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第16話 王子の決意

 離宮を襲った武装集団が撃退され、ようやく夜が明けようとしていた。

 私はルシアン殿下の前に立ち、先ほど告げられた言葉の意味を考えていた。

 いつまでも、この離宮で待っているわけにはいかない。

 殿下は確かに、そうおっしゃったのだ。


「……殿下。先ほどの決心とは、いったいどのようなことでしょうか?」


 私が尋ねると、殿下は少しだけ考えるように沈黙された。

 そして、いつもの穏やかな声で答えられた。


「私は、陛下に直接お話ししようと思います」


 その言葉に、私は思わず目を見開いた。

 国王陛下に、直接。

 つまり、殿下は王宮へ向かうおつもりなのだ。


「……王宮へ、お戻りになるということでしょうか?」

「ええ。今回の襲撃で、私の調べていることを快く思わない方がいる可能性が高くなりました。これ以上、黙っているわけにはいきません」


 殿下は静かに頷かれた。

 私は胸の奥に緊張が走るのを感じた。

 離宮を襲った男たちは、明らかに訓練された者たちだった。しかも、その持ち物からは王宮の通行許可証の一部が発見されている。

 もし王宮内部の人間が関わっているのなら、殿下が直接王宮へ向かうことは、あまりにも危険だった。


「……殿下。お気持ちは理解しております。ですが、今すぐ王宮へ向かうのは危険すぎます。今回の襲撃が失敗した以上、敵が再び動く可能性もあります」


 私はできるだけ落ち着いた声で伝えた。

 殿下は私の言葉を静かに受け止め、ゆっくりと頷かれる。


「ええ。危険であることは、私も理解しています。ですが、だからといって、何もしないわけにはいきません」


 殿下は机の上に置かれた書類へ手を伸ばされた。

 そこには、王都の穀物備蓄に関する調査資料がまとめられている。


「この不正が事実なら、穀物が届かずに苦しんでいる方々がいるはずです。私が黙っていれば、しばらくは何も起きないのかもしれません。ですが、それでは、その方々を見捨てることになります」


 私は言葉を失った。

 殿下は、ご自分の命を狙われたばかりだというのに、遠く離れた土地で暮らす人々のことを考えていらっしゃる。

 その優しさと強さに、胸の奥が熱くなった。


「……陛下へ使者を送ることは、できないのでしょうか?」

「もちろん、それも考えました。ですが、証拠が陛下のもとへ届く前に握り潰される可能性があります。それに、私自身が説明しなければ、十分に伝わらないこともあるでしょう」


 殿下は静かに答えられた。

 私はその言葉を聞きながら、考え込んだ。

 確かに、王宮の中に敵がいるのなら、使者を送るだけでは不十分かもしれない。

 けれど、殿下を危険な場所へ向かわせることには、どうしても抵抗があった。

 私は殿下の護衛だ。

 殿下の安全を守ることが、何より大切な務めなのだから。

 しかし、殿下の意志を無視して、ただ危険から遠ざけることが、本当に正しいのだろうか。

 私はしばらく考えたあと、ゆっくりと顔を上げた。


「……わかりました。では、私が必ず王宮までお連れします」


 殿下は少し驚いたように顔を向けられた。

 私はまっすぐに続ける。


「殿下が国のために行動なさるのであれば、私はそのお力になりたいのです。危険があるのなら、私ができる限り取り除きます。どうか、私に護衛をお任せください」


 殿下はしばらく黙っていらっしゃった。

 そして、穏やかに微笑まれた。


「……ありがとうございます、セレナ殿。あなたがいてくださることが、私には何より心強いのです」


 その言葉に、私は胸の奥が温かくなるのを感じた。

 私は深く頭を下げ、静かに答えた。


「……光栄です、殿下」


❀ ❀ ❀


 その日の午後、私はガレス殿を呼び、王宮への移動計画を立てることにした。

 離宮の執務室には、周辺の街道を記した地図が広げられている。

 ガレス殿は殿下の決意を聞くと、険しい表情を浮かべた。


「……襲撃を受けた直後に王宮へ向かわれるとは、正直なところ、危険が大きすぎます」

「ええ。私も同じ考えです。ですが、殿下のご意志は固いようです。ならば、私たちは最善の護衛計画を立てるしかありません」


 私がそう答えると、ガレス殿は静かに頷いた。

 私たちは地図を確認しながら、移動経路を検討した。

 通常の街道は人通りが多く、移動しやすい反面、襲撃者が紛れ込む可能性もある。一方、森を抜ける近道は距離こそ短いものの、周囲の見通しが悪い。

 私は複数の経路を比較し、できるだけ開けた場所を通り、途中で退避できる地点を確保しやすい道を選ぶことにした。


「出発は明日の早朝にしましょう。王族の紋章が目立たない馬車を使い、護衛の人数も必要な範囲に絞ります」

「承知しました。出発時刻と経路を知る者も、最低限にしておきます」


 ガレス殿はそう言いながら、地図の上にいくつか印をつけた。

 今回の護衛には、私とガレス殿、ノエル、そして精鋭の衛兵数名が同行する。

 離宮には別の衛兵たちを残し、マーサとリネットを含む使用人たちの安全を確保することになった。

 私はひとつずつ確認しながら、必要な指示を出していく。


「途中で不審な動きがあれば、無理に進まず、すぐに退避できるようにしてください。馬車の前後には護衛を配置し、連絡が途切れないようにしましょう」

「了解しました。万が一の際は、私が後方を守ります」


 ガレス殿は力強く頷いた。

 そのとき、部屋の扉が軽く叩かれた。


「失礼します! ノエルです!」


 ノエルが元気よく入ってくる。

 彼は私たちの前へ立つと、少し緊張した表情で頭を下げた。


「セレナ様! 今回の護衛、俺も同行させていただけるんですよね?」

「ええ。その予定よ。ただし、危険な任務になる可能性があるわ。決して無理はしないこと。それが条件よ」


 私がそう告げると、ノエルは真剣な表情で頷いた。


「はい! 今度こそ、俺もセレナ様のお役に立ちます! 殿下のことも、必ずお守りします!」


 その言葉に、私は思わず微笑んだ。

 ノエルはまだ若いけれど、以前よりもずっと頼もしくなっている。

 離宮が襲撃された夜も、彼は恐れることなく衛兵たちを率い、殿下の避難と通路の防衛に尽力してくれた。

 私はそんな彼の成長を、心から嬉しく思っていた。


「ありがとう、ノエル。けれど、ひとりで何でも背負おうとしないで。私たちは仲間なのだから、困ったときは必ず周囲を頼るのよ」

「……はい! わかりました!」


 ノエルは嬉しそうに返事をした。

 私はその姿を見ながら、胸の奥に小さな温かさが広がるのを感じた。

 かつての私は、誰かを守るためには、自分ひとりが強くならなければならないと思っていた。

 けれど、今は違う。

 仲間を信じ、力を合わせることも、騎士として大切なことなのだと理解している。

 私はガレス殿とノエルへ改めて頷き、最後の確認を始めた。


❀ ❀ ❀


 出発前夜。

 私はすべての準備を終えたあと、ルシアン殿下の部屋を訪れた。

 殿下は窓際の椅子に座り、静かに夜の空気を感じていらっしゃった。

 私が入室を告げると、穏やかに微笑まれる。


「セレナ殿。準備は整いましたか?」

「はい、殿下。護衛の配置と移動経路の確認は完了しております。明日の早朝、予定どおり出発できます」


 殿下は静かに頷かれた。

 私はそのまま、明日の移動について簡単に説明した。

 護衛の人数や馬車の配置、途中で異常があった場合の対応などを伝えると、殿下はひとつずつ確認してくださった。

 すべての説明が終わると、殿下は少しだけ申し訳なさそうに微笑まれた。


「……あなたには、危険なことばかりお願いしていますね」


 その言葉に、私は思わず首を振った。


「いいえ、殿下。どうか、そのようにお考えにならないでください。私は、殿下のおそばにいることを望んでおります」


 殿下は少し驚いたように顔を上げられた。

 私は自分の言葉に少し照れくさくなりながらも、続けた。


「もちろん、護衛としての務めもございます。ですが、それだけではありません。私は、殿下が大切にしていらっしゃるものを、私も守りたいのです」


 言い終えた瞬間、胸が高鳴った。

 少しだけ、踏み込みすぎたかもしれない。

 けれど、嘘ではなかった。

 私は殿下のことが好きだ。

 だからこそ、殿下が望む未来のために、できる限りのことをしたかった。

 殿下はしばらく黙っていらっしゃったあと、穏やかに微笑まれた。


「……ありがとうございます。あなたがいてくださることが、私には何より心強いのです」


 その言葉に、私は胸の奥が温かくなるのを感じた。

 私は少しだけ勇気を出して、静かに告げた。


「殿下。王宮で何が起きようとも、私はあなたの味方です」


 殿下はゆっくりと手を伸ばされた。

 私はその手を取り、そっと握り返す。

 温かな手の感触に、胸が高鳴った。


「……ありがとうございます、セレナ殿。私も、あなたを信じています」


 殿下の声は、いつもと変わらず優しかった。

 けれど、その言葉には、確かな信頼が込められているように感じられた。

 私はその手を握りながら、静かに微笑んだ。

 この方の隣に立てることが、こんなにも嬉しい。

 そう思える自分が、少しだけ不思議だった。


❀ ❀ ❀


 自室へ戻った私は、明日のために剣の手入れをしていた。

 刃を丁寧に拭い、傷や歪みがないことを確認する。長年繰り返してきた作業だけれど、こうして剣に向き合う時間は、いつも心を落ち着かせてくれた。

 私はふと、3年前の戦いを思い出した。

 あの日、私を守って命を落とした17歳の従騎士。

 彼の最期の言葉は、今でも忘れられない。

 私は長い間、彼を守れなかったことを悔やみ続けていた。

 けれど、ルシアン殿下にすべてを打ち明けたあの日から、少しずつ考え方が変わってきた。

 失った命を忘れずに生きていくこと。

 そして、今そばにいる人たちを大切にすること。

 それも、騎士としての務めなのだと思えるようになった。

 私は剣の柄に結ばれた深紅のリボンへそっと触れた。

 殿下が贈ってくださった、大切なもの。

 そのリボンを見るたびに、私は自分がひとりではないことを思い出す。

 ガレス殿も、ノエルも、離宮の皆もいる。

 私は彼らを信じ、力を合わせて進んでいけばいいのだ。


(……今度は、ひとりで全部を背負おうとしない)


 私は静かに息を吐き、剣を鞘へ収めた。

 明日は、危険な一日になるかもしれない。

 けれど、恐れてばかりはいられない。

 私は灯りを消し、明日に備えて休むことにした。


❀ ❀ ❀


 翌朝。

 まだ空が薄暗い時間帯に、離宮の門前へ馬車が用意されていた。

 ガレス殿は護衛隊の最終確認を行い、ノエルも緊張した表情で馬に跨っている。

 私は周囲の様子を確かめながら、殿下が乗る馬車へ向かった。

 すると、門のそばにマーサとリネットの姿が見えた。

 2人は私たちを見送るため、早朝から外へ出てきてくれたらしい。


「セレナ様……どうか、皆さんで無事に帰ってきてくださいね」


 リネットが心配そうに声をかけてきた。

 私は微笑み、彼女の肩へそっと手を置いた。


「ええ。必ず帰ってくるわ。だから、あなたたちも無理をしないでね」

「はい……! お帰りをお待ちしております!」


 リネットは力強く頷いた。

 マーサも静かに頭を下げ、穏やかな声で言った。


「殿下のこと、どうかよろしくお願いいたします。こちらのことは、私たちにお任せください」


 私は深く頷き、2人へ感謝を伝えた。

 やがて、ルシアン殿下が衛兵に付き添われて姿を現された。

 私はすぐに歩み寄り、殿下を馬車へ案内する。

 殿下は白い杖で足元を確かめながら、私の腕に軽く手を添えられた。


「……皆さん、行ってまいります。留守の間、どうかよろしくお願いいたします」


 殿下がそうおっしゃると、マーサとリネットは深く頭を下げた。

 私は殿下が馬車へ乗り込むのを手伝い、自分もその隣へ座った。

 やがて、御者が合図を送り、馬車がゆっくりと動き始める。

 離宮の門が遠ざかり、朝靄の向こうへ消えていく。

 私は窓の外を眺めながら、静かに息を整えた。

 これから向かうのは、王宮。

 殿下が国王陛下へ直接、不正の疑いを訴えるための旅だ。

 その道中に何が待っているのか、今の私にはわからない。

 けれど、必ず殿下を無事にお連れしなければならない。


「……セレナ殿」


 隣から、殿下の穏やかな声が聞こえた。

 私は顔を向ける。


「はい、殿下」

「これから先、何が待っているのでしょうね」


 殿下は少しだけ微笑まれた。

 私はその横顔を見つめ、静かに答えた。


「何が待っていようとも、私は殿下のおそばにおります」


 殿下は嬉しそうに微笑まれた。

 私はその表情を見ながら、胸の奥が温かくなるのを感じた。

 馬車はゆっくりと街道を進み、やがて森に囲まれた道へ差しかかった。

 朝の光が木々の間から差し込み、地面に細かな影を落としている。

 私は窓の外を眺めながら、周囲の様子を確認していた。

 そのとき、ふと違和感を覚えた。

 森の中が、妙に静かだったのだ。

 普段なら聞こえてくるはずの鳥の声が、ほとんど聞こえない。

 私は眉を寄せ、前方へ視線を向けた。

 すると、道の先に、不自然に倒れた木が見えた。

 街道を塞ぐように横たわっている。

 その光景を見た瞬間、背筋に冷たいものが走った。


(……まさか!)


 私は即座に身を起こし、御者へ叫んだ。


「……御者、馬車を止めてください!」


 その直後だった。

 ヒュンッ!

 森の奥から、鋭い弓弦の音が響いた。


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