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湖北の鷹 ―新生浅井伝―  作者: 一代 半可
第四部

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115/116

115_永禄九年(1566年) 新生への一手

「でかした半兵衛。そなたの策、見事にはまったな」


 高浜城開城の知らせと共に鬨の声が上がる中、長政は本陣で床几に腰かけたまま、手にした鞭をぱしん、と鳴らした。


 一方、見目麗しい女装から厳しい甲冑姿に変わった半兵衛は、同じように床几に腰をかけたままで体の向きをずいと変える。


「全てはここに集うみなさまのご助力あってのこと。深く、御礼申し上げます」


 そして殊勝にも、そうやって頭を下げて見せたのだった。


 半兵衛の策たる高浜の無血開城。その内容を聞かされた時、初めは誰もが実現を疑った。


 彼が提案したのは若狭の百姓に炊き出しを行って兵力としてかき集め、尚且つそれを一夜のうちに行ってしまうことで逸見昌経の士気を挫くという、荒唐無稽にも思える壮大な策だったからだ。


 第一の課題は米の調達だった。百姓を集めるだけの食事を用意できなければ、そもそも成し得ようがない。


 これには政澄、政元を初めとして新たに増員された内務官ら、並びにその物資の運搬を務めた白鷹隊。そして敦賀湊の使用に協力的だった朝倉景恒の貢献が大きい。


 彼らの働きによって今もなお続々と、若狭へ米が輸送され続けている。今頃小浜の湊には、山積みになった米俵があちこちに並んでいることだろう。


 第二の課題は船だ。高浜城を包囲するにせよ、物資を小浜から高浜へ輸送するにせよ、波の激しい日本海を渡れるだけの者たちを集めなければならなかった。


 これには武田義統自慢の水軍衆が力を見せた。彼らは普段から荒れる日本海の波に慣れているだけあって何なく船を操ってみせると、高浜城からすぐのところにある高浜村周辺の平地に次々と物資も人も運び込んでみせた。


 その船には浅井が支給した上質な帆を使っていたこともあり、彼らは十分すぎるほどの成果を挙げたのだった。


 第三の課題は広報。浅井の炊き出しをいかにして高浜のある西若狭中へ広めるか。そして百姓たちをいかにして集めるかだ。


 情報を広めるだけならばどうとでもなる。しかし、集めるとなると至難の業だ。


 ふらふらと領地から浅井の旗へと百姓たちが集まれば、彼らは逃散ちょうさんしたとして国衆から咎められる可能性があるからだ。


 田畑を捨て、領地から逃げ出す逃散は時に重罪とされる。長宗我部元親などは、畑を捨てて逃げた百姓の親類まで成敗するという厳しい仕置きを行ったとか行っていないとか。


 そんな危険を孕む行為を百姓たちが簡単にできるわけがない。やるなら一斉に、大量の人数を動かすことが必要だ。


 それこそ、逃げた百姓を罰するなどと戯けたことが出来ぬほど、国衆らを混乱させるだけの大人数が。


 これには夜鷹がその力を発揮して見せた。


 方々に放たれた刺客たちは、まず百姓に口伝で噂を流し、浅井の旗へ集うように仕向けるところから仕事を始めた。


 続いて彼女らは歩き巫女として若狭に入り込んでいた伝を使い、朝倉が来ただの浅井の大軍が来るだのと偽報に次ぐ偽報を流し、国衆が百姓たちに構う余裕がないほどの混乱をもたらした。


 結果、今頃この辺りの弱小国衆らは、来もしない朝倉の影に怯えて城に籠っている頃合いだろう。


 だがもちろん、これは夜鷹のみの力では不可能な芸当だ。


 第四の課題にしてその不可能を可能にした最大の要因。それは――


「此度の第一功は半兵衛、と言いたいところだが……最も功を挙げたのは誰の目にも明らかなように、この仕込みに駆け回った夜鷹と――」


「――はい。その夜鷹に協力し、存分に働いて見せた仁介殿の若狭衆。この両名が第一功で間違いありません」


 ――半兵衛はそう言って、本陣末席に立っていた仁介へ視線を向けた。


 そう、夜鷹の働きをより一層後押しした四つ目の駒こそ、猿飛仁介率いる若狭衆だったのだ。


「若狭は俺たちの庭だ。潜んだ仲間たちに偽報を握らせる程度、訳ないさ」


 少し得意顔の仁介は、そう言って腕を組みなおす。直経を苦戦させた彼らの土地勘が、半兵衛の策を成就させたのである。


 当初の予定では彼らを調略し、一時的に動きを止めることを目的としていた。しかし、彼らを抱き込んだ今、その働きは期待以上の物となった。


 若狭の道筋、百姓たちの説得の仕方、何より彼らの求める物。元百姓である彼ら若狭衆はその全てを把握しているのだから、ある意味当然の結果でもあった。


 また各地に顔馴染みもいたらしく、賊であるはずの彼らの言葉が外様の浅井よりよほど力を持つ。


 そのおかげで、当初の予定を遥かに上回る範囲で百姓の移動と国衆らの混乱が起こり、あっという間に数千に昇る百姓たちがこの地へ集ったのだった。


 これを持って半兵衛の策は成り、逸見昌経の籠る高浜城は、僅か数百の浅井兵と一千余りの賊、そして数千に及ぶこの地の百姓によって開城させるに至ったのだった。


「まずは夜鷹。特に各地への諜報と調略を手掛けたおたゆの働き、見事だった。そなたが武士であれば城を預けていたところだ。褒美を存分に取らせよう」


 長政がそう告げると、町娘姿で片膝をついていたおたゆが「ありがとうございます」と優雅に頭を下げ、続ける。


「わたくしが望みますのは浅井家の隆盛のみ。これから先も我々夜鷹のこと、よしなにお頼み申します」


 謙遜か、それとも心からの本音なのか。どちらにせよ、それは長政の望むところでもある。


「相分かった。まずは百姓たちへの炊き出し、引き続きよろしく頼むぞ」


 はっ、と返事したおたゆに続いて長政は仁介にも顔を向けた。


「そなたにも礼を言う、仁介殿――いや、仁介。約定通り、今後のことは一切、この浅井備前守に任せておけ」


「ああ、よろしく頼むぜ大将。その代わり、あとの仕事は俺らに任せな。あんたの武勇伝と合わせて若狭中に知らせを走らせてやるよ」


 随分と不遜な言葉遣いではあるものの、これにいちいち目くじらを立てる者もこの場には居ない。


 その代わり――と言うわけでもないのだが、仁介は「だが……」と続ける。


「良かったのか? あの慶次郎とかいう傾奇者をそのまま行かせて。どこぞの家臣だったんだろう?」


 彼の言葉通り、慶次郎は仁介との邂逅の後に「また会おう」とだけ言い残して、どこかへと去ってしまった。


 恐らくは彼に長政の為人を見るよう依頼した人物の元へ向かったのだろうが、結局、依頼人が誰だったのかはわからずじまいだ。


 察するに、織田家中の誰か――信長か、それに近しい立場の人物だとは思うのだが……


「知られて困るようなことは話していない。それに、信によって義を為そうという私たちの考えを、かの御仁は面白いと言った。そう悪いようにはならぬだろう」


「そう言うもんかねぇ」


 そうして仁介が肩をすくめてみせた頃、ちょうどもう一人、此度の勝利の立役者が本陣に現れたのだった。


「浅井殿。逸見殿をお連れし、外に待たせております」


 元武田家臣、粟屋勝久である。


「承知した。勝久殿、此度の助力かたじけない。おかげで無駄な血を流さずに戦を終えることができた。全ては勝久殿が昌経殿の説得をしてくださったがためだ」


 長政が礼を言うと、勝久は首を横に振る。


「それがしは何も……ただ、これ以上若狭の民を苦しめたくないという浅井殿と……竹中殿の思いに、動かされたまでのこと。若狭を憂う思いは、それがしとて同じ故」


 この戦の前、長政と半兵衛は粟屋勝久と会い、話をしていた。


 その際、半兵衛の並々ならぬ説得により勝久は逸見昌経降伏のため力を貸すことを決意したのだ。


 浅井だけではこうも簡単に説き伏せることは出来なかったかもしれない。これもまた、民を思う半兵衛の思いが勝久の心を動かした結果なのだろう。


「それではそれがしはこれにて」


 そうして引き下がろうとした勝久を長政は引き止める。


「しばし待たれよ勝久殿。そなたにも昌経殿との会見、同席して頂きたい」


「それがしが? それは構いませぬが……何故なにゆえ?」


「知った顔がいる方が昌経殿も安心するだろう。それに……」


 長政が視線を送ると、半兵衛が頷いて言葉を継ぐ。


「この会見は、若狭のこれからを決めるものとなりましょう。粟屋殿にも、是非その場にご同席頂きたいのです」


「……」


 いまいち要領を掴めず押し黙る勝久だったが、二人の真剣な表情を見て頷くと「承知した」と短く返事したのだった。


「よし、ではこれより和議に入る。昌経殿をお呼びしろ。これを持って若狭の騒動を仕舞いにするぞ」


 若狭を巡る動乱、その最後の一手が打たれようとしていた。

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