093_永禄八年(1565年) 鷹の血
手渡された手紙をどれどれと開いてみると、相変わらず繊細で丁寧な筆跡によってしたためられた、八重からの報告が記されていた。
内容は丹波の情勢について。丹波国衆である荻野や赤井と渡りをつけたとのことだった。
「ほう。どうやら向こうでは随分と歓迎されたらしい。荻野も赤井も、浅井の後ろ盾を得たと嬉々として内藤攻めに踏み切るそうだ」
少しの驚きと共に政澄に知らせるが、政澄は「そうでしょうな」と意外にも驚かない。
「今の浅井は国衆の身から押しも押されぬ戦国大名へと成り上がりましたからな。その立役者であり常勝無敗の湖北の鷹から、直筆の書状を受け取ったとなれば、好意的に受け取る国衆も少なくありますまい」
「大袈裟な」
「大袈裟なものですか。殿が自身を小さく低く見積りすぎなのです」
ピシャリと言い切られ、言葉に詰まる。実際問題として、今の近江には長政に真っ向から勝負を挑むような相手は、それこそ先日の賊くらいしかいなくなってしまっていた。
ほとんどの相手は浅井の名前と三盛亀甲花菱の旗を見せるだけで、戦うことを放棄してしまう有様なのだ。
おかげで碌な損害もなく相手を降せるのは楽なのだが、これまでの実績はかろうじて綱渡りを通した結果ばかり。
当の本人からすれば、そこまで崇められる理由がいまいち実感できないというのが本音だった。
「まぁ……そういうことなら都合が良いか。ついでに丹波内藤をもう少し抑えてもらうとしよう。叔父上、確か今浜の蔵に国友衆の納めた鉄砲があったな?」
「はい。税として納められた、未使用のものが三百丁ほど」
「赤井と荻野に百丁ずつくれてやろう。これで蔵も空くし、一挙両得だ」
……一瞬、何を言われたかわからず、顔だけが『は?』という形になって、政澄は長政の顔を見た。
確かに、長政の施策によって国友の鉄砲生産数は年々増加してはいるものの、それでも鉄砲一丁四貫(約60万)の時代だ。
その中でも国友で造られる鉄砲、国友筒は、特に質が良いことで知られている。
そのため近隣のみならず、日本全土から買い付けの客が訪れており、その値段ともなれば一丁六貫(約90万)は固いだろう。
それを、二百丁。それも、くれてやると。
政澄の主人である長政は、まるで蔵の整理ついでかのように、おくびも悪びれることなくそう言ってのけたのだ。
「は?」
声がようやく、顔に追いついた。
呆れ返って言葉もない政澄に、しかし長政は「まぁ待て」と何故かしたり顔だった。
……考えてみれば長政という男は、幼い頃から名門六角家に人質に出され、浅井家当主となってからは自身の政策によって、金に困る生活というものを経験したことがない。
だからこんな馬鹿げた提案を当然のようにできるのだろう。今後のためにもここらで一度ぶん殴ってやった方が良いのかもしれない。
そんな物騒な考えが政澄の脳裏にかすめているとは露知らず、長政は相変わらずのしたり顔で続けた。
「これはいわゆる貸しよ。この鉄砲で内藤を抑え込めるならば御の字。最低でも、若狭に手出しできなくしてくれればそれで良い。そうすれば内藤の支援を受ける逸見昌経は孤立し、対処も容易になるだろう」
それっぽいことを言ってはいるが、政澄には鉄砲二百丁の割に合うとは到底思えなかった。
「逸見昌経を討つためだけに支払う額としては些か……それに、もし丹波国衆が敵に回れば、我らは敵に鉄砲を贈った大うつけですぞ」
「いやむしろ、そうさせぬために贈るのよ」
相変わらず、長政の考えることは全く意味がわからない。政澄の眉間はみるみるうちにハの字に盛り上がる。
「よいか叔父上。敵か味方かもわからぬ相手から、突然百丁の鉄砲が贈られてきたとして。贈られた側は一体どう考える?」
そして突然の問答だ。慣れたとはいえ政澄の眉間の皺はさらに深くなる。
「それは……随分と羽振りが良いのだな、と」
当然の答えを返すと、長政は満足げに頷いた。
「左様。ならばそれが、常勝無敗の湖北の鷹からともなれば如何か?」
なんだそんなことか、とすぐに答えようとして。
「この程度の支出が痛くないほど、浅井の力は……圧倒的なのだと……」
そこまで言って、ようやく長政の考えを理解した。これは大きな貸しであり、同時に恐喝でもあるのだ。
浅井はこの程度では懐が痛まないほどに大量の鉄砲を持っている。だからこの程度は挨拶代わりだ。もし敵にまわれば、その鉄砲がお前たちに向くことになるぞ、と。
政澄が答えにたどり着いたことを察した長政は、満足そうにその先を続ける。
「これから先、丹波は嫌でも隣国となる。そうなれば国境沿いで争いとなることもあろう。そんな時、同じ敵を抱えているとはいえ、いきなり鉄砲を贈ってくるような相手と一戦交えようとは思わんだろう」
「なるほど……確かに、丹波の国衆に国境を脅かされることと引き換えならば、長い目で見れば得かもしれませんな」
「ああ。それにこうして好意を表しておけば、交渉の余地があることも充分示せる。鉄砲二百丁で無用な戦を防げるならば、安い布石という訳だ」
いつもこうやって言いくるめられている気がするが、それでも確かに鉄砲二百丁の対価には十分に思えた。
例え勝ち戦だとしても、出兵にかかる費用は馬鹿にならない。七度の飢饉より一度の戦。民にとっても大きな負担になる。
そんな戦を未然に、それも一度ならず防げるともなれば、確かに安いものだろう。
しかし、そうは言っても、だ。
「それでも丹波が敵に回らぬとも限らぬのがこの戦国にて。我らの贈った鉄砲を手に、奴らが近江へと攻め込んできた折には、如何なさるおつもりか?」
すると長政は静かに笑う。
「その時こそ、真っ向から相手してやればよい。我ら浅井に、他ならぬ鉄砲で戦を挑もうとは片腹痛し。その折には我らの戦、存分に馳走してくれるわ」
「ッ……!」
政澄の背筋に寒気が走る。普段温厚な長政からは想像がつかないほど、凶暴な輝きがその目に宿っていたからだ。
それはかつて桶狭間の知らせを受けた際、長政が見せた鷹の眼光によく似ていた。
天下をどこまで見通しているのか見当もつかない、遥か彼方まで睨みを効かせる鷹の目に、政澄はただただ息を呑むばかりだった。
「……承知いたしました。すぐに丹波へ鉄砲を贈るよう手配いたしましょう」
「頼むぞ叔父上」
そう言って笑った長政からは既に先ほどの眼光は失われていて、いつもの穏やかな長政へ戻っていた。
再び書状に視線を落とし、渋々といった風に花押を押し始める長政。その横顔を見て、政澄は時折思う。長政の中には、二人の人間が住んでいるのではないのかと。
どこか抜けているようで、それでも天下を憂い、民を想い、戦を嫌う、どうにも放ってはおけない普段の温厚な浅井長政と。
どこまでも……どこまでも天下を見通し、生まれ持った戦の才を存分に振るわんとする、戦国の申し子のような浅井長政が。
今は良い。だがもしもその力が、その血が、いつか追い求めるままに戦を起こし、浅井を滅亡に向かわせようとしたならば。
「……」
丹波へ送る書状をしたためていた手が、いつの間にか静かに止まる。
あり得ないと思いつつも、そのあり得ないが起こってしまうのがこの戦国だ。もしも……もしももう一人の長政が、浅井に破滅をもたらそうとしたならば、その時は。
それを止められる者が、浅井に――この日本にいるのだろうか。
「叔父上、書状は書けたか?」
「……は、すぐに持たせましょう」
所詮は杞憂だと頭を振って、政澄は政元を呼び付けて書状を手渡した。
長政の横顔に、未だその影はない。




