幕間 / 借りひとつ
ネオリム=エスカディオとアルターナ=メディールが婚約したのは十歳の頃だった。
決して本人たちの意思ではない。
幼馴染だった両親同士が勝手に決めた婚約である。
当然ながら、当人たちは納得していなかった。
特にアルターナは…
「どうして私があの女顔と婚約しなきゃいけないのよ!」
と、婚約が決まった翌日に叫び。
ネオリムはネオリムで…
「僕だって好きで婚約したわけじゃないんだけど」
と冷めた顔で返した。
そこから先は言うまでもない。
会えば喧嘩。
顔を合わせれば口論。
喧嘩喧嘩喧嘩。
口論口論口論。
周囲の大人たちは「仲が良いわねぇ」と微笑んでいたが、本人たちからすれば冗談ではなかった。
そして、婚約して二年が経った、十二歳の頃…
〜〜〜
「……分からない」
アルターナ(12歳)は机に突っ伏していた。
目の前には数学の問題集。
翌週には試験がある。
だが問題が分からない。
非常に腹立たしいことに。
本当に腹立たしいことに。
あの女顔なら、たぶん分かる。
そして今日は、両親が勝手に決めた婚約者同士の小さなお茶会がある。
「…………」
アルターナは五分悩んだ。
十分悩んだ。
二十分悩んだ。
そして
「お嬢様〜?ネオリム様がいらっしゃいましたよ〜?」
「くっ……!」
屈辱に顔を歪めながら立ち上がった
〜〜〜
「教えて」
「嫌だ」
即答だった。
アルターナの額に青筋が浮かぶ。
「まだ何も言ってないでしょう」
「君がそんな顔で来る時はだいたい面倒事だから」
「教えなさい」
「命令?」
「お願いよ」
「今、ものすごく嫌そうに言ったね」
「気のせいよ」
「そうかな」
ネオリム(12歳)は本から顔を上げた。
お茶会だというのに本を読むとは、なんとも失礼なやつである。
…まあ、お茶会中に勉強を教えてもらおうとしているこちらからは何も言えないが
問題集を見せた。
数秒後。
「ああ、ここか」
さらさらと紙に何かを書き始める。
「ここで引っかかってるんだろうけど、この式を先に変形するんだよ」
「……なんで?」
「この条件があるから」
「なるほど」
「あと、その解き方だと遠回り」
「え?」
「ほら」
「…………」
アルターナは黙った。
分かる。
ものすごく分かる。
悔しいくらい分かる。
「理解した?」
「したわ」
「じゃあ終わり」
ネオリムは再び本を開き、菓子をつまんだ
本当にそれだけだった。
見返りも要求しない。
恩着せがましくもない。
ただ教えて終わり。
その態度が、逆にアルターナを困らせた。
〜〜〜
翌日
アルターナは街の銀細工店にいた。
「贈り物ですか?」
職人が尋ねる。
「違うわ」
アルターナは即答した。
「借りを返すだけよ」
「はあ」
「勘違いしないで」
「はあ」
「絶対に勘違いしないで」
「分かりました」
職人は何も分かっていなさそうな顔だった。
〜〜〜
数日後
ネオリムは小さな箱を渡された。
「なにこれ」
「借りを返すだけよ」
「借り?」
「勉強」
「ああ」
箱を開ける。
中には銀と深い青の宝石が小さくあしらわれたネクタイピンが入っていた。
派手ではない。
だが細工は綺麗だった。
ネオリムはそれを見つめる。
そして。
「へえ」
嫌な笑みを浮かべた。
アルターナは嫌な予感がした。
「君ってこういう趣味なんだ」
「なによ」
「意外」
「なによ!」
「いや、もっと派手なの選びそうだから」
「悪かったわね!」
「別に悪いとは言ってない」
ネオリムはくるりと指で回した。
「素直に感謝の言葉を伝えればいいのに」
「は?」
「ありがとうの一言すら言えないの?」
「言えるわよ!」
「じゃあ言えば?」
「絶対に言わない!!」
「ほら」
「何がほらよ!!」
「やっぱり言えないじゃないか」
「~~~~っ!!」
アルターナの顔が真っ赤になる。
数秒後。
「返しなさい!!」
「嫌だよ」
「返しなさい!!」
「貰った物だし」
「返しなさいったら返しなさい!!」
結局その後、いつものように大喧嘩になった。
屋敷の使用人たちは
「ああ、今日も仲が良いですね」
と呑気な感想を述べていた。
当人たちは聞いたら怒っただろう。
〜〜〜
その日の、帰りの馬車の中
アルターナは一人で呟いていた
「もう知らない」
腹が立つ。
本当に腹が立つ。
せっかく贈ったのに。
少しくらい素直に受け取ればいいものを。
「ちょっとはいい奴だと思ったのに……!」
やっぱり分かり合えない。
そう結論づけて、アルターナは馬車の御者に「もっとはやくして!」と叫んだ
〜〜〜
そして七年後
エスカディオ公爵家。
ネオリムの私室。
本棚の隅には、小さな木箱が置かれている。
高価な魔道具でもなければ、重要書類でもない。
箱の中にあるのは、銀と深い青のネクタイピンが一つだけ。
傷はほとんどない。
曇りもない。
ほこりもかぶっていない。
ネオリムは、昨日やってきた双子の一人である、リシュアが一晩で書いたという魔道具の書類を、朝から頭を抱え、読んでいた。
視線を向けることもない。
箱を開くこともない。
ただ、その箱は、ずっとそこにあった。




