114_永禄九年(1566年) 高浜城攻め
逸見昌経は現状、苦しい立場に置かれていた。
元々主家武田の家督争いに端を発し、先代当主の武田信豊に味方したがため、現当主の義統と対立することになったのが全ての始まりだった。
それから義統とは対立姿勢を深めてきたのだが、肝心の信豊はといえばあろうことか早々に義統と和睦し若狭へ帰還してしまう。
おかげで昌経は謀反人という立場だけを残して孤立し、泣く泣く隣国の丹波内藤、即ち三好に力添えを頼むこととなってしまった。
それからは戦上手の義統相手に勝った負けたを繰り返し、一時は丹波へ落ち延びるも今ではなんとか若狭の一角、高浜の地に城を構えるまでになったのだった。
だというのに。
「内藤宗勝が死んだ!?」
その知らせがもたらされたのは昨年晩夏のこと。よりにもよって後ろ盾となっていた内藤宗勝が丹波の国衆に討ち取られ、三好の支援すら受けられなくなってしまったというのだから踏んだり蹴ったりだ。
その前には頼みの綱であった粟屋勝久も近江の浅井に敗れ行方知れず。いつ朝倉が大挙して押し寄せてきてもおかしくない。そんな状況下で入った最悪の知らせだった。
昌経としてはいっそのこと武田義統に降ってしまいたい気持ちもあったが、今までやってきたことがやってきたことだけにそうもいかない。
少なくとも、申し訳ありませんでした、では済まないだろうことも重々承知の上だ。
となればやはり、このまま独立を続けるしかない。
現状有力な跡取りが居ない逸見家で、もし昌経が腹を切ることにでもなればお家断絶だ。それだけは絶対に避けなければならない。
「いっそどこぞの大名が若狭に攻め込んではくれぬものか」
そうすれば自分は真っ先にその大名に味方して、共に若狭を平定するというのに。齢四十を越えて、そんな夢物語をぼやいてしまうほどに状況は切迫していた。
今回の挙兵も本当たりするつもりは毛頭なく、一当てして勝てれば儲けもの。それを担保に義統と和睦できれば、という淡い期待込みのもので、それが上手くいかずとも武田が動けなくなればそれで良かった。
とにかく今は突破口を探らねばならない。毎日がその思いでいっぱいで、胃がじくじく痛むような日々を過ごしていた昌経だった。
しかし、そんな胃の痛む日々は突然終わりを告げる。
ある日の明け方、まだ日が昇ったばかりの朝早く。久々に深い眠りについていた昌経は家臣の騒ぎに叩き起こされる。
「ご注進! ご注進ー!」
「なんじゃ! 敵か!? 数は!!」
いつも枕元に置いている太刀を掴み、すぐさま刀身を引き抜く。真っ白い小袖の寝起き姿ながら頭の中では既に戦の算段が始まっていて、敵は朝倉か、それとも武田かと様々な想定が駆け巡る。
そんな中、駆け込んできた家臣は部屋に転がり込むなり叫んだ。
「城門前に敵が布陣しております!」
「何じゃと!?」
昌経はすぐさま寝床の木戸を叩きつけるように開く。
この高浜の城は小高い山の上に築かれている山城で、三方を海に囲われている。唯一、地続きの南のみに細い道を構えていて、敵は必ず南からやってくる造りになっていた。
また城とは言うものの突貫で立てたようなもので、館のような家と塀が並ぶ、詰め所のような造りをしている。
そのため辺りを一望できるのは昌経が寝床としていた高櫓のみで、昌経はここから辺りに睨みを効かせて敵に備えていたのだが……今回はそれが仇となった。
「なんじゃ……これは……!」
眼下に広がる絶望的光景が、見晴らしの良さ故に一望出来てしまったのだ。
山の麓にたなびく旗、旗、旗。かがり火が風で揺れて、朝闇の中に敵の姿をおぼろげに浮かび上がらせていく。
「三盛亀甲花菱……! 浅井が来たのか……!」
一昨年前に粟屋勝久を下した浅井が、今逸見昌経を討つためにここに集っている。その数一千余り。
既に戦支度も整っているようで、積み上げられた土嚢の壁とその後ろに構える浅井兵の姿も見えた。
だがそれ以上に問題なのは、それら城に取りつく兵の、更に向こうに広がる光景だ。
この城の南にある高浜村の辺りだろうか。まるで取り付いた兵はあくまで先鋒だとでも言うように、遥か向こうの平地にはいくつもの人影とかがり火がうごめいていた。
その数、ざっと数千。陽が昇れば、恐らく奴らが殺到して城門が一瞬のうちに破られることだろう。
「なぜこれほどの敵に気付かなかった……!」
締め上げるような胃の痛みと共に昌経は絶句する。しかし同時に、戦慣れした昌経の脳裏には強烈な違和感も生まれていた。
そもそもこの辺りの国衆とは手を結び、共に武田から独立するよう働きかけている。もしこれだけの兵を動かせば、どこかしらから知らせが入るはず。
だというのに、今こうして包囲されるまで昌経はそのことに気付きすらしなかった。気付けば一夜のうちに兵を寄せられ、危機的状況に陥っている。そのこと自体がおかしいのだ。
他に城を構える者たちは一体何を――
「殿! 海にも敵が……!」
家臣の悲鳴のような叫び声に、すぐさま場所を変えて海を臨む。すると言葉通り、いくつもの船が辺りを囲い、昌経が逃げられないようにがっちりと包囲を固めていた。
そしてそんな船の一角にたなびく家紋はといえば。
「三盛木瓜……! 朝倉まで来たのか!?」
家中の争いで動きが鈍くなったという噂のあった朝倉が、よりにもよって今動いたらしい。慌てて麓の敵にも目を凝らせば、確かに朝倉の陣旗も混じっている。数はそう多くないが、あれで全てという訳ではないだろう。
そしてその途端、今まで敵の存在が知らされなかった理由に合点がいった。
恐らく遠目に見えるあの影は朝倉の大軍に違いない。そしてここに居るのは浅井を先鋒としたその先駆け。勇猛神速で名高い浅井のこと、二、三日のうちにこの辺りの国衆を降し、瞬く間に城を囲んだと考えれば辻褄が合う。
朝倉の大軍相手では誰もが降伏せざるを得ない。きっと国衆らは昌経に一報を入れる暇すらなく浅井によって攻め寄せられて開城した。
そして今、平地に朝倉の大軍が集結し、この城をひと呑みにしようとその時を待っているのだ。
「おのれ……!」
毒づくがもはや後がない。物資の輸送を行うための海路も閉鎖され、城内の食糧だけで籠城を行わなければならない。しかも、援軍無き籠城を、だ。
だというのに、悲報はまだ続く。
「殿! 敵方に続々と百姓が集まっております!」
別の家臣が飛び込んでくるなり告げたのは、敵の兵力が更に増えているという知らせだった。
「どういうことだ!?」
「どうやら浅井は民百姓へ炊き出しを行っているらしく、飯目当ての者たちが続々と集まっております! 遠方からも押し寄せているとのこと!」
何ということだ。昌経は思わず頭を抱える。
百姓を味方につけたということは若狭を味方につけたに等しい。これでは辺りの情報は、もう昌経には入ってこない。百姓たちは浅井の味方をするに違いない。
数千に膨れ上がった浅井の兵のうち、一体いくらが元は若狭の百姓なのか。もはや昌経には目星すら付きはしなかった。
「賊はどうした……! なぜ奴らは百姓を襲わんのだ……!」
「知らせによれば……その賊の姿が敵陣に見えるとの由にて……」
「……ッ! 賊まで手懐けたか……!」
来る知らせ来る知らせ、そのどれもが昌経の形勢不利を伝えている。浅井の動きが早いという噂は聞いていたが、まさかこれほどとは。浅井が動き出す時には既に勝負が終わっているとでも言うのだろうか。
「ご注進! ご注進!」
「今度はなんじゃ!!」
悲報ばかり舞い込む中で苛立った昌経へ、トドメとなる一方が知らされる。
「敵方より、降伏の使者が参っております!」
その手に握られていたのは降伏勧告と思われる書状。昌経が慌てて目を通すと、直ちに降伏すれば将兵共々命を保証する旨が記されていた。
「……これを信じろと?」
あまりに手ぬるい、というのが昌経の正直な感想だった。
人質を出しての降伏が普通、切腹のうえで開城が最悪という状況での無条件での降伏勧告だ。こんなものがまかり通るわけがない。
となれば考えられるのは謀殺。命を保証する、と言いながら挨拶に向かう道中で始末してしまえば浅井は預かり知らぬこと、無念でならない、と、しらを切れる。
となればこの降伏を呑むわけには――
「それと降伏の使者ですが……粟屋越中守勝久、と名乗っております」
――その時、昌経は己の耳を疑い、しかしすぐにそれが聞き間違いではないことを理解して驚愕した。
「粟屋殿が浅井の使者に……!? 何かの間違いではないのか!」
「この目で確認しましたが、間違いなく本人でございました」
「なんと……」
行方知れずとなっていた元国吉城城主、粟屋勝久までもが今では浅井についていて、降伏の使者としてやって来ているらしい。
あの義理堅い勝久のこと、もし昌経を謀殺する動きがあれば必ずそれを知らせるはずだ。その知らせがないと言うことは、浅井は本当に無条件での開城と降伏を望んでいるらしい。
「……もはや、これまでか」
昌経の全身から力が抜け落ち、その場にへたり込む。いずれこの降伏条件は、城兵たちにも知れ渡ることだろう。
兵糧も少なく、援軍も望めないこの状況で昌経が継戦を望んだところで、ついて来る者がほとんど居ないのは目に見えている。
むしろここで変に戦い続ければ城兵たちに不満が溜まり、それが反乱となって噴出し、昌経の首を土産に降伏する者も現れるかも知れない。
或いはそうなるように浅井が仕向けているのだろうか。
どちらにせよ、もはやこれまでだ。
「この逸見昌経が……銭と米に敗れるか」
戦ではなく調略による敗北を口惜しく思う一方で、胃の痛む日々をもう耐え忍ばなくていいのかと思うと、どこか気が楽になった気がした。
高浜城はその日のうちに、一戦すらすることなく開城したのだった。




