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湖北の鷹 ―新生浅井伝―  作者: 一代 半可
第四部

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92/116

092_永禄八年(1565年) 若狭の今

「とは言ったものの、実際どうしたものかな」


 明くる六月。若狭を平定するための妙案が浮かばないまま早くもひと月が過ぎ去ったが、事態は何も好転しなかった。


 いつものように浅井屋敷の一室で執務を行いながら、届けられる書状の内容にぼやいていると、机の前で忙しく働いている政澄が顔もあげずに声だけこちらに向ける。


「直経からの書状ですかな」


 今では浅井の行政を一手に担う彼は、今日も今日とて大量の書状に囲まれて、紙と墨の匂いを漂わせていた。


 長政は政澄に「ああ」と返事すると、読み終わった書状を彼に突き出してみせる。


 しかし突き出された政澄はと言えば、右手に筆、左手に嘆願状という有様のため受け取れるはずもない。


 だというのに長政はそんなことにも気付かずに、その視線は既に明後日の方へ向いていた。


「賊の討伐がどうもうまくいっておらぬらしい。伊賀を手懐けられる直経ならば或いはと思ったのだがな」


 自身に抗議の目が向けられているとも知らず、長政は渋い顔をしてううむと唸る。


 先月の寶泉寺ほうせんじでの会見の折、結局押し付けられる形となった国吉城は、武田の体制が立て直せるまでは直経を城代として置くことに決まった。


 その折、国吉城周辺は元より近江へも流入し始めていた若狭の賊を、ついでに浅井が討伐することで義統とも合意していたのだ。


 浅井の兵力があれば賊の討伐などすぐに終わる。そうたかを括っていた長政だったが、報告を読む限り存外そう上手くはいかないらしい。


 そもそも若狭という国は東西に長く、直経のいる国吉城は東の外れ。対して武田家の本拠である後瀬山城や小浜湊といった若狭の主だった地は、若狭の西に集中している。それが原因の一つとして挙げられる。


 当然、賊が活発に現れるのも比較的活気ある若狭の西になるため、賊が現れてから兵を挙げても到達までに半日から一日ほどかかってしまうのだ。それではいくら賊を追っても追いつくことなど至難の業。


 そのうえ若狭の東は山が多く、大軍が通行するには都合が悪い。

 かつて粟屋勝久が朝倉軍を足止めできたのもその道の細さ故なのだが、それが今度は直経を苦しめているという訳だった。


 これらに加えて、さらに若狭の不安定な情勢も追い打ちをかける。


 若狭は現在、若狭武田の名の下に家臣国衆が割拠する群雄割拠の時代を迎えている。


 誰も彼もが名目上は武田家家臣を名乗ってはいるが、その内情は親三好だったり親朝倉だったり、はたまた完全に武田からの独立を狙っていたりと目的も行動も様々。


 そんな中で野盗討伐の兵を不用意に挙げれば、あちこち刺激して要らぬ戦が始まってしまう。そのため兵を起こすには根回しが必要な訳なのだが……これがまた面倒なのだそうだ。


「どいつもこいつも自由に動いているせいで、誰に話を通せば良いのかわからんらしい。おかげでありとあらゆる人物に取り継がねばならず、遅々として話が進まんのだとか」


 渋々筆を置いて書状を受け取った政澄が視線を落とすと、長政の言う通り賊討伐に苦戦している直経の近況が綴られていた。


「こんな有様では討てる賊も取り逃がしましょうな」


「それに加えて土地感という地の利まで向こうにあるとなれば、難航するのも無理はないか」


 一通り報告を読み終わった政澄が書状を小脇に置いたところで、長政はため息をひとつ漏らす。


「いずれ私が出なければならんか……ままならんな」


 今の浅井はほぼ長政の名声のみによって支えられている、とても不安定な状態と言っていい。もし万が一長政の身に何かあれば、そこから一気に浅井家が崩れ落ちることも考えられるほどに。


 そのため理想を言うのなら、朝倉家や晩年の織田家のように、ある程度の軍事裁量権を持った者たちによる軍閥化を行えると長政が動けない時でも助かるのだが……


 ――とは言えそれも一長一短か。


 軍閥化を進めすぎた結果中央がガラ空きになり、光秀一人の裏切りで全てが崩壊した織田信長の最期や、各軍閥が力を持ちすぎた結果各々が骨肉の争いを始め、混沌としたまま滅亡したしん国の例を鑑みるに、良いことばかりというわけでもない。


 かといって今の長政に頼りきりの体制も負担が大きいため、そのうち何か手を考えなければならなそうだ。


「南、東、そして西への抑えも必要になりますからな。若狭へ差し向けられる兵は僅かとなりましょう」


 やれやれと肩をすくめて見せると、政澄が「そのかわりと言っては何ですが」と続ける。


「若狭平定がなれば、得る物も多くありましょう。近頃近江へ流入している賊の件も片が付き、小浜を使った西との交易も回復する。実りは多くございますぞ」


「それはそうだがな……」


 小浜湊が使えるようになれば、今は途絶えて久しい西との交易がまた盛んになる。それは浅井にとっても大きな利になることは間違いない。


 何せ、豊かな日本海の海産物はもちろん、中国地方山陰道沿いから採れる上質な銀鉱石や鉄鉱石の搬入路が増えることになるのだから。


 特に、若狭経由で鉄を仕入れられるようになる意義は大きい。山陰道沿いから採れる鉄はたたら鉄と呼ばれ、国友の鉄砲生産を支える重要な資源になる。


 世に有名な玉鋼もこのたたら鉄から作られると言えば、その価値は推して知るべしだろう。


 今は賊による治安の悪化が原因でこの小浜湊はまともに機能しておらず、殆どの荷駄が朝倉領の敦賀湊を介して近江に運ばれている。


 これは裏を返せば、淡海の物流を朝倉が牛耳っているということに相違ない。


 もし朝倉が何かのきまぐれで敦賀を封鎖でもすれば、それだけで浅井は干上がることになるだろう。


 いや、そこまでせずとも朝倉が関を設けて多額の通行料を徴収するだけで、浅井にとっては充分な痛手になる。


 そうなれば浅井に残された道は二つに一つ。泣く泣くそれを受け入れて多大な税を支払うか、或いは朝倉を相手に一戦交えるか。


 浅井がそのどちらかに踏み切れば、朝倉としては悠々と利益を貪るなり、無謀な戦いを仕掛けてきたところで叩き潰し、淡海の利権を奪うなり好きに調理できるという訳だ。


 そんな風に朝倉に首元を掴まれている状況も、小浜湊が使えるようになれば話が変わる。朝倉の影響力を削ぐことができるのである。


 浅井家の真の独立を成し遂げるためにも、やはり小浜湊の安定化は必須といっていいだろう。


 それに……史実で浅井が織田を裏切ったのも、存外こうした淡海に関わる利権が原因だったのかもしれない。


 史実では織田と朝倉がぶつかる直前に、朝倉が若狭を牛耳っていた筈だ。


 つまり小浜湊と敦賀湊、淡海の入り口ともいうべき二つの湊が朝倉によって抑えられていたのである。


 そんな状況で朝倉を敵に回せば、あらゆる交易が途絶えてしまう。交易路に連なる利権と税で生計を立てていた浅井としては死活問題だ。


 かと言ってその朝倉を織田が滅ぼしたとしても、次は織田の機嫌を伺う羽目になる。


 織田はその頃には南近江を抑えており、織田の機嫌を損ねれば小浜や敦賀だけでなく、南近江の大津湊まで止められてしまうからだ。


 そうした織田の脅威とこれまで通りの朝倉との関係。その二つを天秤にかけ、朝倉を選んだと考えれば史実の裏切りも何も不思議なことではない。


 となると今回の若狭平定と小浜湊の安定化は、回り回って浅井滅亡を回避するための重要な一手になるというわけだった。


 結局そんなわけで、面倒とは言え若狭の賊問題は近いうちに何とかしなければならないのである。


「兄上、叔父上。追加の嘆願状でございます」


 存外に手を焼かされる賊への対処法を考えていると、そこへ弟の政元がパタパタと駆け込んできた。


 昨年初陣を終えたばかりの政元は今年でもう十七になる。長政に似て綺麗な顔立ちをしている彼は幼さこそまだ残しているものの、戦国時代では一人前の大人として扱われる。


 父の久政から手解きを受けた政元は、比較的武官の多い浅井家一族の中でも珍しく、内政官として頭角を表している。


 おかげで今では政澄共々、すっかり浅井の屋台骨だ。


 そんな政元は送られてきた多数の書類を手早く並べると、一礼してすぐに部屋を後にする。例に漏れず、彼も随分と忙しそうだった。


「政元もよく働いているな」


「殿、こちらに花押をお願いいたします」


「ん、あぁ……」


 ぼんやりと弟の背中を見送っていると、横から政澄に書状を渡される。ざっと目を通し、最後に浅井の花押を書き加えることが長政の主な仕事となる。


 長政の使う花押は浅井の字を崩したような形のもの。特に拘りがあるわけでは無く、ただ何となくそうしているだけなため、こうして書類仕事をする度にいつか変えたいとも思っていた。


 浅井の文字を翼を広げた鷹のように、崩して見せても良いかもしれない。そして伊達政宗のように、鷹の目に当たる部分に針で穴を開けるのだ。


 そうすればいざという時、不都合な書類が見つかったとしても穴がないから偽物だ、と言い張ることができるだろう……


 そんな馬鹿なことを考えつつ黙々と作業をしていると、政澄から「殿、八重からの知らせにございます」と一枚の手紙を手渡された。

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