091_永禄八年(1565年) 会見2
白湯で唇を潤して、少しだけ庭先に視線を向ける。館の先には青々と茂る山があり、初夏の青空を穿つようにそびえていた。
そんな景色をゆったり眺めながらたっぷりと間をあけたところで、ふと今思いたったかのように長政は「ところで」と切り出した。
「国吉城の抑えと若狭への援軍。この二つについては承知致しました。しかし……正直なところ、このままでは我ら浅井にとっての旨味があまりに少なく、いささか貧乏くじを引かされた、という想いがしております」
「……」
「昨年の国吉城攻めの折も、我ら浅井が殿を務めた由、武田様もご存じかとは思われますが」
少々不躾な切り出し方だっただろうか。だが、これで不快な思いをしていい立場にないことは義統とて承知していることだろう。現に今も、返す言葉も無い、といった様子で長政から視線を外している。
もしここで「我ら守護家は将軍家の代理であり、その言葉は将軍家の言葉に等しい。よって云々」などと旧勢力らしいことを言い出した折には即引き上げてやろうとも思っていたが、さすがにそこまでの礼儀知らずではないようだ。
「そこで、一つご提案が」
長政がそう告げても、義統は「……申されよ」と静かに答えるのみだった。
「当家としての要望は一つだけ。小浜湊に入る船のうち、近江へ向かう積荷については、その一切の税を免除頂きたいのです」
そう告げた時、ずっと渋い顔をしていた義統の表情が僅かに緩み、長政に視線を戻した。その代わり表情はややぽかんとしていて、まるでこちらが何を言っているのかわからないとでも言いたげだ。
「……税を……免除?」
「はい」
そして聞き間違えでないのか確かめるように、長政の言葉を繰り返したのだった。
義統のこと、恐らくは小浜の利益の一部を寄越せとでも言われると思っていたのだろう。
今でこそ廃れ気味とは言え、それでも小浜湊は日本でも有数の湊だ。利益も相応にあり、若狭武田家にとっては大切な収入源となっている。
そこに手を入れられれば、若狭武田家としては死活問題だ。しかし、ここまで譲歩した浅井に対して無碍に断れば、手を結ぶどころか攻め込まれることもあり得る――とでも考えていたに違いない。
しかし、そんなものよりも今回の減税の方が、よほど利益を生むだろうことを長政は直感していた。
「困惑されるのは致し方なきこと。当家でも家臣や国衆に同じ顔をされました。そのうえであえてお聞きいたしますが、武田様は近江の今浜という地をご存じでしょうか」
更に畳みかけるように問う長政。義統は何を問われているのかわからないと言った様子。目を白黒させながらも、問われるがままに訥々と答える。
「小浜湊には今浜へ向かう積荷も多くある。無論、存じてはいるが……」
「であれば話は早い。我が浅井では、一昨年から今浜にて浅井五カ条という約定を発布しております。これは平たく言えば楽市楽座令なのですが、合わせて積荷に対する税も撤廃し、商人たちに自由に商いをさせております」
ふむ、と義統は興味深そうに頷き返す。税が無くなるとはつまり、領主である武家にとっては収入が無くなることに等しい。いくら商人が儲かっても仕方ないだろう、とでも言いたげに見えた。
だが、それでいい。
「その結果、今浜では商人のみならず買い付けの客たちも自由に行き来するようになり、町は毎日が祭りのように活気づいております。さて、ここで重要なのは……その結果、今浜から得られる収益がどれほどになったかということ」
わざと勿体付けて、ここで再び白湯を口にする。既に義統の興味は長政の言葉に向いている。後はただ、事実を教えてやればいい。
「では改めて。今浜からの収益ですが……例年に比べると、実に五倍に増え申した」
その瞬間、義統の顔から色が消える。
「ご、五倍だと……!? 税を廃止して、何故……!」
思わずほくそ笑む。もはや言葉尻を取り繕うことすら忘れて、義統はその身を前のめりにしていた。ここまでくれば後はとんとん拍子だ。
「税の廃止、と言えど本当に全ての税を廃止したわけではございません。積荷や商人の移動には税をかけておりませんが、その代わり売買に税をかけておるのです。今浜で売り上げた額の一部を税として納めさせることで、自由に商いをして良いとしました。とはいえ、これまで関に払っていた税に比べれば微々たるものですが」
「それだけで……五倍に?」
「無論、その他の施策もいくつも行っており、税を廃するだけで五倍、というのはいささか乱暴な言い方ではございますが――」
それはそうか、と義統は頷いて、長政に倣うように自身も白湯に口を付けた。そこを見計らって更に畳みかける。
「――ただ、商人の動きが活発になったおかげで、近江全体にもその効力は波及しております。商人からの税収のみに限れば、近江全体で三十倍は固いかと」
その瞬間、義統は白湯を噴き出した。
幸い、うつむき気味に飲んでいたところだったため長政はその被害から逃れることはできたが、目の前の床はびしょ濡れだ。
もしかすると多少長政の服にも跳ねているかもしれない。
だが、そんなことにも構わずに義統は「三十倍だと!?」と声を荒げたので、長政は後押しするようにしっかりと頷いてみせた。
「左様。これは湊ひとつのみに効力のある施策ではございませぬ。税を廃するだけで湊のみならず、国全体への効果が期待できる。そのため、今浜と同じように小浜でも税の撤廃を行っていただきたい、というのが当家の要望にございます」
そこまで聞いてようやく合点がいったのか、口元を拭いながら頷く義統。その顔色は初め会った時から既に幾分も良くなってきている。きっと頭の中では小浜の利益がどれだけになるか試算していることだろう。
それからまた少し間を置いた後、何か納得したのか一度頷いた義統は「意図は理解した。しかし」と続ける。
「それで一体、浅井殿に何の得がある? 税の撤廃で我ら武田が儲かったところで、浅井殿には何も得はないように思えるが……」
「否。我らも大きく得をします。今、海からの積荷は主に敦賀を介して近江へ降りてきておりますが、これは我らの喉元を朝倉が抑えているということに同じ。今浜の商人たちは良く嘆いております。敦賀の税も無くなれば、もっと大きな商いが出来るのに、と。それに――」
ちら、と義統の従者にも視線を走らせれば、そちらも興味深々と言った様子で長政の話を食い入るように聞いている。ここまでくれば、勝ったも同然だ。
「――小浜からの積荷はそのまま京へ流れることも多く、近江の旨味が少ないというのが正直なところにございます。それらの積荷を、税を撤廃することで一度全て近江に降ろし、商人たちに近江を介させます。さすれば……」
「商人の出入りはこれまで以上に活発になり、若狭も近江も共に儲かるようになる、と?」
「その通りにございます。さすがは武田様、話が早い」
最後にそう締めくくってやると、僅かばかりの自尊心をくすぐられた義統は「なるほど」と満足気に呟いた。どうやら長政の提案に納得したようで、しきりにうんうんと難しい顔のまま頷いている。
「……だが、誠にそれほど事がうまく運ぶものだろうか?」
「少なくとも、今浜はそうやって発展し、我が近江は過去に類を見ないほど活気づいております」
「ふむ……」
そして、それからまたしばらくの沈黙を挟んだ後。
「承知した。浅井殿の要望通り、小浜湊では近江へ向かう積荷の一切に税をかけることを取りやめるとしよう。だが、誠にそれだけでよいのだな?」
と、片眉を上げて念押ししてきた。
長政にとっては大きな一歩だが、義統にとってはそれでも割に合わないと感じているのだろう。
だが、これで貸しを作れるのなら安いものだ。滅亡直前とはいえ名家は名家。武田家の繋がりをいずれ長政が頼りにする日も来るかもしれない。その時は存分に頼らせてもらうとしよう。
「充分にございます。そのことをご確約いただければ、国吉城のことも逸見昌経のことも、我ら浅井にお任せくださいませ」
最後にそう締めくくると、義統はうむと頷いて。
「相分かった。以後、よろしくお頼み申し上げる」
改めて長政に、深々と頭を下げたのであった。




