109_永禄九年(1566年) いざ若狭へ
それから数日後、長政は若狭の小浜湊に降り立った。
長政が国吉城を訪ねている間、一足先に運び込まれた近江からの積荷が次々船から降ろされ、湊の一角に高々と積み上げられていく。
人が減ったとは言え小浜湊が大きな湊であることに変わりはない。特に今回は近江からの積荷が続々と入って来るだけあって、小浜の湊は大賑わいだ。
そんな人々の激しい往来を遠目に眺めながら、地面に腰を下ろして海を眺める長政は自身の顎を撫でた。
「壮観だが、ここの海は淡海によく似ている。やはり山だな。若狭湾は山に囲まれている故、海の向こうに山並みが見える。淡海も遠目に山が見える。だが若狭の海は潮が荒々しく、どこまでも広がっていくようで不安になる。その代わり、吹きすさぶ風はこんなにも心地よい」
そうして先ほど買ったばかりの串餅にかじりつきながら、また長政は遠くの海に視線を投げた。焼いた餅の香ばしい香りが潮風の香りと混ざり合って、長政を鼻孔を抜けてゆく。
餅をもぐもぐと咀嚼していると、そのうち長政の隣から随分と気だるげな声が割って入った。
「何でそんなに元気なんですかあなたは……あれだけ揺れた船からようやく陸に上がったばかりだというのに……」
無論、竹中半兵衛である。敦賀から小浜に向けての船旅を終えた長政たちは、つい先程若狭の地に降り立ったばかり。そのせいもあってか半兵衛は少々疲弊気味だ。
しかし半兵衛と共に船に乗っていたはずの長政や八重には、全くと言って良いほど疲労の色が見られない。半兵衛が言っているのはそのことなのだろう。
「普段から淡海で船旅に慣れておる故な。しかし……半兵衛だけならばまだしも、まさか蒼鷹までああとは」
餅を食べ終えた長政は視線を湊の一角へ移す。そこにはいつもの黒と青の鎧を身にまとった蒼鷹の兵たちが、普段では見られないほどに疲労困憊の様子で地面に座り込んでいる姿があった。
群雄割拠する若狭において蒼鷹を陸路で連れてくるわけには行かなかったため、今回は長政同様に彼らも船旅を楽しんだ訳なのだが……
「蒼鷹は陸で戦うための兵。淡海より揺れる海の旅には慣れておりませぬ故」
長政の背後からぬっと現れたのは、蒼鷹隊を率いる藤堂虎高。彼もまた青と黒の鎧をまとい、この小浜へとやってきたばかりだ。
「お主は大丈夫なのか虎高」
「正直、少々私も参っている次第で。殿の前でお見苦しい姿を見せる訳にはゆかず、痩せ我慢をしておりますが……」
言われてみれば確かに、普段の凛々しい虎高と違って、今日の虎高はどこか表情が暗い気もする。多少なりとも船酔いしているらしい。
「この後に熊鷹と夜鷹も入って来るが、これでは先が思いやられるな。虎高、蒼鷹隊をしっかり休めておけ。お前たちには今回の策で存分に働いてもらうのだからな」
「は。それではそれがしはこれにて」
どこかおぼつかない足取りで蒼鷹隊の元へ去っていった虎高。その背中を見送って長政は呟く。
「後々、海を征くのであればそのための兵も必要になるか……」
とは言え現状、海に進出する予定はない。頭の片隅に一案として留め置き、長政は新たに入って来た船に視線を向けた。
「とにかく、米の運び込みは完了だ。これでお主の策に必要な駒がひとつ揃ったな」
相変わらず船酔いが治まらないのか青白い顔をしながらも、半兵衛はこくんと頷いて返す。
「一つ目の駒は大量の米。これは既に、浅井殿の差配によって敦賀から小浜へと運び入れることに成功しました。そして二つ目の駒は船。逸見昌経の籠る高浜城は海に面した城ゆえ、海上からも包囲をかけて昌経を逃さぬことが肝要」
「そちらも既に手配済みだ。義統様には既に船の手配を依頼して承諾を貰った。帆が足らぬようであった故、近江から綿ごと取り寄せてな。手練れの水軍衆まで用意してくれるらしい。これで二つだ」
長政が答えて見せれば半兵衛はまた頷いて返す。
「それは重畳。ならば船も問題ありますまい。では三つ目、最後の駒になりますが――」
その時、長政が待ったをかける。
「その件だが、私に考えがある。少し筋書きを変えるとしよう」
「――と申しますと?」
「当初の予定では夜鷹や蒼鷹を使って賊の動きを牽制するつもりだったが……それよりもっと良い手を思いついた」
もっと良い手、の心当たりが全く無い半兵衛は首を傾げる。そんな半兵衛の姿を見ながら、まるでいたずらを思いついた子供のように長政は笑う。
「どの道、兵を休める時が必要だ。その間に仕込みを済ませるとしよう。丁度、待ち人も来たようだしな。まぁ任せておけ。この策に必要な最後の駒を獲りに行くとしよう」
言うなり立ち上がった長政は、今着いたばかりの船へと向かって歩いて行った。半兵衛は長政の考えが掴めないまま、その背中を追いかけるのだった。
◆――
「似合ってるわよ新さん。まるで本物の傾奇者みたい。素敵だわ」
そう言って長政の周りをぐるぐる回り、うんうんと頷いてみせるのは夜鷹衆の一人であるおたゆ。長政が待っていた待ち人とは他ならぬ彼女だったのだ。
「そうか? ……確かに、なかなか悪くない。それにこの大太刀とかいうのも気に入った。どうだ八重?」
そう言って八重に振り返って見せた長政の姿は、まさに奇抜とも言うべきものだった。
薄手の素襖の上から派手やかな藍染の小袖を羽織り、腰には三尺半(約 106cm)にもなる大太刀。そして左手に煙管をぶら下げて、時折紫煙をくゆらせる。それは誰の目にも明らかなほど、傾奇者と呼ばれるならず者たちの恰好そのものだ。
「はい……すごくお似合いです新九郎様」
そう言う八重も今は普段の町人姿ではなく、まるで遊女かと見まがうような艶やかさ。茜色の小袖を着こなして、艶めかしく胸元を開いている。薄手の布は彼女のしなやかな腰回りを官能的に描き出す。
「そっちも似合っているな八重。惚れ直したぞ」
「……みなの前です、からかわないで下さい……」
そうして僅かに頬を染め、視線をさ迷わせる八重の姿が何ともいじらしい。もう少しここで八重と――と彼女の腰に手を伸ばした時、おたゆの「こほん」というわざとらしい咳払いが長政を正気にする。
「八重様も新さんもお似合いです。これでならよもや、浅井の者だと疑われることもございませんでしょう」
「ああ、助かったおたゆ。そなたに来てもらって正解だった。後の事はよろしく頼む」
「はい。ちゃあんと言いつけ通り、仕込みを終わらせておきますから。殿もどうぞお気をつけて」
「よし、では小浜の町に――」
「ちょっと待て!!」
「――どうした、そんなに大きな声を出して」
突然響いた大声に長政は肩を跳ねさせて目を丸くする。大声の主は長政の後ろに居た半兵衛だった。一体何事かと振り返ると、長政の目に映ったのは――
「どうしたもこうしたもあるものか!! なぜそのような姿に……いや何より、なぜ私は女の姿にさせられているのだ!?」
――まさに、絶世の美女。黒い髪に白い肌、赤い唇に萌黄色の小袖を羽織った、どこからどう見ても小柄で華奢な美女の姿がそこにあったのだ。
もちろん、それこそ今の半兵衛の姿である。憤慨する彼女――否、彼をよそに、おたゆや長政はにこにこと笑う。
「よく似合っておりますよ半兵衛様。さすが、女人に扮して稲葉山城を乗っ取ったというだけあります。肌も綺麗で、女の私が妬いてしまうほどでしたよ」
「お主が男だと知らなければ、俺も惚れていたかもしれんな。似合っているぞ半兵衛……いや、お重」
しかし二人のにこにこ顔とは反対に、半兵衛の顔には怒りが噴き出ていた。
「ふ、ふ、ふざけるな……! 何という屈辱……! よもや……よもやこのような辱めをまた……!!」
もちろん半兵衛は本気で怒っているのだろうが、今の姿ではどうにも愛らしさが優ってしまう。髪型を始めとしたいくつかの無理も、小袖を頭からかぶってしまえばわからない。遠目から見る分には間違いなく美女そのものなのだから。
「そなたが言ったのだろう、策に必要な手ならば自分も力を尽くすと。だから尽くしてもらっているのだ」
「これのどこが策に必要な手なのですか!!」
「良いか。最後の駒を獲るため、俺たちはこれから町に繰り出して目立たねばならん。だが普通に振舞っていても目立ちはすまい。やはり目立つには女だ。だが俺と八重だけではただの夫婦。かといっておたゆや他の夜鷹衆を連れ回るには危険が大きい。やはり両手に花ぐらいが丁度いいが、八重の手前、他の女の肩を抱くのも憚られる」
そう言って長政が八重を抱き寄せると、彼女は「私は構いませんが……」と頬を赤らめながら呟いた。
「俺が構うのだ。それにいざという時のことを考えても男が良い。そういう諸々を考えると、半兵衛以外に適任がおらぬという訳だ」
「く、屈辱だ……!」
「案ずるな。夜鷹の手練れを近くに置いている。いざという時は彼女たちに働いてもらうつもりだからな」
「へえ、お任せくだせえ旦那! 旦那方のお命、この才蔵が必ずやお守りしてみせます!」
するとどこから現れたのか、いつの間にか長政の足元には霧隠才蔵が片膝を付いて侍っていた。今回、いくら八重と言えど遊女の姿ではまともに戦うことは望めない。そのため彼女たち手練れ衆に身辺警護を任せる運びとなったのだ。
「あまりぞろぞろと連れ歩くわけにもいかん。才蔵、それから他二名だけ共に来い。他は待機だ」
「承知!」
納得いかないのか半兵衛がぶつぶつと文句を垂れているが、長政はそれを無視して夜鷹に指示を出して小袖を翻すと。
「さて、では向かうとしようか。若狭の町に潜む大物を釣り上げに、な」
おたゆに見送られ、早速と町に繰り出すのであった。




