第15話 離宮を襲う影
離宮の北側で不審な足跡が発見されてから、2日が経った。
あれ以来、私たちは夜間の巡回を増やし、森に面した塀の警備を強化していた。今のところ侵入者の姿は確認されていないものの、警戒を解くにはまだ早い。
その夜も、私は巡回を終えたあと、警備室でガレス殿と報告書を確認していた。
「北側の監視所から、妙な報告が上がっています。森の鳥や獣が、夕方からやけに騒がしかったそうです」
ガレス殿は地図を広げ、北側の塀を指さした。
私はその場所を確認しながら、昼間に見回った森の様子を思い出す。塀の外側には背の高い木々が密集しており、身を隠そうと思えば難しくない場所だった。
「……動物が騒いでいるだけなら問題ありませんが、人の気配に反応している可能性もありますね。北側の衛兵には、引き続き警戒するよう伝えてください」
「承知しました。今夜は私も、交代で巡回に出るつもりです」
ガレス殿が頷いた、そのときだった。
カン、カン、カンッ!
夜の静寂を切り裂くように、警鐘が鳴り響いた。
私とガレス殿は同時に顔を上げる。警鐘が聞こえてきたのは、北側の監視所がある方角だった。
直後、警備室の扉が勢いよく開かれた。
「セレナ様! ガレス隊長! 北側の塀から武装した男たちが侵入しました! 人数は少なくとも10名以上です!」
駆け込んできた衛兵は、息を切らしながら報告した。
私は即座に立ち上がり、壁に立てかけていた剣を腰へ下げる。
「ガレス殿、衛兵を集めてください。私は北側へ向かいます。殿下の護衛には必ず複数人を配置し、使用人たちも安全な場所へ避難させてください!」
「承知しました! ノエル、お前は殿下のもとへ走れ! 避難が完了したら報告を寄越せ!」
「はいっ!」
ノエルが廊下へ飛び出していく。
私はガレス殿と短く頷き合い、北側の中庭へ向かって走り出した。
警鐘はまだ鳴り続けている。遠くからは金属のぶつかる音と、衛兵たちの怒号が聞こえてきた。
私は剣の柄を握り直し、足を速めた。
(……来たのね)
不審な足跡が見つかったときから、こうなる可能性は考えていた。
けれど、実際に襲撃が起きた以上、もう迷っている時間はない。
私には、守らなければならない人たちがいるのだから。
❀ ❀ ❀
北側の中庭へ駆けつけると、すでに激しい戦闘が始まっていた。
黒い装束に身を包んだ男たちが、衛兵たちと剣を交えている。侵入者は顔を布で隠し、剣や短弓を携えていた。
人数は、見える範囲だけでも12人ほど。
衛兵たちは塀から建物へ続く通路を守っていたが、敵の動きは予想以上に洗練されていた。複数人で連携し、ひとりの衛兵へ攻撃を集中させている。
私は状況を確認すると、迷わず剣を抜いた。
「全員、無理に前へ出ないでください! 建物への侵入を防ぐことを優先します!」
私の声に、衛兵たちが振り返った。
その直後、ひとりの侵入者が衛兵の懐へ踏み込み、剣を振り下ろそうとする。
私は地面を蹴り、一気に距離を詰めた。
敵の剣が衛兵へ届く寸前、横から刃を差し込んで軌道を逸らす。そのまま踏み込み、相手の手首を狙って剣を振るった。
男が武器を取り落としたところへ、柄頭を腹部へ叩き込む。
敵は呻き声を漏らし、その場に崩れ落ちた。
「セレナ様……!」
「下がって、負傷者の手当てを! ここは私が引き受けます!」
私は衛兵へ指示を出し、すぐに次の敵へ向き直った。
黒装束の男が2人、左右から同時に迫ってくる。
私は右側の男が振るった剣を受け流し、その勢いを利用して身体を半回転させた。左側から突き出された刃をかわしながら相手の腕を斬りつけ、続けて右側の男の足元を払う。
体勢を崩した男が倒れるより早く、私は剣の柄でその顎を打ち抜いた。
2人が地面へ倒れる。
その光景を見た侵入者のひとりが、驚いたように叫んだ。
「なんだ、この女……! 聞いていた話と違うぞ!」
「ここは王家の離宮です。これ以上の狼藉は許しません」
私は剣を構え直し、静かに告げた。
敵の動きが一瞬止まる。
けれど、すぐに3人の男が連携して襲いかかってきた。
正面からの斬撃を受け流し、側面へ回り込もうとした男の足を払う。さらに、背後から迫った敵の剣を振り返りざまに弾き、間合いへ踏み込んで肩を斬りつけた。
敵は苦痛の声を上げ、後退する。
私は深追いせず、衛兵たちの前へ戻った。
ここで重要なのは、敵を倒すことではない。
建物への侵入を防ぎ、殿下と離宮の人々を守ることだ。
私は周囲を見回し、敵の動きを注意深く観察した。
すると、妙なことに気づいた。
侵入者たちは、衛兵との戦闘を長引かせようとしているように見える。
こちらを押し切るほどの人数を投入しているわけではないのに、一定の距離を保ちながら攻撃を続けているのだ。
(……まさか、これは……)
私ははっとして、離宮の東側へ視線を向けた。
❀ ❀ ❀
「……ガレス殿!」
ちょうど増援を率いて到着したガレス殿へ、私は声をかけた。
ガレス殿は剣を抜いたまま、私のもとへ駆け寄ってくる。
「セレナ殿! 状況は?」
「北側の敵は囮かもしれません! 彼らは建物へ侵入するより、こちらの戦力を引きつけることを優先しています!」
ガレス殿の表情が険しくなった。
「……では、本命は別の場所に?」
「おそらく。東側の通用口を確認してください。あちらは使用人や物資の搬入に使う場所です。警備が手薄になっていれば、侵入される可能性があります!」
ガレス殿はすぐに衛兵へ伝令を命じた。
私は北側の敵をもう一度見回し、残された人数を確認する。
こちらはガレス殿の増援によって、十分に持ちこたえられる状態になっていた。
「ガレス殿、ここはお任せします。私は殿下のもとへ向かい、東側の状況を確認します!」
「承知しました! こちらは必ず守り抜きます!」
私は力強く頷き、建物へ向かって走り出した。
廊下へ入ると、使用人たちが衛兵の誘導で避難しているところだった。マーサが落ち着いた声で指示を出し、リネットも年配の使用人へ肩を貸している。
私は彼女たちへ声をかけ、安全な場所へ移動するよう伝えた。
そして、殿下が避難している内側の部屋へ向かう。
扉の前には、ノエルを含む数名の衛兵が配置されていた。
「セレナ様! 殿下はご無事です! こちらへ避難していただいております!」
ノエルの報告に、私は少しだけ安堵した。
けれど、まだ安心するわけにはいかない。
私は扉を開き、殿下のもとへ歩み寄った。
「殿下、ご無事で何よりです。現在、北側の中庭で敵と交戦中です。ですが、別働隊が東側から侵入している可能性があります」
ルシアン殿下は椅子に座り、落ち着いた様子で私の報告を聞いていらっしゃった。
その表情には、恐怖よりも状況を理解しようとする真剣さが浮かんでいる。
「……東側の通用口ですか。セレナ殿、あちらは普段、どのような方が使う場所でしょうか?」
「主に使用人や物資の搬入に利用されています。建物の奥へ続く通路もございますが……」
私は説明しながら、離宮の構造を思い浮かべた。
すると、殿下が静かに頷かれた。
「東側の通用口から内側へ進むには、必ず石造りの細い通路を通るはずです。あそこなら、大勢で一度に進むことはできません」
「……確かに、そのとおりです」
私は思わず目を見開いた。
殿下は幼いころからこの離宮で暮らしていらっしゃる。目が見えなくても、建物の構造や通路の位置をよく把握しておられるのだ。
「その通路で迎え撃てば、敵の人数を抑えられるのではありませんか?」
「はい。非常に有効な方法です。殿下、ありがとうございます!」
私はすぐにノエルへ指示を出した。
「ノエル、衛兵を連れて東側の石造りの通路へ向かってください! 敵が侵入していた場合は、通路の入口で足止めします!」
「はいっ! お任せください!」
ノエルが衛兵たちを率いて走り出す。
私は殿下へ向き直り、深く頭を下げた。
「殿下、どうかこちらでお待ちください。必ず、敵を食い止めてまいります」
「……ええ。ですが、どうか無理はなさらないでください」
殿下は静かにおっしゃった。
私はその言葉に微笑み、剣の柄へ手を添えた。
「ご安心ください。私は、殿下の騎士ですから」
❀ ❀ ❀
東側の石造りの通路へ到着すると、すでにノエルたちが敵と交戦していた。
狭い通路には黒装束の男たちが数名入り込み、衛兵たちを押し退けようとしている。
けれど、通路の幅は大人が2人並ぶのがやっとという程度だった。敵は人数を活かせず、前方の者が倒れると後続も足を止めざるを得ない。
私はすぐに前衛へ加わった。
「ノエル、右側をお願いします! 無理に追わず、通路を守ってください!」
「はい、セレナ様!」
私は正面から迫ってきた敵の剣を受け流し、そのまま相手の懐へ踏み込んだ。
狭い場所では、大きく剣を振り回すことはできない。私は相手の手首を狙って短く刃を走らせ、武器を落としたところへ肩を打ち込んだ。
男が後ろへ倒れ込み、後続の敵が一瞬動きを止める。
私はその隙を逃さず、次の敵へ踏み込んだ。
剣を弾き、足を払い、体勢を崩したところへ柄頭を叩き込む。
敵は次々と倒れていった。
けれど、そのときだった。
「煙だ! 全員、下がれ!」
敵のひとりが叫び、小さな筒を床へ投げつけた。
直後、白い煙が勢いよく噴き出し、通路を覆い始める。
私はとっさに口元を腕で覆い、衛兵たちへ後退を指示した。
「全員、無理に追わないでください! 入口を塞ぎ、敵を通さないように!」
煙の向こうから、複数の足音が聞こえてくる。
私は壁際へ移動し、周囲の位置を確かめた。
すると、ひとつだけ、ほかとは違う方向へ向かう足音があった。
通路の奥。
殿下が避難している部屋へ続く方角だった。
(……しまった!)
私はすぐに駆け出した。
煙の中では視界が悪く、敵の姿を正確に捉えることはできない。けれど、足音と通路の位置から、相手が内側へ進もうとしていることはわかった。
私は壁に沿って走り、煙の薄い場所へ抜け出す。
すると、前方に黒装束の男の背中が見えた。
男はすでに、殿下のいる部屋へ続く廊下へ入り込んでいた。
「止まりなさい!」
私が叫ぶと、男は振り返りざまに短剣を投げつけてきた。
私は剣でそれを弾き、さらに距離を詰める。
男は扉の前に立つ衛兵へ斬りかかろうとしていた。
私は地面を強く蹴り、男と衛兵の間へ割って入った。
金属音が響き、刃と刃が激しくぶつかる。
私は相手の剣を受け止め、そのまま力を込めて押し返した。
「殿下には、指一本触れさせません!」
私は踏み込み、相手の剣を外側へ弾き飛ばす。
男が体勢を崩した瞬間、私はその腕を斬りつけ、続けて柄頭を胸元へ叩き込んだ。
男は呻き声を漏らし、その場へ崩れ落ちた。
私はすぐに剣を構え直し、周囲を確認する。
ほかに敵の姿はない。
扉の前の衛兵も、幸い無事だった。
「……セレナ様! ありがとうございます!」
衛兵が安堵したように声を上げた。
私は静かに頷き、倒れた男を拘束するよう指示した。
そのとき、扉の向こうから殿下の声が聞こえてきた。
「……セレナ殿。ご無事ですか?」
私はすぐに答えた。
「はい、殿下。敵は制圧いたしました。どうかご安心ください」
しばらくして、扉の向こうから穏やかな声が返ってきた。
「……あなたなら、必ず守ってくださると信じていました」
その言葉に、胸の奥が熱くなった。
私は剣を握り直し、静かに微笑んだ。
「……ありがとうございます、殿下」
私はそのまま扉の前へ立ち、ほかの敵が近づいてこないか警戒を続けた。
やがて、遠くからガレス殿の声が聞こえてくる。
北側の敵も、無事に制圧されたらしい。
私はようやく、小さく息を吐いた。
❀ ❀ ❀
夜明け前、離宮の襲撃は完全に収束した。
侵入者たちは撃退され、数名を生け捕りにすることができた。衛兵たちには負傷者が出たものの、幸い命を落とした者はいなかった。
私は負傷者の手当てが行われていることを確認し、ガレス殿から報告を受けていた。
「……セレナ殿。捕らえた男たちの持ち物から、妙なものが見つかりました」
ガレス殿が差し出したのは、小さく折り畳まれた紙片だった。
私はそれを受け取り、慎重に広げる。
紙には、王宮の通行許可証に使われる紋章の一部が残されていた。
私は思わず眉を寄せた。
「……これは、王宮の?」
「はい。正規のものか偽造品かは、まだわかりません。ですが、普通の盗賊が持っているとは考えにくいものです」
私は紙片を見つめながら、胸の奥が冷たくなるのを感じた。
王宮の通行許可証。
そして、ルシアン殿下が調べていた不正。
この2つが無関係だとは、どうしても思えなかった。
「……捕らえた男たちは、何か話しましたか?」
「いいえ。何を聞いても口を割ろうとしません。相当な訓練を受けているようです」
私は静かに頷いた。
敵は単なる盗賊ではない。
誰かの命令を受け、明確な目的を持って離宮へ侵入してきたのだ。
私は紙片を丁寧に畳み、殿下へ報告するために歩き出した。
❀ ❀ ❀
ルシアン殿下は、避難先の部屋で静かに待っていらっしゃった。
私は襲撃が収束したことを伝え、負傷者の状況や捕らえた男たちのことを報告した。
殿下はひとつずつ確認しながら、真剣な表情で話を聞いてくださった。
「……そうですか。皆さんが無事で、本当によかった」
殿下は安堵したように息を吐かれた。
私は続けて、ガレス殿が発見した紙片について説明した。
王宮の通行許可証に使われる紋章の一部が残されていたこと。
そして、捕らえた男たちが一切口を割ろうとしないこと。
殿下はしばらく黙って考えていらっしゃった。
「……やはり、王宮の中に、私を邪魔だと思っている方がいるようですね」
その声は穏やかだったけれど、どこか寂しさを含んでいるように感じられた。
私は殿下の横顔を見つめ、静かに頷いた。
「ですが、まだ誰が命じたのかはわかりません。今は慎重に動きましょう」
「ええ。あなたのおっしゃるとおりです」
殿下は小さく頷かれた。
私はその表情を見ながら、改めて決意を固めた。
殿下は、王宮から離れたこの場所で、国のためにできることを続けていらっしゃる。
それなのに、その命を狙う者がいる。
私はそのことが、どうしても許せなかった。
「……殿下。私は、これからも必ずあなたをお守りします」
私がそう告げると、殿下は穏やかに微笑まれた。
「ありがとうございます、セレナ殿。ですが、どうかご自分のことも大切になさってください」
その言葉に、私は少しだけ胸が熱くなった。
私は静かに頷き、殿下のそばへ歩み寄った。
窓の外では、夜明けの光が少しずつ空を染め始めている。
長い夜が終わろうとしていた。
けれど、これですべてが終わったわけではない。
むしろ、ここからが本当の始まりなのかもしれなかった。
私は剣の柄に結ばれた深紅のリボンへそっと触れ、静かに息を吸った。
(……この方を守るためなら、私は何度でも剣を取る)
3年前、私は大切な命を守れなかった。
あのときの後悔は、今も胸の奥に残っている。
けれど、今の私は、もうひとりではない。
私を信じてくださる方がいる。
私とともに戦ってくれる仲間たちがいる。
だからこそ、私はこれからも前へ進めるのだ。
私は殿下の穏やかな横顔を見つめ、静かに微笑んだ。
そのとき、殿下がふと顔を上げられた。
「……セレナ殿。今回の件で、私もひとつ決心がつきました」
私は少し驚き、殿下を見つめた。
「……決心、でございますか?」
「ええ。いつまでも、この離宮で待っているわけにはいきませんから」
殿下は静かに微笑まれた。
けれど、その声には、これまでにない強い意志が込められていた。
私はその言葉を聞きながら、胸の奥に小さな緊張が走るのを感じていた。




