ」と声をかけると、彼女たちはまた各々の時間に戻っていった。
「……あの服、何とかならんのか」
「我々は何より動きやすさを重視した服を一番と考えております。慣れて頂くより他ないかと」
そういう八重も、たまに似たような恰好をしているため割と切実な問題だ。特に彼女の場合は豊かな胸元が強調され、いよいよもって邪な感情が湧きそうになる。
少し危機感が足らないんじゃないかとか、油断しすぎじゃないかとか、肌を見せすぎなんじゃないかとか、言いたいことは色々あったが、それらを口にするとどうも口うるさい舅のようで憚られる。
こればかりは慣れるしかないか。そう思いため息をついた時、不意に八重が「そういえば」と呟いた。
「新九郎様にご紹介しておきたい者がおります。才蔵、こちらへ」
するとすぐさま奥から一人、するすると人影が現れた。その影はすぐさま長政の前に辿り着くと、流れるように片膝を付く。
「お初にお目にかかります。あっしは霧隠弾正左衛門が子、姓は霧隠名は才蔵と申します。元伊賀忍の半端者にはごさいますが、どうぞ末長くお頼み申し上げます」
流暢な挨拶と共に長政に一礼して見せたその者は、名を霧隠才蔵と名乗った。しかし長政の表情は、今の彼の心境を物語るかのように複雑だ。
そうして何を言うか逡巡するような間を少し開けて、長政は口を開く。
「……聞きたいことは色々あるが、とりあえずひとつ良いか」
「はい、なんなりと」
「女で……才蔵なのか?」
「女で才蔵です」
彼女が未だ幼さの残る顔立ちでニカッと笑ってみせた拍子、右横にまとめられた肩ほどまである栗色の髪が柔らかに揺れた。
霧隠才蔵と名乗った彼女は、見た目が十七、八ほどの少女に見えた。声も高く、やはり見た目通りの年齢に思える。八重が比較的肉付きが良いせいもあってか、才蔵は小柄でとても華奢な印象だ。
だがそんな華奢な印象とは裏腹に、羽織った小袖の下から覗く肌は健康的に陽に焼けていて、はだけた太ももはしっかり引き締まっている。
聞けば彼女の一族は、一人前の忍びになると名を才蔵と改めるのだそうだ。
「元の名は綾と申します。呼び辛ければそちらでも構いません。才蔵ってのは一族の商売名のようなもんですから」
随分と特異な一族なようだ。やはり忍びの一族というのは独特の風習でもあるのだろうか。
「なるほどな。それで……元伊賀忍だそうだが、なぜ夜鷹に――私の元に来た?」
二つ目の問いを投げかけると、才蔵は改めて居住まいを正して床の上に正座し、引き締まった表情に変わる。
「へえ。昔こそ伊賀の霧隠才蔵と言や、ちょいとばかし名も通ったもんですがね――今はこの通りで」
そうして、肩から羽織っていた袖の長い胴服を、彼女はするりと脱いで見せる。すると覗いたのは、肘から先が無くなった彼女の右腕。彼女の右腕は関節を最後に唐突に終わっていたのだ。
思いがけないことに息を呑む長政だが、対照的に才蔵はへへっと笑う。
「昔ちょいとばかしヘマしちまって御覧の通りの有様で。こんな形じゃ目立っちまって仕事になりやせん。どうしたもんかと途方に暮れておりやしたところ八重の姐さんに拾われやして、今は浅井家の禄を食ませていただいている次第にございやす」
どうやら彼女もまた、八重に拾われた一人らしい。
「……おたゆといい、随分と濃いのばかりを拾ってくるな」
八重を横目で見やると、彼女は相変わらず無感動な顔のまま言った。
「以前、使えるなら誰でも構わないと仰せでしたので」
……そういえば夜鷹を結成する際、そんな話をした気がする。まさかここまで構わないとは思いもよらなかったが。
まぁ、そういうことなら良いだろう。肩をすくめて見せた後、もう一度才蔵に向き直る。
「八重の目を疑うわけでは無いが……働けるんだな?」
「そいつはもちろん!」
左手で真っ平らな胸をドンと叩いた才蔵は、眩い笑顔を見せる。
「腕一本無くしたくらいじゃ若い奴らにゃ負けやしません。諜報や暗殺こそできませんが、旦那の護衛から使い捨ての駒まで、何でもあっしにご命じください!」
お前も十分若いだろとか、随分物騒だなとか、そういった長政のツッコミを他所に、横から八重の補足が入る。
「才蔵は若いですが、腕は確かです。先日の若狭への道中、賊討伐の一番手柄も彼女です」
先日の賊討伐、というと若狭へ行く途中で八重と賭けを行ったあの一件だろう。どうやらあの中に才蔵も居たらしい。
長政にとってはあの後政澄や政元に案の定叱られた、中々苦い記憶として脳裏に残っているが……
そんなこととは露知らず。才蔵はその話が終わるなりすぐさま土下座でもするかのように、深く深く頭を下げた。
「旦那のご厚意であっしは今日も生きながらえさせていただいておりやす。真っ白な米に味噌、魚の干物まで付けて腹をいっぱいにできるのは、全て旦那のおかげにござんす。伊賀に居た頃ですらこんな飯にはあり付けませんでした。旦那にはとにかく、感謝しかございません」
「お、おい……」
あまりに大袈裟な振る舞いに思わず頭をあげさせようと歩み寄り、手を伸ばす長政。しかし次の瞬間、その手は空を掴むように止まる。
何せ長政たちのやり取りを見ていた他の夜鷹の女たちまで、才蔵がそうしているように床に手をついて頭を下げ始めたからだ。
「あっしらの命は、全て旦那のために使わせていただくつもりでやんす。いずれ行き倒れていたはずのこの命、旦那のためならいつでも捨てて構いません」
まるで時代劇で、主人公が高位の者だとわかった時の町民たちのように。女たちは長政に、一斉に頭を下げる。その光景は仰々しくもあり、威圧的でもあった。
あまりのことで言葉を失う長政に、今度は八重が口を開く。
「この者たちは元々、明日生きているかもわからぬような生活をしていた者ばかり。浅井に拾われた恩義と新九郎様への忠義は譜代家臣にも劣りません。新九郎様は夜鷹を使うことを躊躇われますが、我々夜鷹は――殿の御為に働くことこそ、何にも勝る喜びなのです」
「八重……」
気付けば、八重やおばばまでもがいつの間にか片膝を付いている。
彼女たちに客を取らせ、働かせ、己の身を守るために盾とする。そんな扱いをすることに気が引けていたのだが、それはとんだ間違いだったらしい。
「どうぞ、いつでもお命じください。殿に死ねと命じられれば、我らはいつでも死ぬ覚悟にございます」
それは彼女たち夜鷹の覚悟の形だった。己の身も命も長政のために捧げるという不撓不屈の覚悟。ならばなおのこと、長政は彼女たちを死なせるわけにはいかない。
「ならば、そんなお前たちだからこそ生き延びろ、と命じよう。もしお前たちが真っ先に死ねば、いざという時に忠臣が居なくなる。良いか、お前たちの死は浅井にとって大きな損失だ。死ぬその瞬間まで、何としても生き伸びることこそ真の忠節と心得よ」
長政が告げると、夜鷹は『はっ!』と一斉に返事する。どうやら夜鷹も、これからは浅井の一戦力として数えられるようになりそうだ。
「よろしい。では引き続きよろしく頼む。帰るぞ八重」
こうして長政の夜鷹衆見廻りは終わりを告げた。いずれ来る戦の折には、必ずや彼女たちの力を発揮してもらおう。胸の奥でそう思い描きながら。
◆補足:霧隠才蔵について◆
言うまでもありませんが霧隠才蔵は半オリキャラです。
本来の霧隠才蔵は真田三代記に登場する霧隠鹿右衛門をモデルにした忍者で真田十勇士の一人です。
本来の設定では霧隠才蔵は浅井家に仕える侍大将、霧隠弾正左衛門の子でありその後に百地三太夫の元、伊賀忍として育てられたとされていますが、本作に登場する才蔵(綾)はその姉としています。
彼女が腕をなくして満足に戦えず野垂れ死んだ後、弟の鹿右衛門が才蔵として名を馳せたとか真田に仕えて名を残したとかそんな感じになったものを長政が歴史改変したんだなと解釈ください。




