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第19話 あなたに恋をしました

 王宮の城門前には、普段よりも多くの近衛兵が並んでいた。

 その中心に立つ礼装姿の男性は、私たちの馬車へ深々と頭を下げている。国王陛下から迎えに来たというが、今の王宮には敵が潜んでいる可能性がある。私はすぐに馬車を降りず、男性の身分と周囲の配置を確認した。


「失礼ですが、陛下からの正式なご命令であることを確認させていただけますか?」


 男性は不快そうな顔ひとつせず、懐から封書を取り出した。


「もちろんです。私は王宮近衛隊副隊長を務めております。こちらが陛下の命令書です。第三王子殿下の身の安全を確保し、速やかに謁見の間へお連れするよう仰せつかっております」


 私は封蝋と署名を確認し、内容をルシアン殿下へ読み上げた。

 確かに国王陛下の正式な命令書だった。近衛兵たちの所属も確認でき、少なくとも目の前の迎えが偽物である可能性は低い。

 けれど、どうして陛下は私たちの到着を知っていたのだろう。


「陛下は、離宮で起きたことをご存じなのですか?」

「はい。離宮襲撃の報告を受け、陛下も大変ご心配なさっております。また、第三王子殿下から以前に届けられた報告書についても、すでに調査を進めておられます」


 私は驚いて殿下へ顔を向けた。

 殿下は少し考え込まれたあと、穏やかな声で尋ねられる。


「……父上は、私の報告を読んでくださったのですね?」

「はい。詳しいことは、直接陛下からお聞きいただければと存じます」


 殿下は静かに頷かれた。

 私はガレス殿と視線を交わし、近衛隊に護衛を引き継ぐことを決めた。ただし、殿下のそばには引き続き私が付き添う。

 馬車を降りると、私は殿下の手を取り、ゆっくりと石畳へご案内した。


「殿下、足元に段差がございます。私の腕をお取りください」

「ありがとうございます、セレナ殿。……あなたが一緒なら、心強いですね」


 その言葉に、私は小さく微笑んだ。

 何度も命を狙われ、ようやく辿り着いた王宮。

 ここで必ず、殿下が積み重ねてきた努力を実らせたい。

 私はその想いを胸に、殿下とともに宮殿の中へ足を踏み入れた。


❀ ❀ ❀


 謁見の間には、国王陛下と数名の重臣が待っていた。

 私たちが入室すると、陛下は玉座から身を乗り出すようにして、ルシアン殿下へ声をかけられた。


「ルシアン。よく無事に戻った。道中でも襲撃を受けたと聞いたが、怪我はないか?」

「はい、父上。護衛の者たちのおかげで、私は無事です」


 殿下は静かに頭を下げられた。

 私はその隣で膝をつき、謁見の許しを待つ。

 陛下は私にも顔を向け、深く頷かれた。


「セレナ・ヴァレンティア。そなたの働きも聞いている。ルシアンを守ってくれたこと、礼を言う」

「もったいないお言葉です。私は騎士として、当然の務めを果たしたまででございます」


 陛下は頷かれ、すぐに本題へ移られた。

 ルシアン殿下が離宮で調べていた、王国の穀物備蓄に関する不正。

 その報告書は、すでに陛下のもとへ届いていたという。

 ただし、当初は証拠が十分ではなく、陛下も表立った調査には踏み切れなかったそうだ。


「そなたの報告を受け、密かに王宮の会計記録を調べさせた。すると、確かに不自然な支出が見つかったのだ」


 陛下の合図で、重臣のひとりが数冊の帳簿を運んできた。

 私は許可を得て内容を確認し、殿下へ必要な部分を読み上げる。

 そこには、穀物の輸送にかかった費用と、実際に各地へ届けられた量が記されていた。

 けれど、数字が合わない。

 本来なら地方の備蓄倉庫へ届けられるはずだった穀物が、一部の記録から消えているのだ。

 しかも、その輸送を担当していた商会の名前には、見覚えがあった。


「……殿下。離宮で調べていらっしゃった商会と、同じ名前です」


 私は小声で伝えた。

 殿下は静かに頷かれ、持参した資料を提出するよう私へ告げられた。

 私は離宮から持ち出した調査記録と、街道で捕らえた襲撃者から押収した紙片を差し出す。

 陛下はそれらを確認し、重苦しい表情で息を吐かれた。


「……やはり、つながっていたか」


 陛下の命を受けた重臣が、調査結果を説明した。

 穀物を横流ししていた商会は、第二王子の側近たちと取引を重ねていた。

 さらに、王宮側が押収した帳簿と送金記録によって、不正な利益の一部が第二王子の管理する資金へ流れていたことも判明したという。

 第二王子自身も不正を把握しながら黙認し、利益を受け取っていた。

 一方、離宮襲撃と街道での待ち伏せについては、第二王子の側近が商会を通じて手配した疑いが強まっていた。捕らえた指揮官の所持品には、その商会からの支払いを示す記録も残されている。

 ただし、第二王子自身が襲撃を命じた証拠は、まだ見つかっていない。


「第二王子と関係者は、すでに身柄を確保している。今後、厳正に調べるつもりだ」


 陛下の声には、深い失望が滲んでいた。

 私は胸の奥が重くなるのを感じながらも、ようやく事件の全貌が見え始めたことに安堵した。

 ルシアン殿下が、離宮でひとつずつ調べてきたこと。

 それは決して無駄ではなかったのだ。


「……ルシアン。よくぞ、ここまで調べ上げた」


 陛下は玉座から立ち上がり、殿下へ向き直られた。


「そなたの報告がなければ、不正を見逃していたかもしれぬ。王国の民を守るため、よく働いてくれた」

「……ありがとうございます、父上。ですが、私はただ、民が苦しむのを見過ごせなかっただけです」


 殿下は穏やかに答えられた。

 その声には、誇らしさよりも安堵が滲んでいるように思えた。

 陛下はしばらく黙っていたあと、静かに口を開かれた。


「……私は、そなたを遠ざけすぎたのかもしれぬな」


 私は思わず顔を上げそうになった。

 陛下は、これまで殿下を政治の中心から遠ざけてきたことを、深く悔いていらっしゃるようだった。


「目が見えぬという理由で、そなたにできることまで奪っていた。父としても、王としても、考えを改めねばならぬ」

「……父上」


 殿下は少しだけ驚いたように声を漏らされた。

 けれど、すぐに穏やかな表情へ戻られる。


「私は、離宮で多くのことを学びました。人の声に耳を傾けることも、誰かを信じることも。……あの場所で過ごした時間を、私は大切に思っています」


 その言葉に、私の胸が温かくなった。

 殿下は続けられる。


「ですから、王宮へ戻るかどうかは、少し考える時間をいただけませんか?」

「……もちろんだ。今後は、そなたの望む形で王国に力を貸してほしい。正式な役目についても、そなたの意見を聞きながら決めよう」


 陛下は力強く頷かれた。

 私はそのやり取りを聞きながら、ようやく肩の力が抜けるのを感じた。

 長かった戦いが、終わろうとしている。

 そして、ルシアン殿下には、これまでとは違う未来が開かれようとしていた。


❀ ❀ ❀


 謁見を終えたあと、私たちは王宮の静かな一室へ案内された。

 窓からは午後の柔らかな陽射しが差し込み、遠くの庭園から鳥の声が聞こえてくる。

 私は殿下を長椅子へご案内し、その隣に立った。

 ようやく安全な場所へ辿り着いたというのに、胸の奥にはまだ緊張が残っている。

 けれど、それ以上に、殿下の努力が報われたことが嬉しかった。


「……殿下。本当によかったですね」


 私がそう告げると、殿下は穏やかに微笑まれた。


「ええ。ですが、ここまで来られたのは、あなたのおかげでもあります。セレナ殿、これまで本当にありがとうございました」


 私は慌てて首を振った。


「そんな……! 私は護衛として、当然の務めを果たしただけです。それに、ガレス殿やノエルたちも、力を尽くしてくれました」

「もちろん、皆にも感謝しています。ですが、あなたには、特別に伝えたいことがあるのです」


 殿下の声が、少しだけ真剣なものに変わった。

 私は自然と背筋を伸ばし、次の言葉を待った。

 すると、殿下は静かに告げられた。


「……セレナ殿。私は、あなたを護衛の任から解こうと思います」


 その瞬間、頭の中が真っ白になった。


(……護衛の任から、解く?)


 私は思わず息を呑んだ。

 それは、もう殿下のそばにいられなくなるということだろうか。

 ようやく事件が解決し、これからも殿下をお守りできると思っていたのに。

 胸の奥が、ぎゅっと締めつけられる。


「……殿下。私に、何か至らない点がございましたでしょうか?」


 自分でも驚くほど、声が震えていた。

 殿下はすぐに首を振られた。


「いいえ。あなたは、私にとって最高の護衛でした。これ以上ないほど、立派に務めを果たしてくださいました」


 その言葉に、少しだけ安堵する。

 けれど、なぜ任を解かれるのか、まだ理解できなかった。

 殿下はしばらく考えるように間を置いたあと、静かに続けられた。


「……あなたは、誰かの命令に縛られなければならない方ではありません。騎士としての誇りも、ひとりの女性としての人生も、あなた自身の意志で選んでほしいのです」


 私は黙って、その言葉を聞いていた。

 殿下は、私の力を認めてくださっている。

 だからこそ、自由にしてくださろうとしているのだろう。

 けれど、私が望んでいるのは、そんな自由ではなかった。

 私はただ、この方のそばにいたい。

 騎士としてだけではなく、ひとりの女性としても。


「……殿下。私は……」


 言葉を探していると、殿下がそっと手を伸ばされた。

 私はその手を取り、静かに握り返した。

 すると、殿下は少しだけ緊張した声で、私の名前を呼ばれた。


「……セレナ殿。どうか、最後まで聞いてください」


 私は小さく頷いた。


「……はい」


 殿下は一度、深く息を吸われた。

 そして、ゆっくりと言葉を紡がれた。


「……私は、あなたに恋をしました」


 その瞬間、時間が止まったように感じた。

 私は目を見開き、殿下の顔を見つめる。

 けれど、殿下はまっすぐ前を向いたまま、静かに続けられた。


「あなたがどのような顔をしているのか、私は見ることができません。ですが、あなたがどれほど強く、優しく、誰かのために涙を流せる方なのかは知っています」


 私は唇を噛みしめた。

 胸の奥から、熱いものが込み上げてくる。

 殿下は、私の傷を知らないわけではない。

 あの日、私の顔へ触れ、その傷の存在を確かめてくださった。

 それでも、私をひとりの人間として、そして女性として見てくださっている。


「私は、あなたを護衛としてだけではなく、ひとりの女性として愛しています。ですが、王子である私が命じれば、あなたは断れないかもしれない。だからこそ、まずは護衛という立場から、あなたを自由にしたかったのです」


 殿下の手が、私の手を優しく包み込んだ。


「……どうか、私の隣にいてください。命令ではなく、あなた自身の意志で」


 もう、涙を堪えることはできなかった。

 私は俯き、頬を伝う涙を拭った。

 かつての私は、自分の顔に刻まれた傷が嫌いだった。

 貴族たちから醜いと蔑まれ、誰かに愛されることなどないと思っていた。

 けれど、殿下は違った。

 私の剣を認め、私の言葉に耳を傾け、私が抱えていた後悔まで受け止めてくださった。

 そして今、私を愛していると告げてくださっている。

 私は震える息を整え、ゆっくりと顔を上げた。


「……私も、殿下のことが好きです」


 殿下が、わずかに息を呑まれた。

 私はその手を強く握り返し、もう一度、はっきりと伝えた。


「ずっと、お慕いしておりました。騎士としてお仕えするうちに、いつの間にか、ひとりの男性として殿下を好きになっていたんです」


 言葉にした途端、胸の奥が温かくなった。

 ずっと隠していた気持ち。

 身分も、傷も、何もかもが怖くて、伝えることなどできないと思っていた。

 けれど、今は違う。

 私は自分の意志で、この方の隣に立ちたい。


「……ですから、殿下。どうか、私をおそばに置いてください。護衛としてではなく、ひとりの女性として」


 殿下はしばらく黙っていらっしゃった。

 やがて、安心したように微笑まれる。


「……ありがとうございます、セレナ。そう言っていただけて、本当に嬉しいです」


 初めて、殿下が私の名前を呼び捨てにされた。

 それだけのことなのに、胸が高鳴る。

 私は涙を拭いながら、小さく笑った。


「……はい。私も、嬉しいです。ルシアン様」


❀ ❀ ❀


 しばらくの間、私たちは手を繋いだまま、静かに座っていた。

 窓の外では、柔らかな風が木々を揺らしている。

 私は隣に座るルシアン様の横顔を見つめながら、まだ夢を見ているような気持ちでいた。

 すると、ルシアン様がそっと口を開かれた。


「……セレナ。あなたの顔に、触れてもよろしいですか?」


 私は少し驚いたあと、静かに微笑んだ。

 以前、離宮で同じように尋ねられたことがある。

 あのときの私は、自分の傷に触れられることが怖かった。

 けれど、今は違う。

 私は彼の手を取り、自分の頬へ導いた。


「……はい。どうぞ」


 ルシアン様の指先が、そっと私の左頬へ触れる。

 傷のある場所を、優しくなぞるように撫でてくださった。

 私はその温もりを感じながら、静かに目を閉じた。


「……私、この傷が嫌いでした。鏡を見るたびに、あの日のことを思い出して……。けれど、今は少しだけ、違う気がします」


 ルシアン様は何も言わず、私の言葉に耳を傾けてくださった。

 私は小さく息を吐き、続けた。


「この傷があるからこそ、私は今の自分になれたのかもしれません。そう思えるようになったのは、ルシアン様のおかげです」


 ルシアン様は穏やかに微笑まれた。


「……傷を消す必要はありません。あなたが歩いてきた道も、これから歩いていく道も、私は大切にしたいのです」


 その言葉に、再び涙が溢れそうになった。

 私は彼の手へ自分の手を重ね、そっと頬を寄せる。

 すると、ルシアン様が少しだけ照れたように尋ねられた。


「……セレナ。口づけをしても、よろしいですか?」


 胸が大きく跳ねた。

 私は思わず頬を赤らめ、けれど、すぐに小さく頷いた。

 そして、彼に伝わるよう、はっきりと言葉にする。


「……はい。私も、そうしたいです」


 ルシアン様は優しく微笑まれた。

 私は彼の手を取り、ゆっくりと距離を縮める。

 互いの息遣いがわかるほど近づいたところで、私はそっと目を閉じた。

 そして、私たちは初めて唇を重ねた。

 ほんの短い口づけだった。

 けれど、その温もりは、胸の奥へ深く残った。

 唇が離れると、ルシアン様は少し照れたように笑われた。


「……セレナ。いつか、あなたを私の妻として迎えたいと思っています」


 私は驚いて目を見開いた。

 けれど、すぐに嬉しさが込み上げ、自然と笑みがこぼれる。


「……その日を、楽しみにしております」


 ルシアン様は私の手を握り直し、穏やかに頷かれた。

 私はその温もりを感じながら、静かに目を閉じた。

 醜いと蔑まれた私を、この方は愛してくださった。

 けれど、今はそれだけではない。

 私もまた、この方を心から愛している。

 そして、これから先もずっと、隣で支え合いながら生きていきたい。

 私はそう願いながら、ルシアン様の手をそっと握り返した。


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