30話 もう手紙はうんざり
公爵家の門前で停まった数台の馬車から降りてきたのは、山のような荷物、それを引き連れた侍女フローラと、優雅に降り立つアルターナだった。
アルターナは荷物を運び出している使用人達を見つめながらフローラの肩をちょん、とつついた
「……多くない?」
「当然でございます。お嬢様がこれから“住む”のですから」
「分かってるわよ、それくらい」
すると荷物を運んでいた使用人が盛大にすっ転び、荷物の山に埋もれた。
ドレス、装飾品、日用品、そして、愛用の紅茶セット一式。
一部はアルターナ自身が選んだ物だが、それ以外は心配性な両親から贈られた品である。
「…これ、本当に全部運ぶの?」
「勿論です。それが私たちの仕事でございますので」
「………」
「ご心配ありがとうございます」
「してないわよ」
屋敷の前で出迎えていた使用人たちも荷物を受け取り、次々と屋敷の中へ運んでいく。
そして、屋敷へと向かう使用人たちを避けつつ、アルターナを歓迎する二人が現れた。
「アルターナ嬢、ようこそ」
現れたのは、公爵エルヴィンと、その妻オリヴィアだった。
まさか当主夫妻が出迎えに出てくるとは思っておらず、アルターナは一瞬だけ僅かに目を見開いた。
…が、すぐさま頬を緩めて可愛らしく微笑む。
「……公爵様、公爵夫人、わざわざのお出迎え、恐れ入ります」
すっとドレスの裾をつまみ、綺麗な角度で頭を垂れる。
淑女教育の賜物とでも言うべきか、その挨拶は、普段のネオリムとの掛け合いからは想像もつかないほどの完璧な所作であった。
「本日より、しばらくの間お世話になります。至らぬ点も多々あるかと存じますが、何卒よろしくお願いいたします」
声音までいつもより一段高く、表情や仕草まで繊細で、可憐な少女のような立ち振る舞い。
その立ち振る舞いには、公爵夫人であるオリヴィアが見入るほどである。
…ちなみに、昔。
ネオリムの前でこの立ち振る舞いをした時
“………………フッ…”
と鼻で笑われたという何事にも耐え難い屈辱を受けたことがあり、アルターナは彼奴の前では二度とこの“可愛らしく見える演技”をしないと誓っている。
「ふふ、そう畏まらなくていいのよ。あなたは私の未来の娘なのだから」
「……お心遣い、感謝いたします」
オリヴィアが柔らかく笑いかけると、アルターナはまた綺麗な礼と可憐な微笑みを返す。
その様子を横で見ていたエルヴィンが、感心したように小さく頷いた。
「…全く、ガロードが溺愛する気持ちも分かるな」
「あなた」
「いや、失礼。アルターナ嬢が、いかに優れた淑女であるか、という話だ。……ネオリムに対しての態度とは、また別のようだが」
その一言に、アルターナの表情が一瞬だけ固まった。
「……それは、その」
「いや、責めているわけではない。息子がどれだけ君に手を焼かせているかは、こちらも重々承知している」
「……恐れ入ります」
「……今、息子が君を迎えに来ていないことも含めて」
「…………………………」
微笑みながら黙るアルターナに、オリヴィアがそっと寄り添うように口を挟んだ。
「堅苦しい挨拶は、この辺りにしておきましょう。ここはもう、あなたの家でもあるのですから」
「……はい」
その一言に、アルターナは少しだけ演技が抜けた
「では、ゆっくりしていってちょうだいね。
…あの子達は、談話室でずっと待っていますよ」
「……お心遣い、感謝いたします」
そう言って、アルターナは軽く一礼し、屋敷の中へと足を踏み入れた。
その後ろ姿を見送りながら、エルヴィンとオリヴィアは顔を見合わせた。
「……礼儀正しいものだな」
「ええ。でも」
オリヴィアは、少し悪戯っぽく笑った
「あの子がああして畏まっていられるのも、きっと最初だけでしょうね」
「……というと?」
「ネオリムがいる場所で、あの子が完璧な淑女の振る舞いをする瞬間は、見たことが無いんですもの」
〜〜〜
アルターナが玄関ホールに一歩足を踏み入れた、その瞬間
「——ママ!」
声と共に、廊下の奥から勢いよく駆けてきたのはリシュアだった。
朝からずっと待ちわびていた反動か、その足取りには遠慮というものがまるでない。
荷物を運んでいる使用人達は、リシュアの“ママ”発言に首を傾げる。
双子が未来の子だと知っているのは一部の信頼できる使用人のみ。つまり、荷物運びをしている使用人のほとんどは、事実を知らない。
アルターナはリシュアを睨んだ。
リシュアは慌てて「…マ、マンマミーア!!の、略です!!」と大声で訂正した。
幸い、使用人たちはその意味不明な発言により、リシュアに変人の刻印を脳内で押したため、特に気にする者は現れなかった…はず。
「お待ちしてました……!えっと、その、ずっとそわそ わしちゃって……部屋で、待ちきれなくって…
…ごめんなさい」
「次からは気をつけなさい。
…あなたたちの出自を隠すことは、あなたたちを守 るためでもあるんだから」
「はい…」
「ていうか、なに?マンマ…なんとかって」
「外国の言葉です……」
しおしおと反省しながらも、なぜか少し嬉しそうなリシュアを横目に、アルターナは歩き出す。
慌ててリシュアが雛鳥のように着いてくる
「アルターナ様、お兄ちゃんは談話室で待ってますよ」
「知ってるわ」
談話室に着き、扉を開く。
中ではアシュリーが窓辺で立っており、扉の側にはロガートが控えていた。
ロガートは静かに「アルターナ様。ようこそおいでなさいました」と礼をする。
アルターナはロガートに「ええ。ありがとう」と微笑んだ後、アシュリーに目を向ける
「……母さん」
「その呼び方は許可してないわよ」
「…アルターナ様」
「あなたも待っていたの?」
「いや、俺は別に…」
ぷいと視線を逸らしながら言うアシュリーに、リシュアがすかさず横槍を入れる。
「お兄ちゃんも、朝からずっと落ち着かなかったくせに」
「うるさい」
「本のページ、ずっと同じところ開いてたし」
「……お前、それさっきも言ったな」
「二回言いたくなるくらい面白かったから」
睨み合う兄妹を見ながら、アルターナはくすりと笑った。
(……相変わらず、この二人は)
なぜだか少しだけ嬉しかったが、双子の顔を見ると否応なく思い出してしまうのは……
「——で、ネオリムは?」
「執務室でございます。本日はどうしても片付けねばならぬ書類があるとのことで」
後ろで控えていたロガートが、すかさず答える。
「婚約者の迎えにも来ずに書類仕事?本当に無礼な奴ね」
呆れたようなため息をひとつ。だが、その声に苛立ちはなかった。とっくにこの対応には慣れてしまっている。
あいつの考えていることは本当によく分からない。
今日みたいに肝心な時に顔を合わせに来ない時もあれば、真正面から気まずくなるような発言をぶつけてくる時もあるし…
それを理解しているアルターナは、とっくに諦めの境地にいる。いちいち苛々しても無駄なのである。
「まあいいわ。どうでもいいし」
そう言って、アルターナは軽く肩をすくめた。
その様子に、リシュアとアシュリーは小声で「苛々してる」と言い合った
〜〜〜
談話室のソファにアルターナが座り、その隣にちゃっかりアシュリーが座った。
リシュアもアルターナの隣に座ろうとしたが、机の上に広げっぱなしだった設計図を慌てて片付け始めた。
「あ、ごめんなさい、散らかってて……」
「別に、気にしないわ。……相変わらず根を詰めてるのね」
「えへへ……」
気恥ずかしそうに笑うリシュアを見ながら、アルターナはふと、窓の外に視線をやった。
庭園の噴水が、太陽の光を受けて静かに輝いている。
——ここに、これから自分が住むのだ。
改めてそう思うと、なんだかむず痒いような気持ちになった。
「……アルターナ様?」
「……なんでもないわ。少し、部屋を見てくるだけ。
ロガート、部屋まで案内してくれる?」
「勿論でございます」
アルターナは静かに立ち上がり、ロガートを連れて部屋から出て行った。
「…もうちょっと話したかったのに」
「もういつでも話せるだろ」
「お兄ちゃんだってママに話しかけようとしてたくせに」
「うるさい」
〜〜〜
「こちらがアルターナ様のお部屋でございます。ドレスや大量の贈り物等は、ドレスルームや隣室に移動しておりますので、運搬を終えた際にはご報告いたします。なにかご用の際は、呼び鈴を鳴らしてください」
「ええ、案内ご苦労様」
ロガートが部屋から退出すると、アルターナは軽く伸びをし、隅々まで綺麗になっている部屋を見渡した。
「……随分と、行き届いてるじゃない」
ベッドに腰掛けていると、部屋に届けるようにと指示していた荷物が届いた。
荷物の中から取り出した小物を、ひとつひとつ机や棚に並べていく。
〜〜〜
慣れない部屋を、少しずつ自分のものにしていく作業は、思っていたより時間がかかった。
疲れたアルターナは、ベッドに腰掛けた。
かなり質の良いベッドのようだ。ふかふかの布団に、さらさらのシーツ。今夜はよく眠れそうだ。
少し良い気分になったアルターナが、ふと、ベッドサイドの机に目をやると…
——小さく念入りに折りたたまれた紙が、一枚。
「……なにこれ」
手に取り、開いてみる。
そこには、丁寧で、どこか少し急いだような字で、こう書かれていた。
『ようこそ、エスカディオ家へ。
何か足りないものがあったら言ってください
あと、できれば夜は一緒に寝たりもしたいです』
「……は」
紙を持つ手が、じわじわと震え始める。
「……は、はぁ……?」
差出人の名前は、どこにも書かれていなかった。
だが。
この屋敷で、こんな身の程知らずな手紙を寄越してくる人間など、一人しか思い浮かばない。
アルターナの顔が、耳の先から首筋まで、みるみる赤く染まっていった。
今夜はぐっすり眠れると、思っていたのに
少し遅れました。ごめんなさい。




