112_永禄九年(1566年) 賊と傾奇者
八重が声を上げたのは、賭場を出てしばらく歩いてからの事だった。
「……新九郎様」
彼女の声音で理解する。言葉はそれだけで充分だった。
「かかったか。数は?」
「八……九は居ます」
「よし、少し急ぐぞ」
八重の腰を抱いて歩みを早めると、それに合わせたように後ろから足早になる複数の足音がした。
間違いない。付けられている。
「如何にするつもりで?」
小走りで後に続く半兵衛に、長政は視線も向けずに短く答える。
「竿をあげる。人気のないところに誘い込むぞ」
細い裏道を駆け抜け、古屋の角を曲がり、立てかけられた竹竿を押しのけて長政たちは若狭の町を駆け抜ける。
その後ろからは相変わらず、何者かの足音がいくつもいくつも続いていた。
そうして寂れた町並みを抜けて人の気配がしないぼろ屋の立ち並ぶ道を突き進み、やがて町外れに出ようというまさにその時のことだった。
長政の行手を遮るように、ぼろ屋の陰から人影が躍り出る。それはよく見慣れた格好の男だった。
「……また会ったな。今度も偶然、という訳ではないのだろうな」
それは先ほど賭場で別れたばかりの、例の傾奇男。悠々と道の真ん中に立つその男は、両肩に乗せるようにして布に包まれたままの槍を担いでいた。
「察しがいいねぇ。その通り、今回ばかりは偶然じゃない。ところであんた、賭場で打つのも初めてだろう?」
長政の足は自然と止まり、視線はじっと傾奇男を見据える。
隙がない。下手に動けばすぐさまあの槍を振り抜く、そういうただならぬ気配がある。
只者でないとは思っていたが、予想外の大物だったらしい。自然と長政の足に力が入る。
「ああ、初めてだが……それが?」
「だとしたら覚えておきな。あんなところで尋ね人の名前を出すもんじゃねえ。どこで誰が聞いてるかわかりゃしねえからな。でなきゃ――」
その時、物陰や傾奇男の背後、そして先ほどまで長政らを追いかけていた者たちが続々と現れて、遠巻きに長政たちを囲った。
「――こういう奴らが寄ってくる」
どうやら誘い込むつもりが誘い込まれたらしい。土地勘のない場所で釣りなどするものではない。
八重が夜鷹を動かそうとしたのを片手で制し、傾奇男に肩をすくめてみせる。
「やれやれ……それで? 結局私に何の用だ? 金が欲しいのか?」
もう少し情報が欲しい。わざとらしくそうやって懐から銭を取り出してみせると、傾奇男は吹き出すように大笑いした。
「ハッハッハッハッハ! 確かに俺は博打と戦が大好きでね。銭はいくらあっても困りはしない。だが――」
直後、痺れを切らしたらしいならず者の一人が、傾奇男の後ろから長政に向けて駆け出した。
その手には脇差が構えられている。
咄嗟に身構えたその瞬間。
「――それ以上に、あんたみてぇな面白い御仁が大好きでね!」
一閃。
ならず者が傾奇男の隣を抜けようとしたその瞬間、男は藍色の布で包まれた槍を振り抜き、ならず者を呆気ないほど簡単に吹き飛ばしたのだった。
何が起きたのかわからず、長政の動きが止まる。長政の前で、男の槍を包んでいた藍色の布がひらりと舞って地面に落ちた。
「傾奇者の誼だ、助太刀するぜ」
長政に背を向け、傾奇男はそう告げる。その手にあったのは、持ち手が真っ赤に染めあげられた美しい槍。
その槍を見て、長政は思わず息を呑む。
皆朱の槍。家中随一とされる剛勇の者にのみ所持を許される、名誉の槍。それは揺るぎない武勇を持つ者に与えられる無双の証。
しかし長政が息を呑んだのは、男がそんな剛勇無双の者だとわかったからではない。
傾奇者、そして皆朱の槍。その二つを持ち合わせる人物に、一人心当たりがあったからである。
「まさか、前田慶次……!?」
思わず呟く。すると男は驚いたように顔だけ長政に向けて、口笛を吹いた。
「ほう? あんたほどの御仁に知られているとは、俺の名も捨てたもんじゃないようだ。ああそうさ! 天下御免の傾奇者、前田慶次郎たぁ俺のことさ!」
前田慶次郎利益。それは誰もが知るほどの剛勇無双の武辺者。
彼に関する逸話は数あれど、共通しているのは傾奇者で風流を好み、戦場に出れば数々の手柄を挙げる無双の者ということ。
そしてその手には、常に皆朱の槍があったとされる。
彼が織田家を出奔したという逸話は有名だが、それはまだ先の出来事のはず。だと言うのになぜこんな所にいるというのか。
突然のことに混乱する長政を置いて、慶次郎は更に続けた。
「だが、ここいらじゃあんたのほうがよっぽど有名なんじゃないかい? 近江の雄、浅井長政さんよ」
「なっ……!? なぜ私の――!」
不意打ち気味に正体を見破られ、長政も思わずそう言ってしまう。言った後で後悔した。これでは自分で認めているようなものではないか。
しまった、と焦る長政だったが慶次郎は「やっぱりか」と笑った。
「ある御仁に頼まれてな。代わりにあんたの為人を見にきたのさ。若狭に向かったと聞いてやって来てみれば、湊には浅井の兵が居て、町には風変わりな傾奇者が女を連れて歩いている。浅井長政は変わり者で女好き、そのうえ豪胆で肝が太い。まさにあんたそっくりだ」
――私はそんなに女好きで知られているのか……
自分の正体がバレたことより何より、そこが引っかかって渋い顔になる。そう言えば景垙も同じようなことを言っていた。いよいよもって人の噂に戸は建てられぬらしい。
とは言え半兵衛といい慶次郎といい、なぜこうも有名どころは長政の為人を見たがるのか。長政の一体何にそれほど興味があると言うのだろう。
「さぁてそれより、今は奴らをのしちまうとしよう!」
しかしそれらの疑問を解消する時間はなさそうだ。既にならず者たちは慶次郎を含めて再び長政たちにじりじりとにじり寄って来ていた。
槍を構え直す慶次郎に、長政は咄嗟に声をかける。
「慶次郎殿! 頼みが――!」
「殺すな、かい? これはあんたの喧嘩だ。あんたの流儀に則るとしよう。それに、戦も博打も不利な方が面白えってもんさ!」
「……恩に着る」
軽く頭を下げて、すぐさま「八重」と声をかける。多くを語らずとも、もはや阿吽の呼吸で彼女は「はっ」と意図を理解した。
直後、八重が指笛を鳴らし、伏せていた夜鷹が一斉に長政の周りに集う。
「旦那の御身、我ら夜鷹がお守り致しやす」
「頼むぞ才蔵。ただし殺すなよ」
長政自身も腰から大太刀を引き抜いた。抜くのに少しコツが要るが、大柄な長政には丁度良い長さの太刀だった。
「なかなか難しいご命令で。しかしこの霧隠才蔵、無理難題には慣れておりやす。お任せくださいな」
続いて夜鷹も一斉に刀を抜く。手にしているのは脇差ほどの長さの刀でそれらを逆手に構えていた。伊賀仕込みの扱い方、なのだろうか。
「行くぜ! あまり離れすぎるなよ!」
慶次郎の声を合図に、ならず者たちが一斉に襲い掛かって来る。慶次郎は彼らを槍の石突で次々と捌き、難なく地面に沈めていく。
夜鷹の三人は慶次郎とは反対側から襲って来るならず者たちを三位一体の連携で次々に無力化。特に才蔵は元伊賀忍というだけあって、建物や足場を使って縦横無尽に敵をかく乱、翻弄していく。
おかげで長政の元へたどり着くならず者は数えるほどで、それらは半兵衛と八重の手によってさばかれていった。
気合を入れた割に何もすることがなく、そうして長政が手持無沙汰になり始めた頃だった。
「おいおい、俺を探してる奴がいるって聞いて出向いてみりゃ、こりゃあ一体何の騒ぎだ?」
明後日の方角から突然、そんな間抜けな声が聞こえて来たのだった。
「お頭!」
ならず者の一人が声の主を見てそう声を上げた。現れたのは髪を短く刈り上げ、髭を切りそろえた体格の良い男だった。歳は長政より一回り上ほど。ならず者の割には随分と小綺麗な印象だ。
その男は長政らを一瞥した後、地面に転がるならず者たちの姿を見つけてあちゃあとばかりに額に手を当てる。
「やれやれ、情けない奴らだぜ。まさか女にやられたのか? それも、よりによってあんな華奢な……ふうん? こりゃあなかなかいい女が揃ってるじゃないか。特にそこのお嬢さんは俺好みだ。あんた、名前は?」
しかし男に水を向けられたお嬢さんこと半兵衛は、怒りのあまりか声を荒げた。
「私は竹中半兵衛重治だ! 女ではない!」
「おっと……なんだ男か。随分と別嬪だったんだが……何でそんな恰好をしているんだ?」
「知るか!!」
一方の長政は息を呑む。恐らく、あの人物が。
「猿飛――」
「――仁介ェェェェェェ!!」
その時突然、絶叫が響き渡る。声の主は才蔵だ。彼女は今まで聞いたことがないほど声を張り上げ、長政たちの間を風のように吹き抜けた。
そして次の瞬間にはギン! と金属同士のぶつかり合う、甲高く鈍い音が鳴り響く。
「お前、才蔵か……! チッ、生きてやがったか。しつこい女だな」
「お前に斬られた右腕と、討たれた仲間の仇を取るまでは死にきれぬ! その首、ここで貰い受ける!!」
どうやら才蔵が仁介に斬りかかったらしかった。いつ抜いたのか、仁介の手にもまた脇差ほどの刀が握られている。
「俺はガキとしつこい女が嫌いなんだよ!」
「なおさら僥倖! お前の命、今日ここで絶つ!」
途端に始まる白兵戦。お互いの刃が陽の光を反射してギラギラ輝く。真剣を振り回しているというのにお互いに迷いはなく、一歩たりとも退く様子が無い。
まるで両足が地面に縫い付けられたかのように、二人はその場で次々切り結ぶ。
このまま眺めていたいほどに美しい光景だったが生憎とそういう訳にもいかない。あれが本当に猿飛仁介なら、どちらが負けても不都合だ。
「八重、才蔵を止めてくれ。頼めるか?」
頼みの八重に視線を送ると、彼女は相変わらずの無表情で「やってみます」と頷き返す。そして次の瞬間には駆けだして、二人の間に割って入るように刀を振った。
「双方、そこまで」
才蔵の刀を自身の刀で止めて、仁介の手首を掴んで動きを止める。八重は一瞬のうちに二人の戦いを制止させてみせた。
「おいおい、さっきから何なんだ次々と……!」
困惑する仁介を他所に長政は叫ぶ。
「下がれ才蔵! お前たちに何の因縁があるかは知らんが、夜鷹に属する以上は勝手に動くな!」
「しかし旦那――!」
「くどい!」
「……っ!」
長政に咎められたことで正気に戻ったのか、一瞬の逡巡の後に才蔵は引き下がる。その間、二人の戦いに周りの者たちは釘付けになっていたようで、いつの間にか戦いは膠着状態に入っていた。
少々誤算はあったが戦いが止んだのは都合が良い。ここぞとばかりに長政は猿飛仁介の前へ進み出た。
「失礼した。我が手の者が無礼を働いたこと、お詫びする」
すると仁介も興味深そうに長政に向き直る。
「へぇ、あの才蔵が大人しく言うことを聞くとはな……あんた何者だ?」
「近江浅井家が当主、浅井備前守長政」
長政が名乗ると仁介は口笛を鳴らした。
「湖北の鷹……か。それで? 近江の殿様が一体なんでこんなところで、なんでそんな恰好して俺を探していた?」
「猿飛仁介、そなたと少し話がしたい」
長政がそう告げた途端、仁介はぷっと噴き出して大笑いする。
「オイオイ聞いたかお前ら!? 近江の殿様が俺と話がしたいんだとよ!」
仁介がそう叫ぶと、他のならず者たちも続いてげらげらと下品に笑った。何を嗤われているのかいまいちわからずその様子をじっと眺めていると、突然すっと熱が引くように、真顔に戻った仁介が言う。
「何か勘違いしているようだが、俺を殺してもこいつらは止まらねえぞ。お前ら武士のせいで、田畑を焼かれ、家族を焼かれ、居場所を無くした奴らの恨みは、俺の首ひとつじゃおさまりゃしねえ。それをわかっているのか? 浅井備前守」
「……そちらこそ何か勘違いしているようだが、私はお前を殺しに来たわけでも、捕えに来たわけでも無い。先ほど申した通り、ただ話がしたい」
「それを信じろってか?」
「誠意は見せたつもりだ」
長政がチラ、と視線を逸らす。その先には先ほど慶次郎や夜鷹によって組み伏せられた者たちが地面に倒れているところだった。
しかし、長政が命じた通り誰一人として死んではいない。
「ふうん……確かに、噂通りの変わり者らしいな」
「少しは信じてもらえたか?」
「生憎と男にゃ興味ねぇんだが……チッ、仕方ねえ。どうせこのままでも埒があかねえしな。命が惜しくなけりゃついて来な。話くらいは聞いてやる。お前ら、撤収だ!」
やがてならず者たちは仁介の指示に従って、地面に倒れた者たちを肩に担ぎながら解散し始めた。少々手間はかかってしまったが、ようやく交渉の席へとあり付けそうだ。
「奇妙な客ばかりぞろぞろと……面倒なことになっちまったぜ全く」
ぼやく仁介の後に続いて、刀を収めた長政たちも歩き出したのだった。




