107_永禄九年(1566年) 今公明の献策
「お主が献策とは……珍しいな、半兵衛。それで、自信のほどは?」
半兵衛が献策を申し出るのは初めてのことだ。これには長政も少々驚いた。しかし続いた半兵衛の言葉に、長政はもっと驚かされた。
「わかりません。なにぶん、初めてのことですので」
どこか緊張したような、複雑な面持ちでずいと前に進み出る半兵衛。長政へ向き直るその目には、間抜けな言葉とは裏腹にふざけている様子は一切ない。
「初めて? 献策がか?」
すると半兵衛は両手の拳を床につき、ゆっくりと頭を下げた。
「いいえ。私は初めて……兵に、そして民に傷ついて欲しくないと思っています。少なくとも、彼らが手にするべきは槍ではなく鍬であり、居るべきは場所は戦場ではなく畑のはずだ」
「……ほう?」
「だからこそ私は……これまでの人生で、初めてこう申させていただきます。この策は、犠牲となる民の数を最小限に留めるためのものです。敵も、そして味方も」
それはこの一年ほどの間、長政と共に歩んで来た半兵衛なりの答えなのかもしれなかった。
かつて長政が初めて半兵衛と言葉を交わした時、彼は言った。
『民が飢え、乱が起きれば、それだけ浅井が介入する口実も増えましょう。そうして西近江を併呑出来れば、減った兵も補えましょう。何の不都合があると言うのです』
『……まさか、浅井様は凡百の犠牲を気にして、国取りを目の前に手をこまねいていると? だとすれば余りに甘すぎる。愚昧と言う他ありますまい』
民を凡百愚物と呼び、天下を愚者の世と呼び捨てた男が今、その民を案じている。それが何と滑稽で――それがなんと、喜ばしいことか。
「左様か」
気付けば自然と、頬がほころんでいた。既にそこにはかつての半兵衛の姿はない。天下を上からではなく横から眺め、天下の有り様を知った一人の男の姿があった。
確かに甘い考えかもしれない。しかし長政は、それを弱さだとは思わなかった。
今の半兵衛となら思いを同じくすることが出来るかもしれない。そんな期待に胸が高鳴っていたところで、磯野員昌が声を上げた。
「しかし、実際問題如何にするつもりか。言うに易いが行うに難し。若狭は群雄割拠しており、賊もはびこっておる。犠牲を最小にと言えど、限度があろう」
彼の言葉に半兵衛は頷いて見せて、早速と続ける。
「そもそも若狭が群雄割拠となったのは、逸見昌経を初めとした武田家臣たちが各々好きに各大名へ庇護を求めているためです。ならば……その庇護を求める先を、一度浅井へまとめればよろしい。浅井が武田ごとその者らを庇護すれば、再び若狭は一つにまとまりましょう」
半兵衛の言う通り、元を正せば若狭の群雄割拠は武田義統とその父、信豊の間に発生したお家騒動が発端だ。
そのお家騒動から武田家は敵味方に別れ、衰退し、家臣重臣が続々と独立し、それを諌める力のない武田を見限ってそれぞれがそれぞれの庇護者を求めていった結果である。
ならば彼らをまた一つにまとめるため、浅井が介入するというのはなるほど筋は通っている。しかし。
「とは言え全ての国衆、全ての元家臣を一つ一つ、と言うのは少々骨と思われるが」
今度は藤堂虎高がそう問うた。少しずつ、この場に居る者たちが半兵衛の空気に呑まれて行く。
この場にいる誰もが半兵衛の次の言葉に興味を持ち、耳を傾けた。
そのことを知ってか知らずか、半兵衛は短く「逸見昌経を使います」と威勢よく答えた。
「元々、この群雄割拠も火付け役は逸見昌経。かの者が造反し、粟屋勝久まで続いたことで手がつけられなくなった。それだけこの両者の影響は大きいということ。しかし、既に粟屋勝久は浅井に敗北。そして今、逸見昌経もまた浅井に敗れようとしている。反武田筆頭格の両者を浅井が降せば、若狭の者たちも誰に従うべきか自ずと理解することでしょう」
なるほど、と長政も小さく呟く。確かにその両名を浅井が下したともなれば、浅井と一戦交えようという者も多くはないだろう。
ましてや浅井の後ろには朝倉が居て、頼みの三好はあのざまだ。もはや若狭の者たちに、頼る相手は残されていない。
「しかし……そうは言うが知っての通り、我々は三方を敵に囲まれている。結局どうやって逸見昌経を降すつもりなのだ?」
最後に、半兵衛の策に興味深々の長政がそう問えば、半兵衛は一度頷いた後に懐から一枚の紙を取り出した。
それは若狭周辺が描かれた地図。一同の前に地図を開いて見せて、半兵衛は告げる。
「これらの前提をもって、これより逸見昌経を降し、若狭を平定するための策をお話し致しまする」
今孔明の瞳に、才覚湛える竜の眼光が輝いた気がした。
◆――
「――以上が、此度の策の全容にございます」
半兵衛が策の全容を語り終えた時、その場に居た者たちは一様に言葉を失っていた。それは驚きからか、それとも困惑からか。
しかしただ一人、この男だけは。半兵衛の策を聞いた後に口角を大きく釣り上げて、心底愉快そうに笑っていた。
「面白い策だ、気に入った」
無論、浅井長政である。
「ありがとうございます」
長政の同心を得たことに安心したのか、半兵衛の表情が緩む。しかし他の者たちの顔からは困惑の色が消えなかった。
「……確かに、成功すれば兵のほとんどを失わずに逸見昌経を降し、あまつさえ若狭の民心まで掴める壮大な策ではござるが……それがしには、とても成功するとは……」
忠言したのは直隆だったが、他の者たちも同意なのだろう。しかし長政は、それらを「よい」の一言で制する。
「叔父上、この策を行うにあたり米の備えは足りるか?」
まず長政は政澄に視線を向ける。向けられた政澄はまだ納得出来ていない様子ながら、頭の中で計算を始めた。
「……幸い、昨年も豊作故に米は使い切れぬほど溢れております。また物資の輸送も、白鷹を動かせば充分可能かとは存じますが……」
歯切れが悪いながらもそう答えた政澄に頷いて見せ、続けて隣の政元へ顔を向ける。
「政元、お主はどう思う?」
すると政元はまさか自分に水が向けられるとは思っていなかったのか、肩をビクりと跳ねさせた。
「私ですか……!? お、叔父上が可能だと仰るなら……」
「私はお前に聞いたのだ政元。どうだ?」
問われ、少しばかり迷うように俯いた政元。しかしすぐに、恐る恐るという風に口を開いた。
「……米を粥にすれば……より多くの食事を用意できます。またそれらの食糧も敦賀湊を利用できれば、敦賀から小浜へ大量の運搬が可能かと……」
答えを聞き、うん、と頷く長政。
「敦賀か……なるほどな。良き案だ政元。よし、敦賀の朝倉景恒殿に渡りを付けよう。若狭への出兵だ、向こうも悪い顔はせぬだろう」
そうして最後に「よくやった政元」と声をかけると、政元は気恥ずかしそうに頭を下げて見せたのだった。
「では、次に八重。この策を実行するにあたり、夜鷹の働きは何よりも肝要だ。やれるか?」
続いて長政の視線は末席の八重へ向く。じっと長政の命を待って静かにしていた八重は、長政の問いかけにすぐさま身体の向きを変えた。
「……お言葉ですが」
その鉄面皮にはどこか、むっとしたような色が伺える。まっすぐ長政を見据えた八重は、一息に告げた。
「できるか、ではなく、やれ、とお命じください。新九郎様のご用命であれば、夜鷹は命を賭してその任をやり遂げます。何よりその方が、夜鷹一同士気も上がりましょう」
彼女の目に宿るのは強い意志。何としてもやり遂げるという決意の色だった。長政は自省する。己がどれほど夜鷹を侮っていたのかと。そして言外に、僥倖と頷いた。
「ならば八重。夜鷹に命じ、半兵衛の策を成功させよ。お前たちならばやり遂げられると信じている。期待しているぞ」
「はっ!」
八重の返事をもって、最後に長政はぐるりと一同を見渡した。
「此度の策は、そなたらの懸念するように失敗する可能性も大きいことだろう。だが、その分の見返りも大きい。最上の策は戦わずに敵を降すことと言うが、この策はまさにその最上である。上洛の件もあり、早々に敵は排除したい。ならば試してみたいと思うが、如何か」
一同は長政の言葉に各々顔を見合わせた。しかし、最後に藤堂虎高が代表とばかりに口を開く。
「我らは殿の槍、殿の弓、殿の鎧、殿の翼にございます。殿が征くとお決めならば……我らはそれに続くのみ」
そして他の者たちも一斉に長政に向けて頭を下げた。それこそ彼らが半兵衛の、そして長政の考えに同調した何よりの証なのだった。
「左様か。だが案ずるな。こんなところで死ぬつもりはない。万が一の時は這ってでも帰るゆえ、虎高、直隆、その時は頼んだぞ」
『ははっ!』
続いて長政は立ち上がり、半兵衛が先ほど広げた地図まで歩み寄る。そしてその前にどかっと腰を下ろすと、手にしていた扇を地図のど真ん中へ突き立てた。
「ならばこれより半兵衛の策をもって、若狭を――若狭の民を、我らの手で救ってやるとしよう。せっかくだ、派手にやるぞ」
『応!!』
こうして今孔明と今仲達、二人の合力による若狭平定の策が静かに始動したのだった。




