108_永禄九年(1566年) 敦賀の盟友
敦賀郡司への目通りは思いの外すんなりと話を通すことが出来た。
目通り承諾の書状が返ってきて早々、敦賀郡司朝倉家の本拠である金ヶ崎城を訪れた長政は、朝倉景垙の弟であり現敦賀郡司を努める朝倉景恒に挨拶することになった。
「浅井備前守長政にございます。此度は急なお願いにも関わらず、目通り叶いましたこと有難く存じまする」
金ヶ崎城の一室に通された長政は、早速とそう頭を下げた。
部屋には景恒と思われる人物が緊張した面持ちで上座に腰を下ろしていた。そしてその側には、唯ならぬ雰囲気を纏う老将が一人。
「朝倉景恒にござる。湖北の鷹殿のお噂は予々。そしてこちらは、我が父にございます」
「朝倉景紀でござる。浅井殿のお働きは我が子、景垙より聞き及んでござる。昨年の殿の件、景垙に代わって御礼申し上げる」
雰囲気で只者ではないと思っていたが、どうやら老将は景垙や景恒の父――つまり朝倉宗滴の子に当たる、朝倉景紀その人だったらしい。
きっと還俗したばかりでまだ頼りない景恒の補佐を行なっているのだろう。となれば実質的な敦賀の主はこの景紀のほうだ。
長政は景紀に向き直り、もう一度頭を下げる。
「いえ、我ら浅井は他ならぬ朝倉宗滴公に大恩ある身にございますれば、その恩の一部をお返ししたまで。……しかし、景垙様がかような最期を迎えることがわかっていれば、あの時越前へ送り出したりなど……忸怩たる思いにございます」
景垙の自刃を知っていれば、きっとあの時長政は彼を止めたはずだ。それに、元を正せば景垙の越前帰還も長政が仕組んだもの。
顛末こそ予想していなかった結果とは言え、その責任は長政にある。
心からの詫びのつもりでもう一度深く頭を下げる長政。しかし景紀は静かに頭を横に振った。
「おやめくだされ。あの一件、浅井殿に責はござらん。むしろ景垙は感謝してござった。越前参陣の折、浅井こそ真に頼るべき盟友であり、なまくらばかりの一門衆より余程義に厚いと。あれほど誰かを讃える倅を見たのは後にも先にもこれっきり。感謝することこそあれ、謝られるようなことはござらん」
今回の一件は長政が義景を唆したことを知らないのか、それとも知った上でなおそう言っているのか。
罪悪感に駆られる長政をまるで宥めるように、穏やかな口調で景紀はそう告げた。
「父の言う通りにございます浅井殿。それに、憎むべきは大野郡司朝倉景鏡ただ一人。どの道、遅参したとあればあの者によって兄は糾弾され、同じ道を辿っていたでしょう。むしろ浅井殿は兄の名誉をお守り下さったのだ。怒るとすれば……あの景鏡めに対してでござる……!」
怒りで緊張が掻き消えたのか先ほどまでと比べて随分砕けた口調になった景恒は、心底忌々しそうに顔を歪めると膝の上で拳を握りしめた。
元々敦賀は気候や風土が越前よりも近江や若狭に近いため、朝倉宗家からはやや独立して統治されている土地だ。
かつてこの地を治めていた朝倉宗滴がそうであったように、敦賀は敦賀独自の軍事や行政を行なっている。
そういった背景もあって元々朝倉宗家やその周りの一門衆とは一線を置いている状態だったのが、今回の一件で軋轢となって目に見える形に噴出したのだろう。
長政が神妙な面持ちになっていることに気付いたのか、景恒はふっと拳から力を抜いてぎこちなく笑ってみせた。
「失礼致した。とにかく、今回の一件は浅井殿が責を感じる必要はございません。して、本題ですが……なんでも、敦賀を物資の輸送に使いたいのだとか?」
そう問われて長政もここを訪れた目的を思い出す。
「はっ。仔細については書状にて予めお伝えした通りですが、若狭の逸見昌経に挙兵の動きがございます。そのため物資の輸送に敦賀湊をお借りしたく」
「それは無論、構いませぬ。むしろ本来であれば我ら朝倉が兵を出さねばならぬところ。しかし……」
そこで言葉を詰まらせた景恒は、ちらりと隣の景紀を見やる。景紀は一度頷いて、言葉を継いだ。
「ご存知の通り、この景恒は先日還俗したばかり。幼き頃より仏門におったが故に戦も政も知りませぬ。それがしが兵を挙げればその間敦賀の政は滞り、万一の折には郡司職を解かれることとなりましょう。故に今、それがしは敦賀を離れる訳には行かず……面目ござらぬ」
「いえ、ご事情は重々承知しております。それに若狭の安寧は我が北近江にとっても益。敦賀湊を使えるだけでも私にとっては僥倖にございます」
「こちらに、既に花押を入れた書状をしたためております。こちらを敦賀湊の奉行に見せれば、必ずやお力になりましょう。また船の手配も既に。どうぞいつでもお使いくだされ」
最後に景恒がそう言って長政に書状を差し出した。その書状を受け取り、中を検めた長政は「ありがとうございまする」と一礼して会見を終えたのだった。
◆――
金ヶ崎城での会見を終えて敦賀湊に渡りを付けた長政は、政澄への書状を放った後に半兵衛や八重、そして夜鷹を連れ立って次に国吉城へと足を向けた。
もちろん、国吉城で城代を務める遠藤直経の様子を見ておくためである。
「殿、お久しゅうございますな。この直経、殿がまた無茶をしておらぬかとずっと気が気でなりませんでしたぞ」
長政が国吉城に到着するや否や、直経がそんな言葉と共にご機嫌に出迎えた。相変わらず髭面でむさくるしいが、どこかやつれているようにも見えた。
「直経、達者にしていたか。どうだ国吉城は。住み心地は良いか」
「殿がこの城をわしに預けて下さったおかげで、毎日賊や虫との格闘に追われておりまする。武者冥利に尽きるというものにござる」
どうやら賊や虫のせいでちゃんと眠れていないようだ。賊討伐が上手く行っていない余波だろうか。どうやら状況は長政が思っていた以上に芳しくないらしい。
「それほどまでに手こずる相手か」
「はい。何分、周りが山ゆえあちらからもこちらからも入ってくるのでござる。特に夜なんかは――」
「虫じゃない、賊の話だ」
「――ああ。実は、若狭の賊は率いている者がおるようで、どうにも一筋縄では行かず。確か名は……猿飛とかなんとか」
「猿飛だと?」
その名を聞いて長政の片眉が上がる。猿飛と言えば、真っ先に思い浮かぶのは真田十勇士の一人、猿飛佐助だ。
真田幸村に仕えたとされる忍者集団、真田十勇士。その筆頭格である猿飛佐助は甲賀で修行を積み、大坂夏の陣で真田幸村と共に徳川家康に敗北。その後は落ち延びたとも、討死したとも言われている。
だが、この真田十勇士の存在は後世の創作であるとされており、事実彼らに関する記述はどの資料にも出てこない。
さしずめ、徳川家康を追い詰めた勇者である真田幸村の存在を引き立たせるため、後から脚色され生み出された存在なのだろうが……
まさかその猿飛が実在しているとでも言うのだろうか。
「ご存知なので?」
直経に問われ、慌てて首を横に振る。
「いや、何。猿飛とは随分珍しい名だと思ってな。どこの出であろうか」
「自らを猿飛仁助と名乗っているようですが、恐らくは偽名かと。どこの出かもわからぬならず者にございます」
そう言えば、猿飛佐助には元になった人物が居たのだったか……などと遠い記憶を探りつつ、恐らくはこの猿飛仁介なる者がその大元なのだろうとあたりを付ける。
しかし、もしそうだとしたなら、猿飛仁助は凄腕の忍者だったりするのだろうか……
「いや、ないな」
思わずふっと笑みをこぼす長政を、直経は奇特な目で見つめていた。
その後、城の状況を把握するため直経を伴って城内を練り歩くと、直経の言葉通り城のあちこちから隙間風が入り、そこから虫が次々に入ってきている様が見受けられた。
また、未だあちこちで兵が物資の片付けを行っているのも印象的だ。どうやらこの国吉城を未だ完全には掌握しきれていないらしい。
「此度の逸見攻め、それがしは兵を出さずこの城をお守りせよとのことでしたが」
そんな光景を横目で眺めつつ目の前に飛んできた羽虫を払っていると、とうに慣れたのかその程度の虫には目もくれず、直経がそんなことを聞いてくる。
その問いに「ああ、そのつもりだ」と答えてみせると、直経は神妙な面持ちとなった。
「此度の戦、加わりたいのは山々にござるが……なにぶん、未だ城内の片付けすらろくに終わっておらぬ由。このように、朝倉の陣旗や陣幕すらここに山積みになっている状況にて……正直、有難いというのが本音にござる」
そうして直経が手で指示した方を見やると、そこには大量の旗や陣幕が無造作に山積みになっていた。家紋は三盛木瓜――朝倉家のものだ。
恐らくは国吉城攻めの折、朝倉軍が陣を引き払う際に残された物なのだろう。捨てるに捨てられないのか、部屋の一室に折り重なるように置かれている。
しかしそれら山積みの旗を見て、ふと長政は思いつく。そして隣の半兵衛に水を向けた。
「なぁ半兵衛。もしかするとあれらは……此度の策に使えるのではないか?」
不意に水を向けられた半兵衛も、それらを見て静かに頷く。
「……少し数が少ないですが……確かに使えます。いえ、むしろ使った方がよいかと」
半兵衛の同心を得て長政も頷く。そして直経に顔を向けた。
「よし。直経、ここにある陣旗や天幕を全て敦賀から小浜に送れ。それから陣旗や指し物、とにかくそういう目立つ物をあるだけ全て集めてくれ」
「す、全てにござるか……!?」
「ああ全てだ。敦賀には既に話を通している。ただ……朝倉にバレて何かと揉めても面倒だ。わからぬよう、他の積荷に混ぜておけ」
すると直経はやれやれというように肩をすくめた。
「毎度のことながら殿は突然無茶を仰る……しかし、委細承知致しました。すぐに手の者に支度させましょう」
そして言うや否や直経は配下の者を呼びよせて、細かく指示を飛ばす。元々顔を見るだけのつもりだったのだが、どうやらここまで来た成果はあったらしい。
「さて、次は小浜だな。直経、引き続き国吉城を頼むぞ。私たちはこのまま敦賀から若狭に入る」
長政の言葉に直経は「はっ」と頭を下げた。
「承知仕りました。それがしが傍におらぬからと言って、くれぐれも無茶はなさいませぬように」
「相分かった。なに、案ずるな。私とてそう無茶ばかりしているわけでも無い。なぁ?」
長政が振り返った途端、半兵衛と八重の二人がふいっと視線を外したのは、きっとたまたま羽虫が近くを通ったからだったのだろう。




