113_永禄九年(1566年) 猿飛仁介という男
仁介の後に続いて歩き続けることしばらく。若狭の町外れに近付くにつれ、大きなぼろ家が姿を現した。どうやらそこが仁介の拠点のひとつらしい。
ぼろ家に近づくにつれ、物乞いのようなぼろぼろの格好をした者たちが増えていく。道端に各々ござを広げて座り込み、どうやらその上で生活を営んでいるらしい。
中には本当に生きているのか怪しいほどに痩せ細った者もおり、直視するのも憚られるような光景があちこちに広がっていた。
そんな中、ボロ切れのような服をまとった老女が仁介の元へと歩み寄る。
「仁さん、客かい?」
「ああ、俺と話がしたいって変わりモンたちだ。それより婆ちゃん、体調はどうだ? 腰の痛みは?」
「今日は調子が良くてねぇ。散歩でもしようかと思ってるんだよ」
そんな世間話に花を咲かせ、足を止める仁介。それに合わせて長政らの足も止まる。
「随分と慕われているようだね、あの御仁は」
隣を歩いていた慶次郎がその光景を見て呟いた。
「ああ。他の者たちの目にも警戒が見られない。普段からああして、よく言葉を交わしているのだろう。賊の頭領とは思えないな。それより、慶次郎殿は良かったのか? 私の用に付き合わせてしまったが」
「今更ここでさよならってのも味気ねえ。旅は道連れさ。それに、賊の頭領相手にあんたが一体何を話すのか、個人的に興味がある。差し支えないなら護衛代わりにお供するぜ」
「それは心強い。ならば少しの間、よろしく頼む」
「待たせたな、行くぜ」
慶次郎と言葉を交わしている間に仁介も話終わったらしく、一向は再び歩みを進めた。
――にしても随分と多いな。これが全部賊とその郎党か?
先ほどから、行けども行けども物乞いのような者たちがあちこちに並ぶ。若狭周辺にはびこる賊の数は、ざっと二千とも三千とも。その一部として考えれば納得の行く数ではあるのだが……
それだけの賊が若狭にいることにも驚きだが、それだけの賊が食っていけるだけの国力が若狭にあることにも驚きだ。
時には民百姓から食料を奪い、またある時は魚をとり、またある時は隠田で米や稗を作って食い繋いでいるのだろう。
特に魚は人の目さえ盗めば育てる手間も土地もなく食料にあり付ける。これも海のある国だからこそできる食い扶持の得方だ。
「着いたぜ、入んな」
そんなことを考えているうち、一行はぼろ家に辿り着く。言葉だけを残して先にさっさと中へ入っていく仁介。その背中を気配で追いかけつつ、長政は即座に夜鷹に告げる。
「お前たち二人は一度湊に戻り、おたゆに仔細を伝えろ。以降、私が戻るまでおたゆに従え。八重、才蔵。二人は共に来い。それから……」
一瞬、八重と才蔵を見比べて。
「八重、外の見張りを頼む。いざという時は構わず動け」
「……はっ」
八重の返事に一瞬間があったのは、長政の傍から外されることに対する抵抗だろうか。だがむしろ、長政にするとそれこそ信頼の証に他ならない。むしろ才蔵を一人にすると何を仕出かすかわからないためだ。
「行こうか」
結局、長政、半兵衛、慶次郎、そして才蔵の四人でぼろ屋の中へと足を踏み入れることにした。
ぼろ屋の中は存外に広く、元々は民家か何かだったのだろう。乾ききった板張りの床がところどころに穴をあけ、土壁もところどころ欠けている。
「座んな」
そんなぼろぼろの床に構わず腰をかける仁介。ある程度人の出入りはあるのか、見た目の割に存外綺麗に掃除されているらしい。
「失礼する」
まず長政が仁介の正面に腰を降ろし、その左右に才蔵と半兵衛が控える。慶次郎は警戒のためか入口の近くで腕を組み、背中を壁に預けていた。
「まぁ飲めや。喉乾いてんだろ」
茶碗に白湯を注ぎ入れる仁介。それを長政らの前に差し出すが、才蔵は視線を鋭くする。
「お気をつけください旦那。毒が盛られてるかもしれやせん」
「盛るわけねえだろそんなもん」
「不意打ちで仲間を殺した男の言うことなど信じられるか」
「だからそれは……チッ、めんどくせえ女だな」
「なんだと?」
前のめりになる才蔵を手で制し、長政は構わず「頂こう」と茶碗に口を付ける。仁介の言うようにしばらく何も飲んでいなかったので、ただの白湯が随分とうまく感じた。
仁介が本気で長政を殺すつもりなら、とっくに仲間に襲わせているはずだ。そんな推測ありきの行動だったのだが……なぜか仁介だけに留まらず、半兵衛や慶次郎までもが長政をじっと見つめて。
「……大した度胸だな」
「全くです。多少は警戒した方が良いと思いますよ」
「はっはっは。だから面白れえ男なのさ」
各々が好きに長政を評したのだった。
いつからそんなに仲良くなったんだよ、と眉をひそめていると自身も白湯に口を付けた仁介が「それで」と話を切り出した。
「話ってのは何だ? 初めに言っとくが、盗みを辞めろってんならお断りだ。俺たちも生きるために必死でね。必要な犠牲、って奴なのさ」
必要な犠牲。その言葉が半兵衛の心を苛立たせたのか長政より先に口を開く。
「誰かを救うために誰かから奪えば、今度はその奪われた者が苦しむことになる。誰かから奪うことに罪の意識はないのか?」
「ご高説どうもありがとう。だが、そんな世の中を作ったお前ら武士が、したり顔で正論を抜かすんじゃねえよ。奪われれば死ぬ。だったら死ぬ前に奪うしかない。誰もが好きで奪っている訳じゃねえんだ」
「だったらせめて畑を耕し――!」
「その耕した畑を踏み荒らすのもお前ら武士だろうが。やれ家のためだ民のためだと嘯くが、結局のところお前ら武士のやってることは奪うか焼くか殺すかだ。何かを壊すことしか出来ねえお前らに、奪われるばかりの俺たちの、一体何がわかるってんだ?」
「ッ……」
珍しく半兵衛が言い込められていた。しかしそれも無理はない。仁介の言うように、武士と百姓という間柄ではどうしても加害者と被害者という立場になってしまう。
戦国という世である以上、武士が百姓を食い物にするのは当たり前。むしろ救おうとする長政たちの方がおかしいのだから。
やがて、仁介の昏い瞳と話の矛先が長政へ向く。
「近江の噂は聞いてるぜ。ここのところ、随分と景気が良いらしいじゃねえか。だが、それだって元を辿れば戦で土地を奪ったお蔭だろう。結局お前さんらは奪うことしか出来ねえのさ。俺たちと同じでな」
確かに、そうなのかもしれない。武士と野盗はどちらも奪うことしか出来ない者たちだ。守るために奪い、勝つために奪い、そして豊かになるためまた奪う。
そう考えると、武家とはなんと因果な生き方だろうか。
「確かにそうやもしれんな」
長政が呟くと、仁介はそうら見たことか、とせせら笑う。しかし、長政の言葉はそこでは終わらなかった。
「だからこそ、私は変えたいと思っている。この天下の有りようを。奪うばかりの生き方をな」
「……あン?」
「折角だ、少し私の考えを聞いてもらおう。本題というのもその先にある。半兵衛」
「……はい」
半兵衛が取り出したのは若狭や近江が描かれた地図だった。それをみなの前に広げたところで長政は問う。
「仁助、そなたは『天下三分の計』と言う言葉を知っているか?」
「あ?」
「かつて諸葛亮という軍師が、劉備という男に天下を取らせるために案じた計略でな。天下を三つに割り、二つの国で一つの大国に挑むという策なのだが……私が考えるに、今の日本にはそうした天下がいくつもある」
一体何を言い出すのかと片眉を上げる仁介。長政は構わず、地図に視線を落として続けた。
「九州、中国、四国、近畿、東海、北陸、関東、東北。もっと分ければ更に小さく天下は別れ、それぞれの天下を治める大名が居る。かつて諸葛亮は強大な敵に抗するため天下を割ったが、それは戦うための策だった。だが、別たれた天下では争いが無くならない。だからこそ――」
そこまで言い切ると、トン、と地図の中心を叩いた長政は視線を上げる。
「――私は、今こそ天下をひとつにつなぎ合わせようと思っている」
辺りがシンと静まり返る。呆れているのか、困惑しているのか。仁介の表情は複雑な色を浮かべていた。そこへ別の声が割って入る。
「つまり、天下一統を目指すって訳かい?」
慶次郎だ。先ほどまで入口付近を警戒していた彼もいつの間にか長政の言葉に興味を持ったらしく、気付けば近くまで寄ってきていた。長政は彼の言葉に少しばかり押し黙る。
「……天下一統。確かにそうかもしれんが……私が目指すのは、力で日本を統一しようという覇道の話ではない。私が天下を繋ぐのではなく、みなで天下を繋いでいく。言うならばこれは――」
そして、決めたとでもいうようにうんと頷く長政。
「――天下の有りようを変えるための策。天下新生の計、だ」
「天下……」
「新生……?」
「ああ。奪い、奪われる天下から、繋ぎ、与え合う天下にする。信によって天下を繋ぎ、義によって天下を治める。それ即ち信義による天下泰平だ。これこそ私たちの思い描く天下新生。或いは……そうだな、甘すぎる理想による天下の形、という奴だ」
そこまで告げると、長政は半兵衛に笑って見せる。既にこの構想を聞かされていた半兵衛は、ただ静かに「良き名かと」と頷いた。
これこそ長政が考えた、浅井が生き残り、乱世を終わらせ、尚且つみなで豊かになる唯一の道だった。
現代において、世界は一つに繋がれつつある。
それは何も戦争に反対し融和を広げていくなどという綺麗事による変革ではない。
お互いの国がお互いの国にとっての利害関係となり、必要不可欠な存在となったからこそ、争うよりも手を結ぶ方が得が多いと考えた結果だ。
それを長政は、この戦国で再現しようと言うのだ。天下を新生させ、新たな形に作り直す。そんな壮大な計略をもって。
そんな二人を見て、仁介は「ハンッ」と鼻で笑った。
「随分とご立派な策のようだが、言うだけなら誰にでも出来らぁな。一体どうやって天下を繋ぐつもりなんだ、湖北の鷹さんはよ」
「まずは銭だ。銭によって交易を繋ぎ、お互いの国をしっかりとつなぎ合わせる。そうしてお互いが必要不可欠の存在となれば、嫌でも手を結ぶより他無くなる。そうしてその腕を少しずつ、少しずつ伸ばしていけば……」
「確かにそれが上手くいけば争いは無くなるだろうがな。近江一国すら未だ救えちゃいねえあんたが、天下を救うたぁ随分なお題目じゃないか? 本当に作れると思っているのか? そんな馬鹿げた天下の形を」
「今はまだ無理だ。私一人では手が届かぬ故な。だからまずはこの若狭から始める。そのためにも手を貸せ仁介。それが今日、ここに来た理由だ」
「……あン?」
「お前とその一党、全てこの浅井長政が召し抱える。我が手足として働き、天下新生を為すための礎となれ」
半兵衛を除き、他の者たちは長政の言葉に驚きの声を漏らす。だが無理もない。召し抱えると簡単に言うが、その数は賊だけで二、三千と言われているほどだ。その家族までとなるとどれだけの数になるか計り知れない。
「馬鹿言うんじゃねえ! 一体どれだけの人数が居ると思ってやがる。それに……」
「そろそろ限界なのだろう? 奪って食い繋ぎ続けるのは。外の者たちも随分と飢えていた。ならば私と共に、奪うのではなく与えるための道を探してみないか」
逡巡するように言葉に詰まる仁介。長政の言葉が図星だったのだろう。簡単に突っぱねられるはずの誘いを断れず、視線が迷いを告げていた。
代わりとばかりに声を上げたのは慶次郎だった。
「実際のところ、本当に出来るのかい? そんなことが」
その問いに長政ははっきりと頷く。
「できる。私はその術を――そうなった先を知っている。後はみながそれに乗るか反るか、それだけだ」
「随分と分の悪い賭けのようだ」
「その代わり、当たればでかいぞ」
したり顔で言ってのけた長政に、慶次郎はとうとう噴き出して大笑いしたのだった。
「それでどうする仁介。お前は乗るか? この大博打に」
「……噂通り、とんでもないことを言い出す男だな。あんたの思い描く策とやらははっきり言って夢物語だ。そんな天下、来るはずがねぇ。だが――」
一瞬、チラと窓の外に視線を向けた仁介は続ける。
「――だが、どの道このままでも埒が明かねえ。それにもし当たれば……あいつらがもう、飢えなくても済む天下が来るんだな? 戦をしなくていい天下になるんだな? だったら……その大博打、俺も一枚噛んでやってもいい。その代わり、必ず当てろよ」
今までになく真剣な色を宿す仁介の瞳に、長政の口角も吊り上がる。
「そのつもりだ。噛んだ以上はお前たちにも死ぬ気で働いてもらうぞ」
「良いぜ。この猿飛仁介、これからはあんたのことを大将と呼ばせてもらう。この身と我が一党、その全てをあんたに預ける」
「よし、ならば見返りは飢えぬ日々だ。小浜の湊に、既に米を運び入れている。まずはそれを粥にしてお前の一党に食わせてやれ。食い終わったら早速働いてもらうぞ。まずは――」
再び地図に視線を落とした長政は、目的地となる高浜を指さして。
「――逸見昌経を降し、若狭をひとつに繋ぐ」
一同の顔を、最後にぐるりと見渡したのだった。




