第17話 最後の護衛任務
ヒュンッ!
森の奥から放たれた矢が、馬車の側面へ突き刺さった。
私は反射的にルシアン殿下の肩を抱き、座席の下へ身を伏せさせる。直後、立て続けに矢が飛来し、馬車の屋根や扉に乾いた音を立てて突き刺さった。
「殿下、敵襲です! どうか、そのまま身を低くしていてください!」
私は殿下を庇うように身体を寄せ、窓の外へ視線を走らせた。
街道の両側には背の高い木々が並び、その奥から次々と矢が放たれている。敵の姿はまだはっきりと見えないが、少なくとも複数の弓兵が待ち構えていることは間違いなかった。
馬車の前方には大きな倒木が横たわり、道を塞いでいる。
御者が馬を後退させようとした、そのときだった。
ドォンッ!
背後から重い音が響き、馬車が大きく揺れた。
私は振り返り、窓の外を確認する。
後方にも、別の木が倒されていた。
(……退路まで塞がれた!)
完全な待ち伏せだった。
敵は私たちがこの道を通ることを知っていたかのように、前後の退路を封じている。
私はすぐに馬車の扉を開き、護衛隊へ声を張り上げた。
「敵襲! 全員、馬車を守ってください! 森へ深追いしてはいけません!」
私の声に、衛兵たちが一斉に動き出した。
ガレス殿は馬から降り、盾を持つ衛兵を馬車の左右へ配置していく。
「盾を構えろ! 負傷者は馬車の陰へ! 敵を近づけるな!」
ガレス殿の指示に従い、護衛隊が防御陣形を取る。
私は殿下へ向き直り、できるだけ落ち着いた声で伝えた。
「殿下、前後の道が塞がれています。しばらくはこの場で応戦することになりますが、必ずお守りいたします」
「……わかりました。セレナ殿、どうかあなたもお気をつけて」
殿下は静かに頷かれた。
その声には不安も感じられたけれど、取り乱した様子はない。
私は短く頷き返し、剣を抜いて馬車の外へ飛び出した。
❀ ❀ ❀
森の中から、黒い装束に身を包んだ男たちが姿を現した。
人数は、見える範囲だけでも20人ほど。剣や短弓を携え、木々の陰を利用しながら少しずつ距離を詰めてくる。
私はその動きを見て、すぐに違和感を覚えた。
彼らは離宮を襲った男たちと同じように、よく訓練されている。しかも、今回は明らかに私の剣を警戒していた。
私が前へ出ようとすると、敵は距離を取り、森の奥から矢を放ってくる。
「……あの女騎士に近づくな! 弓で足を止めろ!」
敵の指揮官らしき男が叫んだ。
私はすぐに馬車の陰へ身を寄せ、飛来する矢をやり過ごす。
正面から斬り合えば、負けるつもりはない。けれど、相手が距離を取り続ける以上、こちらから無理に攻め込むわけにはいかなかった。
私は盾を構える衛兵たちの位置を確認し、敵の動きに合わせて指示を出した。
「左側の衛兵は少し下がってください! 木々の陰から回り込もうとしている敵がいます!」
私の声に、衛兵たちがすぐに動く。
その直後、森から飛び出してきた男が、馬車の側面へ斬りかかろうとした。
私は地面を蹴り、一気に間合いを詰める。
敵の剣が振り下ろされるより早く、横から刃を差し込んで攻撃を逸らした。そのまま踏み込み、相手の手首を斬りつける。
男が武器を取り落としたところへ、剣の柄頭を胸元へ叩き込んだ。
敵は呻き声を漏らし、その場へ倒れ込む。
私はすぐに馬車の陰へ戻った。
次の瞬間、先ほどまで私が立っていた場所へ、数本の矢が突き刺さる。
(……私が前へ出るのを待っているのね)
敵は私の動きをよく見ている。
こちらが剣を振るえば、すぐに弓兵が狙ってくる。無理に敵を追えば、馬車の守りが薄くなる。
私は歯を食いしばりながら、周囲の状況を確認した。
ガレス殿は衛兵たちを率い、右側から迫る敵を食い止めている。
ノエルも必死に剣を振るい、負傷した衛兵を守っていた。
けれど、敵の数が多い。
こちらの人数は限られており、長期戦になれば不利になることは明らかだった。
❀ ❀ ❀
私は一度馬車の中へ戻り、殿下へ状況を報告した。
殿下は座席の下で身を低くしたまま、静かに私の声へ耳を傾けていらっしゃる。
「殿下、敵は20人以上。森の中から弓で攻撃しながら、少しずつ馬車へ近づいています。現在は護衛隊が食い止めておりますが、退路を塞がれているため、簡単には移動できません」
殿下は少し考え込まれたあと、静かに尋ねられた。
「……矢は、どの方向から多く飛んできますか?」
「左右の森からです。正面にも敵はいますが、ほかの場所に比べると数は少ないようです」
「……そうですか。では、正面にはまだ進めそうな場所が残されているのですね?」
私は一瞬、言葉に詰まった。
確かに、前方の倒木の脇には、人や馬が通れそうな隙間がある。
けれど、なぜ殿下はそんなことを尋ねられるのだろうか。
「はい。倒木の脇を抜ければ、森の奥へ続く細い道があります。ですが、馬車で通るのは難しいかと……」
「……敵が、わざとそこを残している可能性はありませんか?」
私ははっとした。
敵は前後の退路を塞いでいる。
それなのに、正面だけはわずかに通れる場所が残されている。
もしそれが、私たちを誘い込むための罠だとしたら。
「……その先に、さらに別の待ち伏せがあるかもしれませんね」
「ええ。敵が逃げ道を用意しているのなら、そこへ進むべきではありません」
殿下は静かに答えられた。
私はすぐに頷き、馬車の外へ向かう。
「ありがとうございます、殿下。しばらくはこの場で防御を固めます。どうか、そのままお待ちください」
「……ええ。あなたを信じています」
その言葉に、胸の奥が温かくなった。
私は短く頭を下げ、再び戦場へ戻った。
ガレス殿へ殿下の考えを伝えると、彼もすぐに理解してくれた。
「……なるほど。確かに、あの隙間は不自然ですな」
「ええ。無理に突破するより、ここで守りを固めた方がいいでしょう。敵の狙いは殿下です。馬車を動かさず、盾を中心に陣形を組み直してください!」
ガレス殿は力強く頷き、衛兵たちへ指示を出した。
私は剣を構え直し、再び敵の動きを見据えた。
❀ ❀ ❀
戦闘は、さらに激しさを増していった。
敵は弓兵による攻撃を続けながら、剣を持った男たちを次々と送り込んでくる。
私は馬車の前方に立ち、近づいてきた敵を迎え撃った。
正面から振り下ろされた剣を受け流し、相手の懐へ踏み込む。体勢を崩した男の肩を斬りつけ、続けて別の敵が突き出した刃をかわしながら足元を払う。
敵が倒れると同時に、私はすぐに馬車の陰へ戻った。
長く前へ出れば、弓兵の的になる。
私はそれを理解していたからこそ、必要以上に敵を追うことはしなかった。
そのとき、少し離れた場所から、ノエルの声が聞こえた。
「大丈夫ですか! すぐに安全な場所へ運びます!」
私は声の方へ視線を向けた。
ノエルが負傷した衛兵へ肩を貸し、馬車の陰へ移動させようとしている。
けれど、その姿を見つけた敵の弓兵が、彼へ狙いを定めていた。
ヒュンッ!
放たれた矢が、ノエルのすぐそばへ突き刺さった。
その瞬間、胸の奥が強く締めつけられた。
3年前の戦場。
私を守ろうとして命を落とした、17歳の従騎士。
あの日、彼もまた、誰かを守るために前へ出ていた。
(……また、あのときと同じことが……)
一瞬、目の前の光景が過去と重なった。
けれど、私はすぐに首を振った。
違う。
ノエルは、あのときの従騎士ではない。
そして、今の私はひとりではない。
私は大きく息を吸い、ノエルへ声を張り上げた。
「ノエル! 負傷者を連れて下がって! あなたまで無理をしてはいけないわ!」
ノエルは私の声に気づき、すぐに頷いた。
「はい、セレナ様! ガレス隊長、こちらをお願いします!」
ガレス殿が衛兵をひとり向かわせ、ノエルとともに負傷者を馬車の陰へ運び込む。
私はその様子を確認し、ようやく小さく息を吐いた。
彼らは、私がすべてを守らなければならない存在ではない。
互いに支え合い、ともに戦う仲間なのだ。
私は剣の柄を握り直し、目の前の敵へ向き直った。
❀ ❀ ❀
しかし、敵の攻撃は止まらなかった。
むしろ、こちらが防御を固めたことで、敵は一気に攻勢を強めてきた。
森の奥から一斉に矢が放たれ、盾を構える衛兵たちの動きが封じられる。
その隙に、剣を持った男たちが馬車へ向かって突撃してきた。
「全員、馬車から離れるな! 敵を通すな!」
ガレス殿が叫び、衛兵たちが必死に応戦する。
私は前方から迫る敵を迎え撃ち、剣を振るった。
ひとりの敵の攻撃を受け流し、そのまま相手の腕を斬りつける。続けて横から迫った男の剣を弾き、踏み込んで肩へ一撃を加えた。
けれど、その間にも別の敵が馬車の側面へ回り込んでいた。
私はすぐに方向を変え、そちらへ駆けつける。
男が扉へ剣を叩きつけようとした瞬間、私は横から斬りかかり、相手の武器を弾き飛ばした。
しかし、敵の攻撃はそれだけでは終わらない。
反対側からも別の男が現れ、馬車へ近づいてくる。
私は歯を食いしばり、再び走った。
(……数が多すぎる……!)
敵を倒しても、次々と新しい男たちが現れる。
こちらの衛兵たちも疲労が溜まり、少しずつ動きが鈍くなっていた。
ガレス殿は左腕を負傷しながらも、必死に隊列を維持している。
ノエルも額から血を流し、それでも剣を握っていた。
私はそんな仲間たちの姿を見ながら、胸の奥に焦りが広がるのを感じた。
このままでは、いつか守りが崩れる。
けれど、退路は塞がれている。
殿下を連れて森へ逃げ込むこともできない。
私は一瞬だけ馬車へ視線を向けた。
そのときだった。
バキンッ!
馬車の側面から、木の割れるような音が響いた。
敵のひとりが斧で馬車の扉を叩き壊そうとしていたのだ。
私はすぐに駆け寄り、男へ斬りかかった。
相手は慌てて斧を構えたが、私の剣を受け止めきれず、武器を弾き飛ばされる。
私はそのまま踏み込み、男を地面へ叩き伏せた。
けれど、その直後、馬車の反対側から鋭い叫び声が響いた。
「……殿下を狙え!」
私ははっとして振り返った。
黒装束の男たちが、馬車の後方へ回り込んでいる。
その中心には、ほかの者たちとは明らかに違う動きをする男がいた。
敵の指揮官だ。
❀ ❀ ❀
私はすぐに馬車の後方へ向かった。
敵の指揮官は長剣を手に、衛兵たちを次々と押し退けている。
私はその前へ立ちはだかり、剣を構えた。
「……ここから先へは、行かせません!」
男は低く笑い、剣を構え直した。
「なるほど。お前が例の女騎士か。確かに、腕は立つようだな」
私は答えず、相手の動きを見据えた。
男は一歩踏み込み、鋭い斬撃を放ってくる。
私は剣を受け流し、すぐに反撃へ移った。
相手は私の剣を避けながら、巧みに距離を取る。
その動きは、これまでの敵とは明らかに違っていた。
私は一度間合いを取り、呼吸を整える。
その瞬間、横から別の敵が斬りかかってきた。
私はとっさに剣を振り、相手の攻撃を弾く。
けれど、そのわずかな隙を、指揮官は見逃さなかった。
男は私の横をすり抜け、馬車へ向かって走り出した。
「……しまった!」
私はすぐに追いかけた。
男は馬車の壊れかけた扉へ手を伸ばし、強引に引き開けようとする。
中には、ルシアン殿下がいらっしゃる。
私は必死に距離を詰めた。
男が扉をこじ開け、長剣を振り上げる。
その先には、身を低くした殿下の姿があった。
「殿下っ!」
私は叫び、馬車の前へ飛び込んだ。
剣を構え、敵の攻撃を受け止めようとする。
けれど、無理な体勢で踏み込んだせいで、十分に力が入らない。
男の長剣が、頭上から振り下ろされようとしていた。
その瞬間、3年前の戦場が脳裏をよぎった。
私を守ろうとして命を落とした、あの従騎士。
あの日、私は彼を守れなかった。
けれど、今度は違う。
私はもう、誰かを失いたくない。
私は歯を食いしばり、剣を握り直した。
(……今度こそ、守る!)
そして、敵の刃が振り下ろされた。




