第4話 王国最強の剣
離宮の訓練場には、朝から威勢のよい掛け声が響いていた。
私が到着したときには、すでに10人ほどの騎士たちが集まり、それぞれ準備運動や素振りを始めていた。王国騎士団の訓練場に比べれば小さな場所だけれど、地面は綺麗にならされ、木剣や防具もきちんと整頓されている。ガレス殿が日頃から丁寧に指導していることが、こうしたところからも伝わってきた。
今日は護衛隊の訓練に参加し、剣術の指導を行うことになっている。王国騎士団では若い騎士たちを教える機会も多かったため、指導そのものに不安はない。けれど、離宮の護衛隊とはまだ知り合ったばかりなので、まずは彼らの実力を確かめるところから始めたいと思っていた。
「おはようございます、ヴァレンティア殿。本日はよろしくお願いいたします」
「おはようございます、ガレス殿。こちらこそ、よろしくお願いいたします。皆さん、とても熱心ですね」
「ええ。王国最強と名高い方から直接指導を受けられるとあって、昨夜から随分と張り切っておりまして」
ガレス殿は苦笑しながら、訓練場に集まった騎士たちへ視線を向けた。私の姿に気づいた者たちが次々と姿勢を正し、元気よく挨拶をしてくれる。その中でも、ひときわ勢いよく駆け寄ってきた若い騎士がいた。
「セレナ様! 初めまして! 俺、ノエル・ハーディと申します! ずっとあなたに憧れていたんです!」
「初めまして、ノエルさん。そんなに慌てなくても大丈夫ですよ」
「す、すみません! でも、まさか本当にお会いできるなんて思っていなくて……! ぜひ一度、剣を教えていただけませんか!」
ノエルは砂色の短い髪をした、まだ20歳ほどの青年だった。明るい瞳には真っ直ぐな憧れが浮かび、こちらを見つめる表情は実に生き生きとしている。どうやら、私が騎士団にいたころの話を随分と聞いているらしい。
私はその勢いに少し驚きながらも、自然と頬が緩むのを感じた。若い騎士が強くなりたいと願う姿を見るのは、決して嫌いではない。むしろ、かつての自分を思い出して、応援したくなるものだった。
「もちろんです。今日は皆さんの剣術を見せていただくつもりですから、ノエルさんにもぜひ参加していただきたいわ」
「ありがとうございます! 俺、精一杯頑張ります!」
ノエルは嬉しそうに頭を下げると、仲間たちのもとへ駆け戻っていった。その後ろ姿を見送っていると、不意に胸の奥が小さく痛んだ。真っ直ぐな眼差しも、少し勢い余った話し方も、どこか懐かしいものに思えたからだ。
(……少し、似ているわね)
3年前、私の後ろをついて回っていた17歳の従騎士。彼もまた、あんなふうに目を輝かせながら、何度も剣を教えてほしいと頼んできた。けれど、その記憶を深く辿る前に、私は小さく息を吐いて気持ちを切り替えた。
今は目の前の騎士たちに集中しなければならない。彼らの成長を助けることも、私に与えられた大切な役目なのだから。
❀ ❀ ❀
訓練の準備が整ったころ、訓練場の入口から聞き慣れた声がした。
「皆さん、おはようございます。今日は私も少し、お邪魔させていただきますね」
振り返ると、ルシアン殿下がマーサに付き添われていらっしゃった。銀色の髪が朝日を受けて淡く輝き、手にはいつもの白い杖を持っていらっしゃる。昨日の庭園散歩で約束したとおり、本当に訓練を見学しに来てくださったのだ。
騎士たちは慌てて姿勢を正し、一斉に礼を取った。殿下はその気配を感じ取られたのか、楽しそうに笑っていらっしゃる。
「どうぞ、いつもどおりにしてください。今日は皆さんの訓練を聞かせていただきたいんです」
「殿下、本日はお越しいただきありがとうございます。こちらへお席をご用意しております」
ガレス殿が案内すると、殿下は礼を述べて椅子へ向かわれた。私はその隣へ進み出て、今日の訓練内容を簡単に説明する。まずは若い騎士たちとの模擬戦を行い、その後にガレス殿とも剣を交える予定だと伝えると、殿下は嬉しそうに頷かれた。
「それは楽しみですね。昨日、セレナ殿から剣を始めたころのお話を伺ったので、ますます興味が湧いてしまいました」
「……あまり期待されますと、少々緊張してしまいます」
「ふふ。王国最強の女騎士でも、緊張なさることがあるのですね」
「もちろんでございます。私も人間ですから」
そう答えると、殿下は楽しそうに笑われた。私も思わず微笑んでしまい、慌てて表情を引き締める。昨日から、殿下の前ではどうにも調子が狂ってしまうことが多い。
ガレス殿はそんな私たちのやり取りを微笑ましそうに見守っていたけれど、やがて訓練開始の合図を出した。私は木剣を手に取り、訓練場の中央へと進み出た。
❀ ❀ ❀
「では、最初はノエルさん。お願いできますか?」
「はい! よろしくお願いします!」
ノエルは勢いよく返事をすると、木剣を構えた。若いながらも姿勢は安定しており、足運びにも無駄が少ない。ガレス殿が日頃から丁寧に指導していることがよくわかった。
私は軽く木剣を構え、相手の出方を待つ。ノエルはしばらくこちらの様子を窺っていたけれど、やがて意を決したように地面を蹴った。
「いきますっ!」
鋭い踏み込みとともに、木剣が一直線に振り下ろされる。私はその一撃を軽く受け流し、続く横薙ぎの攻撃を半歩下がってかわした。ノエルはすぐに体勢を立て直し、今度は角度を変えて斬り込んでくる。
動きは悪くない。むしろ、若手の騎士としては十分に優秀な部類に入るだろう。けれど、攻撃のたびに肩へ力が入り、剣を振るう瞬間に動きがわずかに硬くなっている。
(……速さは十分。でも、少し力みすぎているわね)
私は次の攻撃を受け止めると、木剣を滑らせるようにして相手の手元へ入り込んだ。ノエルが慌てて剣を引こうとした瞬間、手首を返して木剣を弾き飛ばす。乾いた音を立てて木剣が地面へ落ち、私はその喉元へ切っ先を軽く向けた。
「そこまで!」
ガレス殿の声が響き、周囲の騎士たちから歓声が上がった。ノエルは悔しそうに唇を噛んでいたけれど、すぐに姿勢を正して頭を下げる。私は木剣を下ろし、彼のもとへ歩み寄った。
「ありがとうございました、セレナ様! やっぱり、まったく歯が立ちませんでした……!」
「そんなことはありませんよ。踏み込みも速かったですし、攻撃の組み立てもよく考えられていました。ただ、剣を振るう瞬間に肩へ力が入りすぎていますね」
「肩、ですか?」
「ええ。そこを意識して力を抜けば、もっと自然に剣が伸びるはずです。少し試してみましょうか」
私はノエルの構えを確認し、肩や腕の動かし方をひとつずつ説明した。彼は真剣な表情で耳を傾け、何度も素振りを繰り返す。最初はぎこちなかった動きも、少しずつ滑らかになっていった。
「……あっ! さっきより剣が軽く感じます!」
「その感覚を忘れないでください。力を込めることと、力任せに振るうことは違いますから」
「はい! ありがとうございます、セレナ様!」
ノエルは満面の笑みを浮かべ、何度も頭を下げた。その姿を見ていると、私まで嬉しくなってくる。やはり、誰かが成長していく姿を見るのはよいものだ。
その後も数人の騎士たちと模擬戦を行い、それぞれの長所や改善点を伝えていった。誰もが真剣に取り組んでくれるので、指導する側としても自然と熱が入る。気づけば、予定していた時間を少し過ぎてしまっていた。
❀ ❀ ❀
「さて、最後は私がお相手をお願いしてもよろしいでしょうか?」
若い騎士たちへの指導を終えたところで、ガレス殿が木剣を手に進み出てきた。周囲の騎士たちが一斉に顔を上げ、期待に満ちた表情を浮かべる。どうやら、護衛隊長と私の模擬戦を楽しみにしていたらしい。
「もちろんです。ガレス殿の剣術も、ぜひ拝見したいと思っておりました」
「ありがとうございます。では、遠慮なく参ります」
私たちは訓練場の中央で向かい合い、互いに礼を取った。ガレス殿の構えは落ち着いており、無駄な力が入っていない。長年の経験に裏打ちされた、実に堅実な剣術だと感じられた。
合図とともに、ガレス殿がゆっくりと間合いを詰めてくる。若い騎士たちのように勢い任せに踏み込むことはせず、こちらの動きを慎重に窺っている。私は木剣を構えたまま、相手の呼吸と重心の変化に注意を向けた。
「……さすがですね。簡単には隙を見せていただけそうにありません」
「それはこちらの台詞です。ヴァレンティア殿を相手に、無闇に踏み込むわけにはいきませんからな」
ガレス殿はそう言うと、わずかに剣先を下げた。誘いだとわかっていたけれど、私はあえて一歩踏み込む。すると、待っていたかのように木剣が跳ね上がり、鋭い一撃がこちらの肩口を狙ってきた。
私はその攻撃を受け流し、相手の懐へ入り込もうとする。しかし、ガレス殿はすぐに後退して間合いを取り直し、続けざまに横薙ぎの攻撃を繰り出してきた。私は木剣を合わせながら、その動きに感心してしまった。
(……なるほど。さすがは護衛隊長ね)
攻撃のひとつひとつに無駄がなく、こちらの動きをよく見ている。正面からの力比べではなく、間合いを管理しながら相手の隙を探す戦い方だ。護衛として必要な判断力と冷静さを兼ね備えていることが、剣を交えるだけで伝わってきた。
しばらく攻防を続けたところで、ガレス殿が一瞬だけ重心を前へ移した。私はその動きを見逃さず、相手が踏み込むよりも早く半歩だけ身体をずらす。振り下ろされた木剣が肩先をかすめるように通り過ぎた瞬間、私はその内側へ入り込んだ。
ガレス殿が慌てて剣を引こうとするよりも早く、私の木剣が首元へ届く。切っ先を寸前で止めると、訓練場に一瞬の静寂が訪れた。
「……参りました。これほどとは思いませんでした」
ガレス殿は苦笑しながら木剣を下ろした。周囲の騎士たちから大きな歓声が上がり、ノエルなどは興奮した様子で何度も拍手している。私は軽く息を整えると、ガレス殿へ頭を下げた。
「ありがとうございました。とても勉強になりました。ガレス殿の剣は、実に堅実で隙がありませんね」
「いえ、最後は完全に読まれてしまいました。ですが、これほど見事な剣を間近で拝見できたことは、私にとってもよい経験になりました」
私たちは互いに礼を交わし、訓練場の端へと戻った。ガレス殿の剣術は、護衛隊長として十分に信頼できるものだった。これならば、離宮の警備についても安心して協力していけるだろう。
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「セレナ殿。とても素晴らしい訓練でした」
模擬戦を終えて殿下のもとへ向かうと、ルシアン殿下が嬉しそうに微笑んでいらっしゃった。隣に座っていたマーサも、どこか誇らしげな表情を浮かべている。私は少し照れくさくなりながら、軽く頭を下げた。
「ありがとうございます、殿下。お楽しみいただけましたでしょうか」
「ええ。ガレスが動きを説明してくれましたし、皆さんの声からも、どれほど見事な剣だったのか伝わってきました。それに、セレナ殿は勝ったあと、必ず相手を気遣っていらっしゃいましたね」
「……お気づきでしたか」
「もちろんです。ノエルも、ほかの騎士たちも、あなたに教わったことをとても喜んでいましたから」
殿下はそうおっしゃって、穏やかに微笑まれた。私は思わず言葉を失ってしまう。剣の腕を称えられることには慣れていたけれど、相手への接し方まで見ていただけるとは思っていなかったからだ。
「強いだけではなく、その力をどう使うかを大切になさっている。私は、そういうあなたの剣が好きです」
その言葉が、胸の奥へ静かに染み込んでいった。私はこれまで、王国最強の女騎士として多くの称賛を受けてきた。けれど、殿下の言葉はそれらとは少し違っていた。
私が何を大切にし、どんな思いで剣を握っているのか。そのことを知ろうとしてくださっているのだと、自然に感じられた。
(……この方は、私が何を大切にしているのかまで、知ろうとしてくださるのね)
昨日、庭園で殿下は私に剣が好きなのだと教えてくださった。そして今日は、その剣を好きだと言ってくださっている。たったそれだけのことなのに、胸の奥にあった重たいものが、少しずつ軽くなっていくような気がした。
「……ありがとうございます、殿下。そのようにおっしゃっていただけて、とても嬉しいです」
「ふふ。こちらこそ、素敵な時間をありがとうございました。また機会があれば、ぜひ聞かせてくださいね」
私は静かに頷き、殿下へ微笑み返した。目の見えないこの方に、私の笑顔が伝わることはないのかもしれない。それでも、自然と笑ってしまうのだから不思議なものだった。
❀ ❀ ❀
訓練が終わり、騎士たちが片づけを始めたころ、ノエルが再び私のもとへ駆け寄ってきた。先ほどの模擬戦で汗をかいたのか、額にはまだ小さな汗の粒が浮かんでいる。それでも、その表情は実に晴れやかだった。
「セレナ様! 今日は本当にありがとうございました! 俺、もっと強くなりたいんです!」
「ええ。今日の動きも悪くありませんでしたよ。これからも鍛錬を続ければ、きっと立派な騎士になれると思います」
「ありがとうございます! いつかあなたみたいに、誰かを守れる騎士になりたくて!」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が小さく痛んだ。
かつて、同じようなことを言っていた少年がいた。まだ17歳で、剣の腕も未熟だったけれど、誰よりも真っ直ぐな心を持っていた従騎士。私の後ろをついて回り、いつか自分も誰かを守れる騎士になりたいと、何度も話してくれた。
けれど、彼はもういない。あの日、私を庇って命を落としたのだから。
(……あの子も、同じことを言っていたわね)
私は一瞬だけ目を伏せ、それからノエルへ微笑みかけた。目の前の青年に、過去の記憶を重ねてはいけない。彼には彼の人生があり、これから多くの経験を積んでいくのだから。
「……ええ。きっと、なれるわ。だから焦らず、ひとつずつ身につけていきなさい」
「はい! これからもご指導、よろしくお願いします!」
ノエルは嬉しそうに頭を下げると、仲間たちのもとへ戻っていった。その後ろ姿を見送りながら、私は胸の奥に残る小さな痛みを押し込める。もう3年も経ったというのに、あの日の記憶は少しも色褪せてくれない。
すると、すぐそばから穏やかな声が聞こえてきた。
「セレナ殿。お疲れではありませんか?」
振り返ると、ルシアン殿下がこちらへ顔を向けていらっしゃった。先ほどまでの楽しそうな表情とは少し違い、どこか気遣うような声色だった。私は慌てて姿勢を正し、首を横に振る。
「いえ、大丈夫でございます。少し昔のことを思い出していただけですので」
「そうでしたか。……それなら、今日はゆっくり休んでくださいね。明日も、あなたが元気でいてくださると嬉しいです」
殿下はそれ以上、何も尋ねてこなかった。ただ、私の様子を気遣い、休むよう勧めてくださる。その優しさが、今の私にはありがたかった。
私は小さく息を整えると、殿下へ微笑みかけた。
「ありがとうございます、殿下。お気遣い、感謝いたします」
「ふふ。こちらこそ。あなたが来てくださってから、離宮が少し賑やかになった気がします」
その言葉に、私は思わず笑ってしまった。確かに、今日の訓練場は随分と賑やかだった。けれど、私自身もこの離宮で過ごす時間を、少しずつ楽しめるようになってきている。
剣を握ることだけが、私のすべてではないのかもしれない。
そして、この方の前では、強い騎士でいることだけに囚われなくてもよいのかもしれなかった。
私はそっと空を見上げた。秋の青空には薄い雲が流れ、穏やかな風が訓練場を吹き抜けていく。胸の奥に残る痛みが消えたわけではないけれど、今はその風が少しだけ心地よく感じられた。




