110_永禄九年(1566年) 若狭の町と傾奇者
潮風吹きすさぶ海沿いから少し陸地に入ると、ある程度整備された道々といくつかの出店が立ち並ぶ。
やはり海沿いでは木造の家屋は持たないのか、見受けられるのは簡素な掘っ立て小屋ばかり。そのどれもがいつ崩れてもおかしくないボロ屋に見えた。
道を往来するのはならず者のような恰好をした厳めしい顔の者ばかりで、町人らしい町人の姿は少なく、活気も足りていない。
どこからかげらげらと下品な笑いが聞こえてくれば、その度に道端で細々と商いを営む者たちが肩を跳ねさせる。若狭の町は、そんな陰鬱なところだった。
「……今浜とは似ても似つかんな」
若狭の海を見て淡海と似ていると言った長政だったが、町については全くの正反対だ。どちらかというとかつての四木村を見ているようで自然と表情が強張っていく。
「やはり賊が問題なのでしょう。ここではもはや賊を取り締まる者が居ないため、ならず者たちが我が物顔で練り歩いていると聞き及んでおります。新九郎様、くれぐれも傍を離れぬよう」
八重が真剣な表情でそう告げれば、長政も同じように真剣な面持ちで頷き返した。
「わかっている。しっかりと八重を側に置くとしよう。しっかりとな」
「……どさくさに紛れておしりを撫でないでください」
そんな風に八重といちゃつきつつも、辺りをチラリと盗み見る。周りの者たちは遠巻きから長政らの様子を伺っているようで、たまに視線が交錯した。
こんな格好をしてまで目立とうとしたかいがあるというもの。もう少し目立ち、目的の獲物が餌にかかれば御の字なのだが。
そうして町を見学がてら、ぶらぶらとうろついている時だった。突然、長政の行手にある店の扉が吹き飛んで、男が一人、道端に転がった。
「クソッ、テメェ何モンだ!!」
すぐさま起きあがったその男はいかにもならず者といった風体で、店に向けて怒鳴り散らし始めた。そしてその直後、似たような風体の男が三人、先ほどの男に続くように外に飛び出てきた。
初めはあの者たちの喧嘩かと思ったが、どうやら違うらしい。四人のならず者は誰もが視線を店の中に向けて何かを――いや、誰かを見据えている。
恐らくはその誰かに投げ飛ばされたのだろう。ならず者たちや野次馬たちの視線が店先に集まる。やがて、店の中から男が一人、ゆっくりと歩み出て来た。
「名乗るほどのモンじゃねえ。ただ、騒ぐなら他所でやんな。せっかくの飯が不味くなる」
現れたのは長政に負けず劣らず、派手な格好をした男だった。鹿の毛皮を腰に巻いて、真っ赤な小袖を羽織っている本物の傾奇者だ。
その肩には恐らくは槍と思われる、長い棒状のものを担いでいた。それは藍色の布で巻かれていて、全容こそ定かでないため槍かどうかははっきりわからない。
しかし長政はその立ち振る舞いから直感した。男は武人、或いは武家の人間だと。
「テメェ、舐めやがって……!」
あまりの堂々たる様に思わず見とれていると、先ほどのならず者たちが傾奇男を取り囲むように広がって、脇差程の短刀を引き抜く。
途端、騒動を眺めていた野次馬たちがおののいた。しかし傾奇男は動じた風もなく鼻を鳴らす。
一触即発。何かが動けばその途端刃傷沙汰になる。そんなひりつく空気の中、たまらず長政は声を上げた。
「双方待った!」
長政の声は戦場にあってもよく通る。その大声で傾奇男やならず者はもちろん、野次馬たちの視線までもが長政一人に向けられた。
「昼間からこんなところで流血沙汰というのも気分が悪かろう。ここは穏便に事を済ませんか?」
言いながら野次馬たちの間から長政はずかずかと前に進み出る。突然のことに驚いたのか、八重や半兵衛は完全に出遅れていた。
「テメェ、こいつの仲間か!?」
長政に気付いたならず者の一人がそう叫んだが、構わず長政は両者の間まで進み出た。
「まさか。だが、腹が減ると苛立ちやすいと言う。ほら、兵糧丸だ。これを食って腹を満たせ。空腹なのだろう?」
すっとぼけて袖の下から包みを取り出して見せる。中には米や魚、木の実などを乾燥させた後、粉にして固めた兵糧丸が詰め込まれていた。
それをひとつ取り出し、ひょいと口に含んで咀嚼してみせる。
「うん、うまい。お前たちもどうだ?」
しかしならず者たちは動かない。険しい視線を長政に、そして先ほどの傾奇男に向けるばかり。やがて、少しばかりの間を置いた後。
「チッ、ズラかるぞ」
互いに顔を見合わせ、ならず者たちは脇差を鞘に納めた。相手をするのが面倒になったのか、それとも長政と傾奇男の二人を敵に回すのが分が悪いと読んだのか。
「運の良い奴らめ、命拾いしたな。覚えていやがれよ」
最後にそう毒づいて、男たちは野次馬を押し除けて立ち去っていったのだった。
その背中を見送る長政はひとり呟く。
「たわけ。お前らを救ってやったのだ」
すると先ほどの傾奇男が長政の背後から声をかけた。
「へぇ、気付いてたのかい。俺が奴らを斬ろうとしていたことに」
振り向いて、長政は男に肩を竦めて見せる。
「こう見えて修羅場には慣れているのでな。人の放つ殺気というものには鼻が効く」
「あんたも武人かい。だが、それならどうして奴らを助けた? あれはこの辺りにはびこる賊の一党だ。今し方もこの店にケチつけて金をせびろうとしていた。あんな奴らを生かしたところで、何の得もないだろう」
遅れて、八重や半兵衛が長政の元へと駆け寄ってくる。半兵衛はともかく八重がここまで出遅れるのは珍しい。やはり、遊女の格好は動きにくいのだろう。
申し訳なさそうに目を伏せる八重に構わぬと首を振ってみせ、代わりにその肩を抱き寄せる。
「あれは食うに食えなくなった百姓たちの成れの果て。ならば奴らに鍬を持たせ、畑を耕させるべきだ、というのが私の――友人の弁でな。死ねばそこまでだが、生きていれば命には使い道がある」
友人、と口にしたところで半兵衛が心底不愉快そうに顔を歪めたが、一方の傾奇男は盛大に笑った。
「ハッハッハ! 随分と甘い考えだ。それに……随分と女好きの御仁らしい。こいつは大層、傾いた男だ」
言葉の割に表情は明るく、好意的に見えた。どうやら気に入ってもらえたらしい。
「私は新十郎、ただの浪人だ。名を聞いても?」
しかし男は長政に背を向けると歩き出す。
「言っただろう、名乗る程のモンじゃねえさ。俺はただの風来坊。縁があればまた会おう」
そうしてそれだけ言い残して、男は口笛混じりに野次馬たちの人ごみに消えていく。なるほど、確かに傾いている。傾奇者とは基本、先ほどのならず者たちのような者ばかりだと聞いていたが、中にはあのような気持ちの良い者もいるらしい。
「……新九郎様、お気をつけください。あの男、只者ではありません。恐らく潜ませた夜鷹にも気付いていたようで」
しかし八重の忠告に表情が険しくなる。夜鷹の存在に気付いているとなると、相当な手練れなのだろう。
「一体何者だ、あの男」
男の去った道へ視線を向けるも、その背中はとっくに見えなくなっていた。
◆――
それからまたしばらく若狭の町をぷらぷらと歩いていると、長政の左手側を歩いていた半兵衛が不意に声を上げた。
「……どうやらお客人のようですよ」
何のことかとその視線を追ってみると、何やらただならぬ雰囲気の男が懐に片手を突っ込んでこちらをじっと見つめている。どうやらあの男のことを言っているらしい。
「知り合いか?」
「まさか」
短いやり取りの後に長政はその男に歩み寄り、一言。
「何か用か?」
突然そんなことを聞いたためか男は一瞬怯んだように目を見開いたが、すぐににやっと下卑た笑いを見せた。
「随分と別嬪を連れてるね兄さん。ここらじゃ見ない顔だ。どこか良いところの坊ちゃんかい?」
――丁度良い。少し餌を撒く場所を変えてみるか。
「ああ、そんなところだ。そうだ、少し聞きたいことがある。この辺りに……そうだな、賭場はあるか? 博打を打ってみたくてな」
言いながら懐から財布を出す。ふくらみから相応の額が入っていることがわかったのか、男の目つきが変わった。ふうん、とでも言うようにもう一度長政の全身を品定めでもするように眺めて、最後に再び目を合わせた。
「……良いぜ、来な。良いところがあるんだ、案内してやるよ」
男は先ほど見せたような下卑た笑みを再び見せると、踵を返して路地裏へと歩いていった。
「良いんですか浅井殿。碌なところに出ないと思いますが」
そんな男の背中を追いかけようとした時、半兵衛が袖を引いて忠告する。その姿がなんとも愛らしく見えたが、それを言えば間違いなくへそを曲げるのがわかっていたため胸の奥底にしまっておくことにした。
「蛇の道は蛇。虎穴に入らずんばとも言うからな。試してみようではないか」
後ろから夜鷹の者たちも付いてきている気配を感じながら、長政は男の後を追いかけたのだった。




