7話 意識していないし、するつもりもない
翌朝
アルターナは鏡の前で、いつもより三回多く髪を梳かした。
「……べつに」
誰も聞いていないのに呟いた。
「べつに、いつもと同じよ」
そう、いつもと同じ朝だ。
今日も変わらず自分のお気に入りの髪の毛は枝毛ひとつ生えてな…………あった。
ヘアオイルを持ってきた侍女が「本日もエスカディオ公爵家へ?」と朗らかに問うてきて、アルターナは「そうよ」とだけ答えた。
それ以上は言わない。
言う必要がないからだ。
昨日の談話室のことなんて、ちっとも引きずっていないし、ネオリムが途中で言葉を飲み込んだことも、視線が合ってすぐ逸らしたことも、別に何とも思っていない。
——絶対、絶対に、思っていない。
「お嬢様?」
「なんでもないわ」
馬車に乗り込む前に、アルターナはもう一度だけ髪を梳かした
〜〜〜
エスカディオ公爵家の談話室は、今日も紙束に占領されていた。
そう、昨日の続きである
魔道具の素材一覧、加工工程、代替案の検討…
問題は山積みで、片づけるたびに新しい厄介事が顔を出す。
「おはようございます!」
リシュアが今日もぴんと背筋を伸ばして出迎えてくれた。
「おはよう」
「アシュリーは朝から書庫に行ってます。素材の文献を探すって」
「書庫?」
「ネオリム様に許可を貰ったみたいです」
ネオリム、という名前で、アルターナは余計なことを思い出してしまった
昨日のあの短い会話。
血縁検査の話。
そして、言いかけて止まった——
「アルターナ」
扉の向こうから声がした。
ネオリムが入ってくる。
今日も整った女顔をしている。朝から実に腹立たしい。
「おはよう」
「……おはよう」
短い挨拶。
昨日と何も変わらない。
なのに、なぜか空気が昨日の続きみたいだった。
「血縁鑑定士が昼過ぎに来る」
「そう」
「午前中は素材の整理を続ける。昨日の続きだ」
「分かったわ」
「……」
「……」
リシュアが二人を見て、何か言いたそうな顔をして、口を閉じた。
実に賢明な判断である
〜〜〜
午前中の作業は、順調と言えば順調だった。
…問題が増えるという意味で。
「この加工技術、今の時代には存在しないかも」
リシュアが鉛筆の先を噛みながら言う
「というか、おそらく存在しないです。でも似た技術ならあるので……あ、でもそれだと精度が落ちて」
「どのくらい落ちる?」
ネオリムが問う。
「えっと、理論上は十五パーセントくらい……」
「許容範囲か?」
「ぎりぎり、かも。でもリスクはあります」
「じゃあ他に手は?」
「素材の純度を上げれば、技術の精度を少し補えるかもしれないんですけど……」
「純度を上げる精製方法は?」
リシュアがまた別の紙を取り出す。
そのやり取りを聞きながら、アルターナは代替素材の一覧を手に取った。
南部産の鉱石。
性質の近いもの。記録に残っているものだけで三種類。魔道具に使えるかは実物を見なければ判断できない。
「ねえ」
アルターナがネオリムへ声をかけた。
「この南部の鉱石、実際に取り寄せるなら伝手はある?」
ネオリムが顔を上げる。
「南部の商人なら、父の知り合いに数人いる」
「手紙は書ける?」
「書ける。ただし、何に使うかは言えないから、用途を上手く誤魔化す必要があるが」
「そこは私が考えるわ。どういう名目なら自然か分かるもの」
ネオリムは少し目を細めた。
「……社交界の知識、役に立つな」
「褒めてる?」
「事実を言っただけ」
「……ならお互い様ね」
その言葉に、ネオリムがわずかに眉を上げた。
珍しいことを言う、とでも思ったのだろう。
アルターナ自身も、少しだけそう思った。
——いつもなら、もっと意地悪く返すのに。
「あ〜!二人が普通に話してます!」
リシュアが目を輝かせた。
「喧嘩なしで!」
「普通に話すくらいするわよ」
「でもいつも途中で口論になるじゃないですか!」
「今日は機嫌がいいのよ」
「へえ」
ネオリムが面白そうに言った。
「そうなんだ」
「……なによ」
「別に」
「なによその顔は」
「顔は何もしてない」
「今絶対何か思ったでしょう」
「思ってないよ」
「思ったわよね?」
「何を思ったと?」
「それを聞いてるのよ!」
「つまり、僕が何を思ったか気になってるんだ」
「——っ、そういう言い方をするんじゃない!」
リシュアがにこにこしながら紙に何かを書き始めた。
…少しにやついていたのは、見なかったことにした
〜〜〜
昼を少し過ぎた頃、血縁鑑定士がやってきた。
書庫から戻ってきたアシュリーを含め、四人で鑑定士を迎える。
年配の女性だった。白髪交じりの髪を後ろに束ね、道具箱を抱えている。
「エスカディオ様からお話は伺っております」
彼女の視線が双子に向いた。一瞬だけ、なにか感じ入ったような表情を見せる。
「……いやはや、これは…珍しい。…拝見しても?」
鑑定は短かった。
採血ひとつ。
魔力の採取ひとつ。
鑑定士は小さな水晶のような道具を使い、四人分の血と魔力を比較した。
それだけだった。
そして
鑑定士が顔を上げる。
「……間違いありません」
静かな声だった。
「この二人は、あなた方の血縁です」
談話室が、しんと静まり返った。
——分かっていた。頭では、もう分かっていた。
証拠は揃っていたし、細部の一致も多すぎた。
なのに、こうして改めて言葉にされると、アルターナの胸の中で何かが音を立てた。
血縁。
この双子が、リシュアとアシュリーが、本当に——
「……ありがとうございます」
先に口を開いたのはネオリムだった。
声が、少しだけいつもより低い。
「確認が取れました」
「ええ」
鑑定士は一礼し、静かに部屋を出ていく。
扉が閉まると、四人だけになった。
「……」
誰も、すぐには言葉を出さなかった。
「……証明されてしまいましたね」
リシュアが、少しだけ眩しそうな顔で言う
「本当に私たち、ここにいていいんだ」
「いていいとは言ってない」
ぴしゃりと、ネオリムが即座に言った
「でも本物だ」
「……うん」
アシュリーが静かに頷いた。
彼にしては珍しく、表情が穏やかだった。
「俺たちも、確認したかった」
「え?」
リシュアが兄を見る。
「事故で飛ばされてきたんだ。この時代の父さん母さんが本物かどうか、俺たちだって半信半疑だった」
「……そうか」
ネオリムが、小さく呟く。
その声には、珍しく何かが滲んでいた。
アルターナには、その感情に名前がうまくつけられなかった。
ただ。
——本物だ。本当に、私たちは、
家族
その事実が、今更のように、ゆっくりと胸に落ちてきた。
〜〜〜
夕方
双子が部屋へ戻り、また二人になった。
鑑定士は帰った。
書類は昼間よりすっきりした。
それでも、談話室の空気は昨日よりさらに、なにか重たいものを含んでいる気がした。
「……帰る前に確認だけど」
アルターナが口を開く。
「これで、双子を帰す方法を本格的に探す、ということでいいのね」
「そうなる」
「急ぎで動いたほうがいい?」
「できれば。長く留まれば留まるほど、面倒が増える」
「そうね」
アルターナは窓の外へ目を向けた。
庭園の薔薇が、夕陽に照らされている。
二日前にお茶会をやっていた場所だ。
なのに、今はずいぶん遠い話に思える。
「……ねえ」
「なに」
「今日、あの子たちに何か言ったの?」
「何を?」
「…血縁だって証明されたこと、について」
ネオリムは少しだけ黙った。
「特に何も」
「そう」
「言っても仕方ないだろう」
「……そうかしら」
アルターナは視線を窓から戻した。
「私も、特に何も言ってないわ」
「…ふうん」
「…でも、少しだけ」
「少しだけ?」
「……安心した」
言ってから、少し後悔した。
こんなことを口に出すつもりではなかった。
だが言ってしまったので、引っ込めるのも癪だった。
「本物だって分かって、安心したのよ。それだけ」
「……そう」
ネオリムの声は、いつもより少し静かだった。
「君が安心するとは思わなかった」
「失礼ね」
「事実を言っただけ」
「またそれ?」
「…まあ、安心できたならよかったんじゃない」
静かになる。
ネオリムが書類を揃え始めた。
アルターナは帰る支度をするため、立ち上がろうとして——ふと、昨日のことを思い出した。
言いかけた言葉。
飲み込んだ言葉。
視線が合って、すぐ逸らしたこと。
「……ねえ」
「なに」
「昨日、何か言いかけたわよね」
手が、一瞬だけ止まった。
紙を揃えるネオリムの手が。
「言いかけてない」
「嘘ね」
「言いかけてない」
「止まったじゃない、昨日」
「気のせいだ」
「気のせいじゃないわよ」
ネオリムはアルターナを見なかった。
書類を揃える作業を続けながら、ただまっすぐ机の上を見ている。
「……なんでもない話だ」
「なんでもない話は飲み込まないでしょ、普通」
「僕は飲み込む」
「嘘ね」
「嘘じゃない」
「嘘よ」
「嘘じゃない」
「あなたが言葉を飲み込む時は、たいていなんでもない話じゃないから」
沈黙
今度の沈黙は、少し長かった。
やがてネオリムが、静かに口を開く。
「……君は」
「うん」
「なんで、そんなことを知ってるんだ」
アルターナは少しだけ黙った。
「七年よ」
「……」
「七年、顔を合わせれば喧嘩してきたんだから、それくらい分かるわよ」
「……それは」
「それだけよ」
アルターナは立ち上がった。
「じゃあ、また明日来るわ」
「……勝手に」
「ええ、そうする」
扉へ向かいながら、アルターナはひとつだけ振り返った。
「昨日の続き、いつか言いなさいよ」
「……考える」
「考えてくれれば十分よ」
扉を閉める。
廊下の冷たい空気が、頬に当たった。
——胸の中が、妙にうるさい。
意識なんてしていない。
するつもりもない。
そう自分に言い聞かせながら、アルターナは馬車の待つ正門へと歩き出した。
靴音が廊下に響く。
早足すぎると気づいて、少しだけ歩幅を戻した。
〜〜〜
談話室に、ひとりになった。
ネオリムは揃えた書類を棚に戻し、それから窓の外を見た。
薔薇が夕陽に照らされている。
二日前、あの場所でお茶会をしていた。いつも通りの喧嘩をしていた。
なのに今は——ずいぶん違う話になってしまった。
(……七年)
アルターナが言った言葉が、頭のどこかに引っかかった。
七年、顔を合わせれば喧嘩してきた。
だから分かる、と。
——それは。
(……僕だって、同じだ)
七年、毎回喧嘩して、毎回言い合いをして。
それでもどこかで、彼女の言葉の一つ一つを覚えている。
表情を覚えている。
喧嘩をした時の、面白いことがあった時の、誕生日に贈り物をした時の
怒った顔も、珍しく笑った顔も、少し照れた顔も
——意識しているのか。
そう問われたら。
ネオリムには、正直よく分からなかった。
ただ。
昨日飲み込んだ言葉は、たしかにある。
それが何だったのかは——もう少し、自分でも考えてみてもいいかもしれない。
ほんの少しだけ。
窓の外の薔薇が、風に揺れた。
次の話は日曜日の朝9時に出します




