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湖北の鷹 ―新生浅井伝―  作者: 一代 半可
第四部

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104/116

104_永禄八年(1565年) 客人

 長政は物事に悩むと、時折外を出歩く癖のようなものがある。部屋にこもって鬱屈としていると考えがまとまらず、妙案も浮かばない。織田との同盟について頭を悩ませる長政は、気付けば今浜の町へとやってきていた。


 今浜の町は今日も賑やかで、あちこちで見世物をしている者たちも居る。軽業を見せる者、珍しい動物を展示している者、更には芝居を演じる者と様々だ。


 しかし長政はそれらに目をくれることも無く、視線は地面に落としたまま。


 そうして気付けば長政の足は、ある場所へと向かっていた。


「これはこれは新十郎様。本日はいかな御用向きで?」


「あ……? ここは……大文字屋か」


 不意に話しかけられてはっと見上げると、そこは大文字屋と看板が掲げられた店の前だった。

 話しかけてきたのはこの大文字屋の店主、大文字屋甚兵衛(じんべえ)である。


 恰幅の良い、初老の彼は先日、長政の計らいでこの場所に店を構えたばかり。越前からわざわざやってきて、最近ではこの近江でも大きな商売を始めていた。


 近頃ではすっかり浅井家の御用商人となりつつあり、浅井家が必要とする火薬や食糧、その他備品などをかき集める役目を果たしている。


 無意識のうちに大文字屋に足が向いたのも、そんな縁あってのことだろう。


「儲かっているか、甚兵衛」


 いつもの挨拶でそんなことを聞いてみれば、甚兵衛は肉付きの良い頬を揺らすように、何度もうんうんと頷いて見せる。


「ええ、ええ。お蔭様で。浅元様のお計らいにより、近頃では近江酒や醤油もこちらへ卸させて頂いております。これが売れるの何のと……今も丁度、醤油の買い付けに摂津せっつからお客人が来られているほどにございます」


「ほう、摂津から?」


 この頃の摂津と言えば、堺が有名だろう。摂津、河内かわち和泉いずみの三国に跨る位置にある、商人たちの都市だ。


 太平洋側に面しているこの場所は海外との交易も盛んで、ポルトガルを始めとした南蛮の者たちが多く出入りしているという。


 今でこそ最大の交易国は明国で、敦賀が日本の表側と言われているが、江戸時代以降に入ると交易路の開拓や大坂、江戸の発展により堺の方が表と言われるようになるほどだ。


 また史実の信長もこの堺を手にし、火薬や鉄砲を大量に買い付けたと言われている。この時代における堺は、近江に並ぶ重要拠点の一つなのだ。


 そんなことを考えていると、甚兵衛は「そうだ」と少々わざとらしく、手をぱん、と鳴らす。


「折角ですし、お会いになられては如何ですかな。丁度これから茶を立てるところですので」


 そして気付けばぐいぐいと、いつもの押しの強さで長政を乗せようとする。


 いつもこうした押しの強さに負けてあれこれ買わされるのも、近頃政澄や政元に叱られている原因の一つだ。


 ……もちろん、ただ乗せられただけで長政自身が一番乗り気になっている訳ではない。決して。


「いや、それはお客人に悪いのではないか? 私もたまたま立ち寄っただけで、用があった訳では……」


「お客人は浅井のお殿様にご興味がある様子。ご家来衆の浅元様とお話しできれば、きっとあちら方もお喜びになりましょう。さ、どうぞこちらへ。ささ」


「あ、いや、店主……!」


「ささ、ささ」


 あれよあれよと言う間に店の奥へと連れ込まれた長政は、そのまま客間へと通されることになるのだった。



◆――



 この頃、商人の間では茶の席を商談に利用することが多くあった。


 これは商人たちの町である堺に千利休、今井宗久(そうきゅう)、津田宗及(そうきゅう)といった茶人たちが集っていたこともあるが、何よりその密談性が好まれたといわれている。


 特定の者たちが目的を隠して集まるのは難しいが、それが茶の席となれば怪しまれない。またこうした茶の席であれば、普段関わらないような相手とも親睦を深めることもできる。


 そうやって様々な情報を仕入れることで、商人たちは世間の動向を真っ先に掴んでいたのである。


 そして、そんなわびさびの世界に魅せられたのは何も商人だけではない。


 普段は戦に明け暮れる武士たちの間にも近頃では茶湯が流行りつつあり、茶湯に傾倒する者も多くいた。


 信長が上洛後に行った名物狩りの話や、その家臣である滝川一益が領地より茶器を欲しがったという逸話は有名だろう。


 名物と呼ばれる茶器であればひとつ一万貫(約15億)とも言われる世界なのだから、わからないものである。


 さて、長政が大文字屋商店の奥へ歩みを進めると、板張りの間へと通された。そこには既に誰かが床に座っていて、その人物こそ先ほど話題に出た摂津からの客人のようだった。


 頭は丸く、真っ黒な法衣を身にまとっている。どうやら僧らしい。


 誰だろうかと考えているうち、部屋へ先に入った甚兵衛が早速と片膝を付く。


「岡崎様。まもなく支度が整いますが、今しばらく時を頂きたく。その間、こちらのご客人と暫しご歓談くださいませ」


 紹介されるがまま、長政は僧の前まで進んで腰を下ろす。すると先に僧の方が頭を下げた。


「岡崎安休(あんきゅう)と申します。普段は石山本願寺にて僧をしております」


 歳は長政より一回りほど上だろうか。穏やかな顔立ちをしていて、所作も柔らかで美しい。丸めた頭や法衣が無くとも、仏門の者特有の厳かな雰囲気をまとう男だった。


 それにどこか……顔立ちが誰かに似ているような気もする。


「浅井家家臣、浅元新十郎と申します」


 誰に似ているのか思い出せず、もやもやしながら頭を下げると、その姿を見届けた甚兵衛は「それでは失礼いたします」と部屋を後にした。部屋には長政と安休の二人きりだ。


 それから少し沈黙があって、先に喋り出したのは安休の方だった。


「浅元様のお話はよく店主から耳にしております。曰く、この北近江の領主である浅井様の覚えもめでたく、浅井家の出世頭なのだとか」


「いや、はは……どうでありましょうな。甚兵衛め、そんなことを……」


 甚兵衛は新十郎の正体が浅井長政であることを知らない。そのため浅元新十郎を浅井家重臣の一人と信じているようで、あちこちでその話をしているらしい。


 長政が答えに困っていることを察してか、安休は更に続ける。


「浅井様の元で作られた醤油やしいたけは実に質がようございます。本願寺でも近頃は、催事の際には必ず近江の物を取り寄せるようにしておるのでございます。そこでこちらの大文字屋殿に、その段取りをお願いしようかと尋ねた次第で」


「本願寺で……でございますか」


 石山本願寺。後に信長と敵対し、長政と共に信長の天下統一を阻む相手だ。こんなところでその僧と会おうとは、何だか因縁染みたものを感じてしまう。


 或いはこれも、史実の糸が織りなす必然の一つなのか。


「湖北の鷹、浅井長政様のお噂は堺にも広まっております。堺に訪れる近江商人たちは、口をそろえてかの方のお蔭だと申しておりますれば。近頃では近江も戦が少なく、商人たちがこぞってこちらに足を運んでいる由にございます」


「は、はは……」


 まさか堺にまで噂が広がっているとは。長政は堺はおろか京にすら足を運んだことがないというのに。やはり商人の口は侮れない。


「その浅井様をお支えしておられる浅元様にお目にかかることができ、誠に嬉しく思っております」


「……こちらこそ、本願寺のお坊様にお目にかかれるとは光栄にございます」


 ここまで手放しに褒められるとさすがにいくらかの気恥ずかしさが顔を出す。もちろんある程度の誇張はあるだろうし世辞として流すべきなのだろうが、安休の口ぶりはそれを本当のことだと信じさせるような力があった。


 これも彼が本願寺の僧だからなのだろうか。


 そうしてある程度のところで一息ついて、また沈黙が訪れる。先ほどは安休の方から話を振ってくれたのだから、今度は長政から話を振るべきなのだろう。


 ただ、僧とは何を話せばいいのかさっぱりわからない。酒や女の話はご法度だし、戦の話もあまり興味がないだろう。そうなると政治の話や金の話になるのだが仮にも僧相手にそういう話はどうなのかという気がしてくる。


 部屋の外から今浜の喧騒が聞こえる。それがより沈黙を重く感じさせた。


 ただ、そんな喧騒を聞いていると……ふと、聞いてみたい疑問が浮かんできて、その話をしてみることにした。


「安休殿は……この今浜を見て、どう思われますか?」

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