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湖北の鷹 ―新生浅井伝―  作者: 一代 半可
第四部

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116/116

116_永禄九年(1566年) 天下新生の計

 険しく引き締まった顔立ちに、小柄ながらも壮健な体つき。四十を数える歳らしい逸見昌経の姿を見て最初に抱いた感想は、思いのほか若々しいというものだった。


 未だ具足姿の昌経は刀を浅井兵に預けて丸腰のまま陣幕をくぐると、長政や家臣らの視線を一身に受ける中、地面に腰を降ろした。


 昌経は両こぶしを地面に付き、頭を下げる。


「高浜城城主、逸見昌経にござる。我が城は明け渡しまする故、城兵と領民の命はお助け願いたい」


 その堂々たる様に長政は舌を巻く。


 なるほど、武田義統が手を焼いただけのことはある。その姿、その振る舞いから歴戦の猛者であることが伺える。そんな昌経を戦わずして降すことが出来たのは僥倖だった。

 

「浅井長政である。まずは戦を交えずの降伏、不本意の事と存ずるがそれを曲げて下さったこと、痛み入る。昌経殿のお蔭で民を傷付けずに済んだ。私も嬉しく思う」


 最初に昌経の立場を慮り、そう声をかける。昌経にも意地や面子と言うものがある。最低限、そこを立ててやるのが礼儀というものだろう。


「格別のご配慮、恐悦至極に存じまする」


「書状の通り、城主、城兵共に命は保証致す。無論、この後に行う交渉次第にはなるものの、こちらも最大限の譲歩をさせていただく所存。どうぞ、ご案じ召さるな」


「有難きお言葉にござる」


 そんな堅苦しい挨拶を終えたところで、長政は虎高に視線を送る。虎高は長政の意図を汲み取り、すぐに「はっ」と席を立った。


 その後すぐに戻って来た彼は、その手に床几を持って昌経の隣に進み出ると、厳かにそれを地面に置いた。


「どうぞ、腰をかけられよ。堅苦しい挨拶はここまで。これより先は敵味方ではなく、若狭の行く末を憂う者同士としてお話させていただきたい」


「は……」


 随分と丁重な扱いだとでも思ったのだろう。昌経は少々腑に落ちない様子ながらも立ち上がり、床几に腰を掛ける。それを見届けた長政は一度頷き、声を上げた。


「早速だが……若狭の行く末について話をする前に、お呼びせねばならぬ方が居る。直隆!」


「ははっ」


 そう返事するなり今度は直隆が陣幕の外へ出て行く。訝しむように首を捻る昌経は彼の背中を眺めていたが、それから少しの後に直隆が連れて来た者を見て、昌経は表情を一変させた。


「久しいな昌経」


「よ、義統様……!?」


 そう。そこに居たのは若狭武田家当主、武田義統だったのである。


 状況を把握できていない昌経を他所に、義統を自身の隣へ座らせた長政は続ける。


「若狭の行く末について話す以上、この地を治める義統様がおらねば話になるまい。それから勝久殿。そなたもこちらに」


「は、ははっ」


 合わせて、やはり仔細を聞かされていなかった勝久も困惑気味に前へ進み出る。こうして上座に長政と義統、下座に昌経と勝久が向かい会う形となって会談が始まった。


「では早速、と言いたいところだが……お三方にはまず、私の話を聞いていただきたい」


 そうして和義に入ろうとしたまさにその時、長政はそう言って三人の視線を一身に集めた。何事かと彼らの目が長政に向いたのを確認して、自身の考えを語り出す。


「まず、この戦を終えての処置として、私は……高浜城を昌経殿に返却し、合わせて国吉城とその領地一帯も勝久殿にお引き渡ししたいと考えている」


「なんと……」


 それは無条件での領土返却の申し出。当然、こんなことは前代未聞である。昌経も勝久も、そして当然義統までもが驚きの声を上げる。


 だが長政は、それを承知の上で更に続けた。


「無論、本来であればそれぞれから人質を取り、武力で脅し付け、そのうえで盟約を交わし、与力として戦列に加えるのが戦国の倣いというものでありましょうが……私は、そんな天下を変えたいと思っております。人質や武力による脅迫ではなく、お互いに信じ、支え合う。そんな世を作りたいと」


 長政の言葉に、まず昌経の表情が険しくなった。何を世迷言を、とでも言ったところだろうか。

 しかしそれは昌経のみならず、勝久や義統も考えを同じくするところだろう。それでも長政は更に続ける。


「まずはそれをこの若狭から始めたい。昌経殿、勝久殿から人質を取るような真似をせず、それぞれに領地をお任せしたいと考えている。元鞘に戻るのは難しくとも、これ以上若狭に乱を持ち込まないことは出来るはず。どうか、若狭に住まう民のため、お力添え頂けないだろうか」


 真剣な眼差しでそう語る長政。それでも彼を見る三者の目は懐疑的だ。


「それに助力したとして……浅井殿は一体、我らに何の得があると申されるつもりか」


 まずそう告げたのは昌経だった。

 彼の問いに、長政は頷いて返答する。


「若狭の西を昌経殿、東を勝久殿、そして南を我ら浅井が押さえれば、若狭は安泰となりましょう。さすれば百姓商人はまた再び若狭に戻り、もはや戦などせずとも豊かになっていく。戦に心配せずとも済む天下。それがお三方の得になりましょう」


 すると続いて勝久が口を開く。


「そうは申されるがこの乱世、外からいくらでも敵が現れましょう。我らだけが手を結んだところで……」


「無論、それは致し方無き事。その時は我ら浅井共々、合力して当たるより他ありませぬ。しかし、いずれは考えを同じくする者たちと手を結び、少しずつ広げてゆくつもりです。そうして最後はその腕を、日本全土まで伸ばしたい」


 そこまで聞いてふむと頷き、しかし渋い顔をしたのは義統だった。


「……理想は結構だが、随分甘く思えるな。中には戦で成り上がることを望む者も居る。かような乱世でその甘さ、命取りではなかろうか」


「いくら甘いと笑われようと、私は――私たちは、この若狭から天下の新たなあり方を探りたい。守るための戦はどうしても必要になりましょう。しかし、攻め滅ぼすための戦を無くすだけでも、天下から乱は減らせるはずなのです」


 そこまで聞き遂げて、三者は三様に黙りこくった。


 確かに長政の言うことにも一理あるのだろう。とは言えそれはあくまで理想論だ。どんな法も、どんな秩序も、それを行使するためには力が要る。長政が理想するその形は、かつて幕府が担っていた役割に他ならない。


 そしてその幕府がどうなったかなど、この乱世に生きる者たちは嫌でも知っているはずなのだ。


 唯一の違いはと言えば、かつては領地と城で差配していた恩賞支払いを銭や交易で行おうという一点のみ。


 それが果たして、実現できる物なのだろうか。


「……やれやれ。わしも随分歳をとった。まさかこのような世迷言を抜かす若造に遅れを取ったとはな……」


 最初に呆れるような笑みを浮かべたのは昌経だった。肩を竦め、やれやれと首を振る。やはりダメか。長政の視線が落ち、表情に影が宿る。しかし。


「とは言え……その世迷言をくだらぬ、と吐き捨てるには……少々歳を取り過ぎたらしい。今更このような夢物語に胸が躍るとはな。わしも散々この乱世を生き延びて、とんと疲れたわ。よかろう。この逸見昌経、今より浅井殿の考えに乗る」


 はっと視線を上げると、昌経の柔らかな笑みが長政に向けられていた。


「昌経殿……!」


「どの道、駄目で元々。それに戦せずとも家臣郎党を養えるというのであれば、それに越したことはござらぬ。例え短い間だとしてもやってみる価値はありましょうぞ」


 続けて勝久も頷いて見せる。


「私も同じく、ご助力致そう。浅井殿が朝倉との仲を取り持ってさえ下されば、東はもはや後顧の憂いも無い。すぐにでもお力添え致しましょう。無論、義統様がお許し下されば、ではござるが」


 そうして三者の視線は最後に義統に向いた。義統は険しい顔で呟く。


「……浅井殿の言う通り、今更元鞘という訳にもいくまい」


 昌経と勝久に裏切られた側である義統としては、やはりわだかまりはあるのだろう。簡単に、うん、とは言ってくれそうにない。しかしそれから少しばかりの沈黙の後。


「……ただし、浅井殿が後ろ盾となり、これ以上若狭が荒れぬよう差配してくださるというのであれば……合力するのも、悪くはない」


 最後にそう言ってふう、と一息つくと、義統は長政と会ってから初めての笑顔を見せたのだった。


「ならば……!」


「うむ。これにて戦は終いと致そう。我ら武田はこれより浅井殿と共に若狭の復興に尽力する」


「同じくこの逸見昌経も助力致そう。この辺り一帯の国衆、家臣団は我らにお任せあれ。必ずや説き伏せ、合力させましょうぞ」


「ならばこの粟屋勝久は東を治めると致しましょう。若狭の群雄割拠が治まれば、近江や敦賀との交易もまた始まり、商人や百姓が増えるというもの。それからの差配は――」


「我ら浅井にお任せあれ。必ずやみなが得するよう、粉骨砕身、力の限り尽くしましょう」


 そうして最後に仔細が描かれた書状を取り出すと、一同は花押と共に血判を押した。戦無き天下を目指すための最初の一歩。四者における若狭平定協定はこうして成ったのであった。



◆――



 逸見昌経がたった一日で開城し、長政と手を結んだことは瞬く間に若狭中へ知らされた。


 浅井が朝倉を一夜で引き入れ、数千の兵で囲んだらしい。このままでは次は我らの番だ。そんな噂が広がったのかは定かでないが、彼らに続くようにして若狭の国衆は次々と投降し、あっという間に若狭の平定は成ったのだった。


 半兵衛が予期した通り、逸見昌経と粟屋勝久の両者が武田義統、そして浅井長政と手を結んだというのが何よりも彼らを動揺させたのだろう。


 おかげで若狭はそれ以上の戦に見舞われることなく、史実よりも数年早い安寧の時を手にしたのだった。


「忙しいのはこれからですよ、浅井殿」


 近江への帰りがけ、半兵衛にそう釘を刺されて頷き返す。


「ああ。我らの天下新生、まだ始まったばかりだ」


「そのためにもまずは足場となる近江を固めねば。若狭と丹波を抑えた今こそ、南近江に目を向ける時やもしれません」


「……左様、か」


 長政の望む戦無き天下。浅井の生き延びた未来を築き上げるためにも、今はまだ、避けられぬ戦いが多くある。

 そのうちの一つが、目の前まで迫っているのかもしれなかった。



◆――



 尾張国、小牧山城。近年、織田信長が新たに築き上げたばかりのこの城の城下に、ド派手な姿をした傾奇者が馬を乗りつけた。


 彼は藍色の布で覆われた槍を肩に担いだまま、城下の一角に築かれた屋敷へと足を踏み入れる。


 そうしてわがもの顔で屋敷の中をずかずか練り歩き使用人たちを困惑させて、ある部屋の前に辿り着くなりその場にどかっと腰を降ろしたのだった。


「戻ったぜぃ。あんたのご要望通り、浅井長政の為人をこの目でしっかりと見定めて来たぞ」


 男の名は前田慶次郎利益。この尾張を治める織田家家臣、前田家当主の義理の息子である。

 彼の養父は病弱で実子もないためいつ慶次郎が前田家を継ぐことになるかわからないというのに、彼はこうして度々他国に渡り歩く無頼者でもあった。


 そのため前田家の者たちは度々頭を悩ませているのだが、そんな奇抜な性格だからこそ慶次郎は彼女と知り合うことも出来たのだろう。


「会えましたか。それで、いかなお方でございましたか」


 部屋の中から響く女の声音。高すぎず、かと言って低すぎないその心地よい声音は、部屋の影からそうやって慶次郎に短く問うた。

 慶次郎はそのまま襖に背中を預けると、思い出すように明後日の方へ視線を流す。


「思ったとおりの面白え御仁だ。あれほど面白え男はあんたの兄貴くらいしか知らないねぇ」


「……」


「あんたの兄貴と違って少々甘すぎるきらいはあるが、瓜も志も甘いほうが熟れている証さ。この乱世であれほどの戯言……あれは余程の大うつけか、或いはそれを成し得るだけの器を持った、余程の人傑ってところだろうさ」


 部屋の中で、人の動く気配がした。きっと彼女が慶次郎の言葉に耳を傾けているのだろう。そしてそこまで聞き終えると、再び柔らかな声音を紡ぐ。


「あなたがそこまで手放しに褒めるなんて……珍しいですね慶次。よほど気に入りましたか、湖北の鷹殿が」


 すると慶次郎は一瞬驚いたような顔になって、すぐに大笑いした。


「ハッハッハ! ああ、そうかもしれねぇな。それより気をつけなお姫さん。あんまり油断してると、食われるのはあんたの方になるかもな。精々本気で惚れちまわねえよう覚悟しな」


 慶次郎の言葉に、彼女は口を結んで静かに呟いた。


「……で、あるか」


 ――時代はまた、長政を史実へと揺り戻そうとする。


 いずれこの揺り戻しが効かなくなるその時こそ、長政の運命は決定づけられるのだろう。


 その時までに長政がどこまで抗えるのか。残された時間は、もう長くはなかった。



◆第四部完◆

 ブックマーク、評価ポイント、リアクションを入れてくれた方、ありがとうございます。ポイント伸びててだいぶやる気が出て来ました。


 次回更新は未定ですが、年内目標くらいで投稿できれば……(現在少々多忙なため)

 なる早目標で引き続きゆるゆるやっていくので良ければお付き合いください。

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― 新着の感想 ―
お市様かw
難産だったのがよく分かる章でしたね というかこの先は更に難しくなりそうだけど……(笑)
毎日の更新お疲れ様でした ユルユルと待ちますので、 年内楽しみにしてます!!
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