095_永禄八年(1565年) 夜鷹のお仕事
弓削屋敷を訪ねた日の午後、長政は待たせていた八重と合流して次なる目的地、夜鷹隊の宿舎へと向かった。
夜鷹の宿舎は今浜の一角、夜の繁華街の中にある。
この時代は夜の店というものが少なく、夜になればみな自然と家へ帰るのが一般的だ。何せ電気のない時代である。夜は明かりがなく、何をするにも物騒で煩わしい。
しかしそれはあくまで一般論。この今浜においては別の話だ。今浜にはこの戦国時代には珍しい、夜の町が存在するのである。
叡山で採れた菜種を浅井が色を付けて買い取って、夜鷹の者たちがこれを搾油。大量の菜種油とすることで夜の町を彩る明かりとして、町に点々と並ぶ提灯を灯しているという訳である。
そのため夜鷹の兵舎を中心とした辺り一帯には夜の町並みが出来上がり、陽が落ちるとどこからともなくぽつぽつと明かりが灯り、建物や道をほんのりと照らすのである。
史実でこうした夜の町が形成され始めるのは江戸時代に入ってからの話のため、これも長政が時代を先取りした結果となる。
とは言え長政が知る夜の町と比べると、まだ明るいとは到底言えない代物ではあるのだが。
さて、そんな夜の町並みも今は昼間ということもあって鳴りを潜めている。ここは朝妻の北東、町裏に当たる区画のため、昼間はさほど人通りも多くない。
そんな少々人気の少ない道を進んでいくと、その先には大きな門構えの建物が姿を現した。あれこそが夜鷹の宿舎であり夜の町の中心地だ。
「少々お待ちください。おばば様を呼んで参ります」
八重が門をくぐって宿舎へと入り、待つこと少しばかり。するとその後ろに一人の老女を連れて、八重は長政の元へ戻って来た。
「これはこれは浅元様。よう参られましたな。さ、中へお入りくださいませ。他の者たちも浅元様が来られたと知れば喜びましょう」
齢六十は越えているであろうおばばと呼ばれたその老女は、色が抜けて灰色になった髪を後ろでひとつにまとめ、皺だらけの顔に笑みを浮かべて長政を館へと招き入れた。
彼女はこの夜鷹宿舎の管理人であり、夜鷹に所属する女たちの取りまとめ役でもある。本名は長政も知らないが、八重を始めとしたみながおばば様と呼んでいるため長政もおばばと呼んでいた。
「ああ、入らせてもらうぞおばば」
おばばは当然、長政の正体を知っている。しかし、例え長政とて彼女の許可が無ければこの宿舎に出入りすることは許されていない。
ここは夜鷹の宿舎であると同時に、夜鷹の、そして浅井のあらゆる機密を秘める研究施設でもあるからだ。
宿舎に足を踏み入れると、まず真っ先に客人を出迎えるのが、夜鷹衆の中でも腕利きの女たちが詰める駐屯所だ。ここには八重の直轄となる夜鷹の鉄砲衆たちが集っている。
鉄砲と槍を構えた女たちが一定の距離で配置され、侵入者を見つければ即座に攻撃。外部から一切の侵入を許さないという造りになっている。
また、より厳重にするためにも入口は先ほど長政が通った門一つ限りだ。
「鉄砲は扱えるようになってきたか?」
並ぶ鉄砲衆を見やりながら八重に声をかけるが、彼女は首を横に振る。
「一応持たせてはいますが見てくれだけです。鉄砲隊に関してはいささか……」
「そうか……戦場に立たせようという以上、時間がかかるのも已むなしだな」
どうやら女たちの鉄砲技術育成は未だ捗っていないらしい。夜鷹衆を鉄砲隊として戦地に投入できるのはまだまだ先になりそうだ。
「ただ、早合の生産に関しては順調に進んでおります。今は新たに、火薬を包む紙ごと鉄砲に詰められないか、色々と思案をしているところにございます」
「ほう……紙薬莢か。確かにそれなら早合よりも弾込めが早くなるな」
見張りの誰もが顔の下半分を布で覆い隠していたため、あれは一体何だろうな、等と考えていたせいだろう。八重のそんな言葉につい、ぽろりと余計なことを喋ってしまった。
「紙……薬莢? 紙ごと詰める早合はそう呼ぶのですか……?」
しまったと思い振り返ると、八重が心底不思議そうに首を傾げていた。
「あ……いや、昔西洋の書物で見たような気がしてな……燃えやすい紙を使うとか何とか書かれていた気がするが……すまん、あまり覚えていない」
「いえ。それだけでも十分でございます。後で早合衆に伝えておきましょう」
まさか未来の知識だとは言うわけにもいかず、何とか取り繕う。実際、紙薬莢なんて物の作り方を知る訳がないのだから余計なことを言わなければ良いものを、つい口走ってしまった迂闊さを心底呪う。
そんな一幕もありながらおばばに連れられた長政と八重は、やがてひと際大きな蔵の前へやってきた。
おばばは手で蔵の中を示しながら笑う。
「働く場所の無い女たちを浅元様が受け入れて下さったおかげで、こうして食い扶持を稼ぐことが出来ております。みなも感謝しておりましょう」
外から遠目に眺めると、腕まくりした女たちが忙しくあちこちへ行き交っていた。鉄砲衆の詰める宿所とは丁度反対の位置にあるこの蔵は、夜鷹の表向きの顔でもある、女たちの働き場だ。
昨今、千歯扱きを始めとした未来の道具の導入により、近江の農産業の効率は格段に向上した。
しかしそれは人手が不要になったと言うことでもある。特に千歯扱きは史実でも後家倒しの異名を持つほどに人々から仕事を奪っていく。
最悪男はまだ良い。この時代なら引く手数多、この近江にも白鷹隊入隊という道が残されている。
しかし女はそうもいかない。仕事を奪われた女たちの行き着く先は、女郎か野盗かはたまた骸か。どの道ろくなことにはならないだろう。
だからこそ長政は、そうなる前に夜鷹衆の名目で女たちを雇い入れ、職を与えているという訳だ。
そして、ここで作られているのはそんな女たちによって作られた菜種油や綿を使った布団に帆、そして近頃生産が可能になった醤油などである。
特に醤油は近頃少しずつではあるが市場に卸すようにしており、今では卸した先から売り切れる人気商品になっていた。少々割高でも売れるため、浅井家の重要な財源の一つだ。
そのうち醤油の作り方が確立されて高値での売買は出来なくなるだろうが、それはそれで構わない。その時は醤油が庶民の味になるだけの話である。
「それから、あちらでは個別に酒造りを行っております。見てゆかれますか?」
おばばが次に示したのは、目の前の蔵からは少し離れた場所にある別の蔵。一回り小さいが、ここも女衆の働く職場だ。
「ああ、そうしよう」
こちらも外から遠目に覗き込む。そこでは近年の豊作で大量にとれた米を使って、酒造りを行っている真っ最中だった。
「浅元様が偶然灰を混ぜてしまった酒が口当たりよく、まろやかな清酒になってからというもの、こちらで作る酒は全て清酒にするよう取り計らっております。これが随分と反響が良く、近江酒と名付けて売っておりますが……あちこちから買い付けの者が来ておりてんてこ舞です」
おばばの言う通り、ここで最初の酒が造られた時、長政は迷わず灰をその中へと投げ込んだ一幕があった。
あくまで偶然、うっかり足を滑らせたという少し苦しいやり方だったが、効果は抜群。
灰によって不純物が沈殿した酒は、この時代で一般的に呑まれている濁り酒ではなく、綺麗に澄み渡った清酒となってまろやかな味わいに変わっていた。
これを近江酒として売ってみたところ大当たり。通常の酒の数倍もの値段で取引され、こちらも今では浅井家の貴重な収入源の一つとなっている。
清酒の作り方は知っていたため、長政もいずれは酒造りに手を出すつもりだった。しかしそれがここまで遅れたのは、偏に米の生産量が足りなかったからに他ならない。
もし米の生産量がまだ多くない頃から酒を造り、清酒にして高値で売りさばいていたらどうなるか。きっと百姓たちはこう考えたことだろう。
『浅井家は貴重な食い物を取り上げて、あろうことか百姓が飢えても構わずに金儲けをしている』と。
そうなれば最悪は百姓一揆だ。たちまち金儲けどころではなくなってしまう。だからこそ長政は今の今まで時を待ち続けたのである。
「売れ行きがよいのは僥倖。ただ……また叔父上や政元がうるさいだろうな。仕事が増えた、と」
「ほほほほ。浅元様もあまりご家来衆を困らせてはなりませぬよ。たまに鬼気迫る顔でこちらにいらっしゃいますからな」
おばばは冗談めかして言うが、恐らく本当のことなのだろう。長政を探してなのか、多すぎる仕事に切羽詰まってなのかはわからないが。
科挙で登用した者たちが働き出して、政澄や政元の負担が減ることを祈るばかりである。
さて、そうして蔵を見て回っている最中のことだった。
「あら、新さんじゃないか。来てたのかい」
不意にしなだれかかるような声音で、長政の背後から女の声がした。
振り向けばそこに居たのは、薄い色ながら黄色や橙色といった少々派手な着物をまとった女だった。涼やかな目元と柔らかな笑みを浮かべる口元が印象的だ。
「おたゆか。少し様子を見にな」
長政が彼女の名を呼ぶと、おたゆはわざとらしく、意外そうに目を丸くする。
「おや、遊びに来たんじゃないのかい? 新さんならお安くしとくよ。もちろんその時はあたしがお相手するからさ」
「勘弁してくれ。おたゆにもてなされては金がいくらあっても足らん。それに、小夜を悲しませるわけにはいかんからな。遠慮しておこう」
長政がそう言って彼女の誘いを断ると、心底愉快そうにけらけらと笑った。
彼女は夜鷹衆の中でも主に遊女や妓女、御陣女郎、歩き巫女と言った諜報と夜の仕事を営む者たちを管理する取りまとめ役だ。
夜鷹よりもたらされる情報は大抵が八重を介して長政に伝えられるが、その大元の出所は彼女というわけだ。
元は旅芸人の一人だったらしいのだが、賊に襲われた際に一座が壊滅。その後行く宛ての無いおたゆを八重が拾い、今では夜鷹の諜報を司るまでになった。
元々旅芸人だったこともあってか彼女自身もかなりの美女で、一度化粧すれば道行く男たちがみな振り返るほど。
しかし基本的に彼女自身が客を取ることは殆どなく、今はその知識と経験から他の女衆の指導に当たっている。
そのお蔭か夜鷹の夜衆は今浜でも少しばかり名の知れた存在となり、今では彼女たちの店を訪れるために今浜へやってくる者まで居るほどである。
以前の西近江征伐の折、どこからともなく集まった御陣女郎を迎え入れたせいで、酷い目に遭ったことは記憶に新しい。あのような経験を二度とせぬためにも、彼女たちの存在は必要不可欠だ。
また戦場においても食事の炊飯や討ち取った敵の首化粧など雑事があるのだが、それらを行うのも彼女たちの仕事の一環である。
そのため信用できる出自の女をこうして高額で雇い入れることは、浅井にとっても重要な政策の一環だった。
……因みに、おたゆと一夜を共にするには最低額として城一つが買えるだけの金が必要らしい。彼女に惚れ込んだ越前の大商人はそれで破産したとかなんとか。あくまで噂だが。




