106_永禄九年(1566年) 若狭平定の策
浅井家が上洛に前向きな姿勢を見せたことで、諸大名は覚慶の上洛に向けて一斉に動きを見せ始めた。
まずは浅井家当主の長政と織田家当主信長の妹、お市の方の婚姻が決まる。
冬の間、婚儀の詳細を取り決める書状が両国間を何度も飛び交い、翌年六月に二人の祝言を挙げることが決まった。
それに伴い上洛の日程も定まる。永禄九年の八月、織田の上洛に合わせて斎藤、浅井、六角が合力する形となったのである。
続いて翌、永禄九年の二月。六角の元に庇護されていた覚慶は還俗し、名を足利義秋と改める。
これにより新将軍となる覚悟を周囲へ示した義秋は、各地へ次々と御内書を発布した。
この御内書は越後の上杉輝虎こと後の上杉謙信や甲斐の武田信玄、相模の北条氏政といった東国の大名たち、そして中国の毛利などにも発布され、日本全土を巻き込む大掛かりな上洛となってゆく。
またこの頃になると三好家でも松永久秀と三好三人衆の対立が深まり、久秀は家中で孤立。
ついには三好と袂を分かち開戦に至ったことで、三好の丹波失陥と合わせて畿内情勢が大きく変容する。
時代のうねりとも言うべき激動が、次第に義秋の上洛に向けて追い風を吹かせ始めた瞬間だった。
そんな、誰もが新将軍の上洛に向けて己の野心を滾らせている頃。長政の元へはある知らせが舞い込んだ。
お市の方との婚姻を翌月に控えた永禄九年五月。浅井屋敷の評定の間にて、長政が招集した面々が一同に会する。
「みな、集まったな。それでは評定を始める」
長政が面々をぐるりと見渡すと、彼らは一斉に頭を下げた。
まず長政の左手側に並ぶのは、上座から赤尾清綱、磯野員昌、宮部継潤、そして片桐直貞。いずれも浅井に仕える家臣団だが、その中でも特に長政が重用する者たちだ。
また彼らに相対するように、長政の右手側には浅井政澄、同政元、野村直隆、藤堂虎高、そして末席に八重という、いずれも長政の直轄である『鷹』を任された者たちが並ぶ。
そして最後に食客の竹中半兵衛が、最も下座に腰を下ろしていた。
この場に居るのはいずれも、長政が腹を割って話すことのできる腹心ばかり。そして彼らも集まった者たちの顔を見て、長政の意図を既に察していた。
「さて、用件と言うのは他でもない。みなも気付いていると思うが……若狭より、武田義統様から書状が届いた。叔父上」
「はい。先日、高浜に城を築いた逸見昌経が挙兵の動きを見せているとの由。ついては助力を願いたい旨の書状が届きました」
懐から畳まれた書状を取り出し、床に置いて見せた政澄。一同の視線が書状に向けられるが、誰一人として驚く者は居なかった。
彼らはみな、若狭攻めの段取りをするために集められたことを悟っていたからだ。
しかし、次の長政の言葉は誰も予想が出来なかった。
「上洛の件もあり、今背後を脅かされるわけにはゆかぬ。故に盟約に応じて若狭へ出兵する。が、此度の戦で国衆を動かすつもりはない。今回動かすのは我が直轄の兵、『鷹』のみよ」
その言葉にぎょっとし、真っ先に声を上げたのは浅井家が誇る鉄砲衆熊鷹隊を率いる野村直隆だった。
「お、お待ちくださいませ殿。それはいくら何でも無茶が過ぎるというものでは……」
近頃では国友衆の働きもあり、鉄砲の数は三千を数えるまでに増えた。それを全て――とまでは言わずとも、大半を所有しているのがこの熊鷹隊であり野村直隆なのだ。
いわば長政率いる『鷹』にとって、主力を担うのが彼の部隊なのだが、そんな彼をして長政の提案は無謀に見えたのである。
しかし長政は神妙な面持ちで続ける。
「生憎だが此度ばかりはそうも行かぬ。みなも知っての通り、我らは三方を敵に囲まれている。各方面への備えという意味でも国衆の兵は使いたくない。それに……兵の練度、という意味でも、な」
その時長政が思い出していたのは西近江征伐の折、勝手に乱取りを行った者たちのことだった。
あの時は少数による乱暴だったためまだ何とかもみ消すことが出来た。しかし、今回はそんな万が一を起こす訳にはいかない。
考え無しの者たちに若狭を荒らされては浅井家は大義を失い、あまつさえ家の命運までもが尽きかねないからだ。
若狭への出兵は規模こそ小さいが、浅井にとっては重要な一戦なのだ。
だからこそ長政は今回の戦を直轄の兵のみで行う腹積もりだった。
「員昌、継潤、そして片桐殿。そなたら三人はそれぞれがそれぞれの敵への備えとなる。私が若狭へ出兵している間、守りを頼むぞ」
そして長政は、それぞれ三方の城を守る者たちへ視線を移す。
磯野員昌が守る佐和山城、宮部継潤が守る今津城、そして片桐直貞が守る刈安尾城。
それらはそれぞれが六角、内藤、斎藤への備えとなる城であり、彼らこそが北近江の守りの要と言っても良いだろう。
しかしそこで声を上げたのは家臣筆頭格の赤尾清綱だった。
「殿。三方を敵に、とは申しますが、既に我らは六角、斎藤とも手を結んでおります。ならば少なくとも、南と東の備えは多少減らしても良いのではござらんか」
清綱の言葉に、一部の者たちも頷いて見せた。
昨年末、長政は足利義秋の上洛に際して六角、斎藤とも手を結ぶことに合意して見せた。そのため現在の浅井家に主だった敵は殆どいない。
無理に国衆の兵を置かずともいいのではないか、というのが清綱らの考えだ。
しかし長政は首を横に振ってその考えを否定する。
「否。奴らはいつ裏切るかわからん。今でこそ義秋公のもとで合力してはいるが……この乱世、まさかが起こった回数は一度や二度ではなかろう。此度もそのまさかが起きるやもしれん」
「それは……そうかもしれませぬが……」
六角や斎藤がいずれ義秋と袂を分かつことは史実の知識から予測がついている。しかしそれが史実通りの時期に起きるとは限らない。
今回の若狭出兵は完全に史実から逸脱した行動だ。浅井が史実から逸脱したとき、六角や斎藤がなぜ逸脱しないと言い切れるだろうか。
しかしそんな事情を彼らに話す訳にもいかない。そもそも長政が未来を知っているという話自体、頭がおかしくなったと思われるのが関の山だろうからだ。
だからこそあくまで万全の体制を整えるため、という名目で兵を置くのである。
「各方面に三千ずつの兵を残す。いざという時は城にこもり、私の帰還を待て。よいか、決して城を枕に討死などするな。城より何より、お前たちのような信用できる家臣の方が私にとっては何より重要だ。城も土地も後から取り返せばよい。わかったな」
念のために釘を刺しておくと、城主の三名は頭を下げて『ははっ!』と返事した。その返事を聞き遂げて、長政は次に清綱へと向き直る。
「そして清綱。お主は私に代わり小谷に入れ。いざという折には後詰を頼む。兵一千をお前に預ける」
「……承知仕りまして候。殿の留守居、必ずや勤め上げて見せまする」
清綱もまた、長政の考えを承諾したらしい。最後にはそう言って、頭を下げて見せた。
「しかし……鷹のみを使うにせよ、いかにして逸見の城を攻め落とされるおつもりか。城攻めには守り手の三倍の兵が要ると申しますれば、鷹だけでそれだけの数を用意するのは……」
再び声を上げる野村直隆。彼の言うように、銭雇いの直轄兵だけでは城攻めには数が足りないだろう。
現在、長政が把握しているだけでも夜鷹を除き戦える兵は精々三、四千ほど。そのうち殆どは白鷹隊の警邏や土木業に従事するいわゆる夫役の者たちで、彼らを戦地に送ってしまうと北近江の運営に支障が出てしまう。
実際のところ、稼働できる兵は精々二千前後と言ったところだろう。
いくら逸見昌経が丹波内藤の支援を受けられなくなったとは言え、その兵力が一千を下ることは無いはずだ。
それに若狭への物資の輸送や行軍経路の問題もある。賊や国衆、武田の旧臣らに後背を脅かされながらの城攻めなど上手く行くはずもない。
そしてそれは長政も重々承知の上だった。
「直隆の言う通り、今のままでは数が足らぬ。このままでは嫌でも各方面から兵を引き抜き、若狭に向かわねばならぬ。そこでお主たちを呼び集めた次第。正直、私にもお手上げでな。何かよい策はないだろうか」
結局のところ、これが本題だ。
武田義統からの書状を読んで、長政は何とか方法を模索してみたがどれも上手く行きそうにない。
思いつく手立てとしてはやはり各方面に残した三千の兵から一千ずつ引き抜くか、そもそも武田義統への援軍を送らないか、二つに一つ。
しかしそのどちらも背反が余りに大きい。特に武田義統への援軍中断は外聞も悪く、周辺国からの浅井家への信頼を損ねることにも繋がるだろう。
そうなれば特に西近江衆が危うい。いざという時自分たちを守ってくれない者に国衆が従うことはない。
元々敵であった者たちはより強固に敵対し、味方であった者たちも敵にまわることが予想された。
かと言って無理に兵を引き抜いて若狭入りすれば、前述の懸念通りいざという時に危険に見舞われる。
もし若狭へ出兵し、後背を六角や斎藤に襲われでもすれば、どの道若狭どころではなくなるのだ。
恐らく攻めて来ないだろう。そんな都合の良い考えを肯定する材料は無数にあるが、それは結局予測でしかなく確証には至らない。
そしてその予測を覆すことが次々起こるのがこの戦国だ。長政にはもはや、他に手は無いように思えていた。
そしてそれはこの場に同席した者たちも同じらしい。長政が問いかけても誰一人として声を上げる者は居ない。考えては見るものの、答えは出ない。そんなところだ。
やはりダメか。そうしてそんな思いと共に、当初の予定通り各方面から兵を引き抜く下知を下そうと声を上げかけたその時だった。
「私にひとつ、考えがございます」
その声に一同の視線が一か所へ向けられる。それは最も下座に腰を下ろし、何やら考え込む素振りを見せていた男、竹中半兵衛の声だった。




