111_永禄九年(1566年) 賭場と傾奇者
「ついたぜ、こっから入んな」
しばらく裏通りを歩き続けた男は、足を止めるなり手短にそう告げた。そこは道から外れた小高い山のふもとにある荒れ寺の前だった。
いかにも長い間放置されていましたと言わんばかりの寺は柱があちこち折れかけていて、瓦もところどころ割れている。
道端の雑草なんか抜こうという素振りすら見られず、灰色に乾き切った竹垣の間からは青々とした草があちこち覗いていた。
しかしそんな中で寺の門だけはしっかりと閉じられていて、扉の前には見張りが二人。そして時折、その荒れ寺の奥からならず者ですと言わんばかりな男たちの、大きな笑い声や叫び声、怒声などが響いてくる。
なるほど、悪くない。
「助かった。礼だ、取っておいてくれ」
長政がいくらかの銭を投げ渡すと、男はそれを掴んで「まいど」と呟いた。しかし中には入らず、そのまま立ち去って行く。どうやら彼はめぼしい客をこの賭場に連れて来る案内人らしい。
「……本当に入るので?」
男が立ち去ったのを見送ってから半兵衛が問うが、長政は既に行く気満々だ。
「当然。八重、夜鷹を辺りに張らせておけ。いざという時は踏み入って来て構わん」
「承知」
八重に指示すると、彼女は何やら軽く手を動かした。どうやら手旗信号の要領で夜鷹衆に指示を送っているらしい。
その後指示が行き渡ったことを確認したところで長政は扉に近付いた。すると門番は何も言わず扉を開き、顎で中に入るよう促した。
「……どうも」
軽く頭を下げて門をくぐる長政。やはり境内も荒れ放題で、石畳はぼろぼろだ。あちこち崩れ落ちた建物もあり、やはり長い間寺としての扱いを受けていないらしい。
元々参道だったと思われる道をしばらく行くと、その先に拝殿が現れた。元はさぞ立派な拝殿だったのだろうが今ではその見る影もない。
拝殿に足を踏み入れると、床がみしみしと今にも抜けそうな音を立てて軋みを上げていた。
過去に刃傷沙汰でもあったのか、あちこちに赤黒いしみが見える。それにかび臭い匂いも充満していて長く居たい場所ではない。
いつ床が抜けるかとひやひやしながら中を進んでいると、やがてならず者たちの声がする部屋へとたどり着いた。
扉を開くと、中に居た者たちが一斉に長政に視線を向ける。
「……」
数は十人ほど。女連れであることが珍しいのか、男たちは各々に八重や半兵衛をじろじろと眺めた後、にやにや笑いながら視線を外した。さしずめ、馬鹿なぼんぼんがかもられにきた、とでも思ったのだろう。
「よござんすか? 入りやす」
そんな長政たちを無視して賭博が始まる。どうやらここでは丁半を行っているらしい。壺振りがそう言って賽を壺に放り投げて伏せると、男たちが次々と叫ぶ。
「丁!」「半!」「半!」
丁、半と書かれた木札が、ある程度の大きさのある布の上に置かれている。男たちはその布の上に各々賭け金と思われる銭を積み上げていた。
そうして一通りしたところで壺振りが「勝負!」と声をあげ、伏せた壺を開いた。
「五二の半!」
賽の目は五と二。途端、客の男たちが各々声を上げて掛け金の分配を行っていく。
なるほど、あれをグニと呼ぶのか。一人頷いていると、いつまでも突っ立っている長政にしびれを切らしたのか賭場の男が声をあげた。
「さっさと座んな」
「おっと……すまない」
言われるがまま、空いているところに腰を下ろそうとした時だった。部屋の奥から声が上がる。
「兄さん、こっちに座んな」
見ればそこに居たのは、先ほど出会った例の傾奇男だった。どうやら彼もこの賭場に来ていたらしい。
「あんたもここに来たか。兄さんとは縁があるようだ」
長政が隣に腰を下ろすと、男はそんなことを言いながら自身の懐から銭を取り出す。
「入りやす」
丁度その時、賭博が再開された。それからカラカラと音を立てて壺が伏せられると、傾奇男は長政から視線を外した。
そうして少しばかり悩んだ後、男は丁と書かれた布に銭の束を立ててみせた。
「やり方はわかるかい? 兄さんも賭けな」
「あ、あぁ……」
男に倣って、長政も丁と書かれた布に銭を置く。そうして客が一通り賭け終えたところで胴元の男が声を上げた。
「勝負! 一一の丁!」
出た目は一と一。その時ならず者たちから一斉に落胆の声があがる。そしてあろうことか、丁に賭けたはずの長政の銭まで持っていかれてしまった。
「兄さん付いてないね。賭けた途端にピンゾロとは」
「ピンゾロだとダメなのか?」
「何だ、初めてかい。良いかい、ピンゾロの丁とイチロクの半は胴元の総取りだ。丁だろうが半だろうが全部持っていかれる。そして掛け金の五分は胴元の取り分、後は丁半当たれば掛け金の倍額が戻って来る。わかったかい?」
なるほど、と長政が呟いたところで次の勝負が始まる。どうやらただの丁半にも色々と決め事があるらしい。そうこうしているうちに「さあ張った!」と賭けが始まる。
さて、次はどちらに賭けようか。そんなことを考えていると傾奇男が心底楽しそうににやついて長政の顔を横目で見やる。
「さて兄さん。挨拶がてら、俺と勝負と行くかい。あんたはどっちに賭ける? 俺はあんたの逆に賭けるぜ」
そうして男はまた、懐から銭を取り出す。どうやら随分と博打が好きらしい。長政もこういう勝負は嫌いじゃない。少し考えた後、男に倣って懐から銭を取り出した。
「丁だ」
「なら、俺は半だな」
二人が銭を出し、勝負の行方を見守る。他の客も賭け終えたところでついに壺が開いた。
「勝負! ――一六の半!」
「……」「……」
胴元に総取りされる銭を眺めて二人して渋い顔になる。もしかすると長政は博打にとことん向いていないのかもしれない。
それから何度か勝ったり負けたりの勝負を繰り返し、傾奇男と言葉を交わすうちに少しずつ男のことがわかってきた。
長政の読み通りやはり武家の出身らしく、普段は若狭ではなく別の国に居るらしい。藍色の布で包まれた長物は愛用の槍なのだそうだ。
随分と秘密主義な男で、どこの誰に仕えているのかまではとうとう口を割らなかった。
「何をしに若狭に来たんだ?」
銭を賭けながら長政が問うと、男も同じように賭けながら答える。
「ちょっとした野暮用さ。ある御仁に会いに来た。そういうあんたは何用だい?」
「私は……私も似たようなものだな。人探しをしているのだが、手がかりを求めてここに来た」
「へぇ?」
傾奇男が興味ありげに片眉を上げたところで「勝負!」の声が響き、視線を壺へと向ける。
開かれた壺の下には、四と四の賽の目が覗く。四四の丁。長政の勝ちだ。
「よし……この辺りの賊を取りまとめる賊の頭目、猿飛仁助という男を探している」
分配される銭を受け取りながらその名を口にした瞬間、ほんの一瞬だけ、賭場に居る男たちの喧騒が鳴りやんだ。
「へえ……生憎と知らねえな」
何かに気付いたのか、或いはその上で無視したのか。唯一傾奇男はそう言って、相変わらず片眉を上げるだけだった。
「そうか、残念だな」
それに乗るようにして長政も白々しく肩をすくめてみせると、思い出したように次の勝負が始まった。
「丁!」「半!」「丁だ!」
客たちが次々に張っていく。しかし今回は丁方と呼ばれる、丁に賭けた者の方が多いようだった。
丁半は基本的に客同士の戦いだ。丁と半が概ね同額の賭けにならなければ釣り合わない仕組みになっている。
そのためこのように賭け先が偏ると、胴元の進行役は「半方ないか? 半方ないか?」と賭け金の少ない側に賭けさせようとする。
そこで長政は懐から銭の束を出し、その全額をどん、と半へ賭けてみせた。
「へぇ……」
薄く笑う傾奇男と同様に、一同の視線が長政に集う。そして一瞬の沈黙の後、長政の賭け金を見た胴元が頷いて「いざ、勝負!」と壺を開いた。
「四二の丁!」
残念ながら長政の負けらしい。やはり長政に賭けは向いていないのだろう。長政の賭けた大金はそのまま胴元の元へと渡り、そこから勝った者たちへ分配された。
「とことんついてないね、あんた」
傾奇男は笑ったが、金が分配されたのを見届けた長政は腰を上げた。
「そうでもないさ。得たものもあった」
「へえ、そうかい」
さして興味もなさそうにそう呟いた傾奇男。そして立ち去ろうとする長政たちの背中に男は告げた。
「いずれまた、縁があれば会えるだろうさ」
意味深な言葉に長政は頷いて「ああ、またいずれ」と返し、賭場を後にしたのだった。




