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31話 確かめなければ、眠れない


差出人の名前は、どこにも書かれていない。


この屋敷でこんな身の程知らずな手紙を寄越してくる人間など、一人しか思い浮かばなかった。



「……っ、ネオリム……!」



握りしめた手紙が、みるみるうちに皺だらけになっていく。


(な、なによこれ、なによこれなによこれ……!

    同居初日から、こんな……っ、こんな……っ)


しばらく机の前で行ったり来たりを繰り返した後、ベッドに倒れ込む。

アルターナは大きく息を吸って吐いた。


「……落ち着きなさい、アルターナ」


(そうよ。冷静に。冷静に対処するの。……こんな手紙一枚で動揺するなんて、私らしくないわ)


もう一度深呼吸。吸って、吐く。


(……動揺なんてしてないわ。ただ、あの男がこんな、

  こんな、いきなり……こういう、あの、その……)



——駄目だ。全然冷静になれていない。



このまま部屋で一人悶々としているよりはマシだと思い、アルターナは手紙を握りしめたまま部屋を出た。


(文句を言うのよ。ただ、それだけ。

 “こんな手紙いきなり寄越すんじゃないわよ”

        って、はっきり言ってやるの…!)



自分にそう言い聞かせながら、廊下を進んでいく。





〜〜〜





廊下の角を曲がったところで、ばったりと人にぶつかりかけた。



「……あ」


「うおっ……あ、母さん」



アシュリーだった。


小脇に何かの本を抱え、夕食までの時間を潰していたのか、談話室の方向から歩いてきたところらしい。


アシュリーが、じっと自分を見ている。

アルターナは睨み返した。



「……?なんですか、その顔」


「な、なによ、その顔って」


「いや、なんか、赤いなって」


「……っ、赤くないわよ!」



アルターナは真っ赤な顔でアシュリーに詰め寄った

…が


(……やっぱり、改めて見ると似てるわね、顔)


アシュリーの顔を見つめる。

髪色はアルターナを、顔はネオリムを受け継いでいる彼の顔を。


(……この子は。この子は、未来から来た、私と、ネオリムの……)


——子供。


そこまで思考が巡った瞬間、握っていた手紙がぐしゃっと音を立てた。


(……つまり。つまりこの子がいるってことは。未来で、私とネオリムは、その……)


考えるな、と思っても、止まらなかった。


目の前のアシュリーの顔立ちがやたらとネオリムに似ていることが、今この瞬間、とんでもなく生々しく感じてしまう。


(……いや待って、そもそも、未来で私たちは、ちゃんと、その……そういうことも………)


「母さん?」


「……そ、その呼び方はやめなさいっていつも…!!」


「顔、真っ赤ですよ」


「な、なんでもないわ!!あなたには関係ないでしょう!!」


「いや、そんな怒鳴らなくても」


「うるさいうるさいうるさい!!ちょっと、あの、用事を思い出したから、私、部屋に戻るわ!!」


「……はい?いや、行こうとしてた方向、母さんの部屋と真逆…」


「うるさい!!分かってるわよ!!!」


アルターナは、耳を塞ぐようにしながら、来た道を全力で引き返していった。


残されたアシュリーは、しばらく呆然とその後ろ姿を見送っていたが、やがて小さく首を傾げた


「……なんだったんだ、今の」





〜〜〜




数時間後、アルターナはげっそりとした顔で食堂の席に座っていた。


(……結局部屋で悩んでばかりで、ネオリムに文句の一つも言えなかったわ…)


食堂に集まったのは、公爵夫妻、ネオリム、アルターナ、そして双子。


普段の厳格さはどこへやら、エルヴィンが酒を片手ににこやかにアルターナに声をかける。


「アルターナ嬢。この屋敷に住むにあたって、なにか不自由があれば、すぐに我々か使用人を頼りなさい。君は今日から家族のようなものだ。…まあ、将来的には本当に家族になるのだがな」


「…お心遣い感謝致します」


アルターナはひくひくと頰を引き攣らせながらも、なんとか笑顔を保つ。


そして追い打ちをかけるかのようにエルヴィンと共に酒を煽り始めたオリヴィアもアルターナに声をかけた。


「アルターナさん、来週、庭園でお茶会を開こうと思っているの。あなたのご両親もお呼びして」


アルターナの笑顔が固まった。

隣のネオリムも一瞬固まった。


「……私の両親を、ですか?」


「ええ。せっかく同居も始まったのだし、両家でゆっくり顔を合わせる機会があってもいいでしょう」


エルヴィンが大袈裟なほど大きく頷いた


「そうしよう。私も久々にガロードと話をしたい。積もる話が山ほどあるからな」


「…そ、そうなんですね」


アルターナは助けを求めるようにチラリとネオリムを見たが、ネオリムは黙々とステーキを切っている。


その態度はまるで、“僕は会話に入りません”とでも宣言しているかのようであった。実に腹立たしい事この上ない。


「それにねアルターナさん。あなたのお母様から、リシュアさんだけでなく、アシュリーさんともお会いしてみたいとお手紙を貰っているの。」


「え、俺ですか?」


唐突に巻き込まれたアシュリーは露骨に嫌そうな顔をした。


「ええ。せっかくだから、未来の家族全員で団欒…というのも、なんだか特別な体験で楽しそうでしょう?」


「……………いや、それ絶対面倒なことに…」


「ええっ!?すっごく楽しそうです!」


リシュアがキラキラした瞳でオリヴィアの提案に乗り始めた。


「まあ!リシュアさんは乗り気なのね、嬉しいわ」


「…リシュア、一旦黙ってくれ」


「なんで?お兄ちゃんだっておじい様たちに会いたいでしょ?」


「…会いたくないとは言ってない」


「なら!」


「それとこれとは話が違う」



リシュアとアシュリーが軽い口論を始めた。すると、公爵夫妻の目線が同時に息子であるネオリムへと向いた。

“そろそろ婚約者に話しかけたらどうだ”という無言の圧である。


双子はそんな空気はいざ知らず、口論に飽きたのか、お互いに好きなおかずの交換をし始めた。



「……アルターナ嬢」


エルヴィンが再び声をかける。戦略を変えたようだ。


「…なんでしょうか」


「今日は随分と大人しいなと思ってな。引っ越し初日で、緊張しているのか?」


「そ、そういうわけでは……」


しどろもどろに答えるアルターナを見て、隣のネオリムがちらりと視線を寄越す。


「……」


「……っ」


目が合った瞬間、アルターナは弾かれたように顔を逸らした。


手紙のことを思い出したら最後、まともにこの男の顔を見られなかった。


一方のネオリムも、いつになく静かにスープを口へ運んでいる。


こちらも、アルターナと目を合わせようとしない。



(……ネオリムってば、なんだって顔を背けるのよ。

 …ま、まあ、あんな手紙を書いたわけだし…こいつも 意識してるとか……

 いや、無い、無いわ、こんな鈍感男が)



そう自分に言い聞かせつつも、ちらちらとネオリムの様子を窺ってしまう自分に、アルターナは苛立った。


その様子にやっと気づいたリシュアがそっとアシュリーに耳打ちした。


「……ねえ、お兄ちゃん」


「なんだ」


「二人とも、なんか変じゃない?」


アシュリーはじっと二人を見てみた。

母はあからさまに顔を背け、父は先ほどから手は動かしているが口には運べていない。


うーんと考えて、アシュリーは口を開いた


「…ま、いつもの喧嘩だろ。それかまた父さんがやらかしたか」


「だよね、今度はなにで揉めたのかな」


「知らん」


そう言いながら、アシュリーはふと、先ほど廊下で見た母の顔を思い出した。


真っ赤な顔で、意味の分からないことを口走って走り去っていった、あの様子。


(……まあ、関係あるのかないのか知らんが)


深く考えるだけ無駄だと判断し、アシュリーは黙々とリシュアと交換した肉料理を口に運んだ。


結局、夕食の間、アルターナとネオリムは、一度も目を合わせることも、会話をすることも無かった。





〜〜〜





食後、それぞれの部屋に戻ってからも、アルターナは寝台の上で何度も寝返りを打っていた。


(……このままじゃ、駄目よ)


夕食での気まずさを思い出すたび、胸の奥がざわつく。


(明日も、明後日も、こんな調子で顔を合わせるつもり?……冗談じゃないわ)


手紙は、まだ握りしめたままだった。


皺だらけになった紙を、もう一度開いて見つめる。



『あと、できれば夜は一緒に寝たりもしたいです』



——結局、この一文の真意を確かめない限り、まともに顔も見られないままだ。



アルターナは、勢いよく寝台から起き上がった。



「……今度こそ、言ってやるんだから」



寝衣のまま、手紙を握りしめ、夜の廊下へと踏み出した。

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