29話 そういうところですよ、坊ちゃま
アルターナの同居が決まってから、二週間が経った。
その二週間の間には、アルターナの引っ越しの準備やら、事情をよく知らない使用人達の浮ついた噂話やら、娘と離れるのが唐突に寂しくなった父ガロードの涙が詰まっている。
そして、エスカディオ公爵家
「……あと、何時間?」
「…まだ三時間近くある」
「そっかぁ……」
談話室の窓辺で、リシュアは先ほどから何度も同じ問答を繰り返していた。
今日は、アルターナが正式に“住む”ために、荷物を持ってやってくる日である。
リシュアはそわそわと落ち着かない様子で、机の上のペンをくるくる回しては置き、また回しては置き……を繰り返している。魔道具の設計図は手つかずのまま、机の端に追いやられていた。
「……朝からずっとそれだな」
「だって!ママが……ちゃんと“住む”んだよ!?楽しみに決まってるじゃん!」
「はいはい」
アシュリーが素っ気なく返しながら、談話室の窓際に置かれた椅子にどかりと腰を下ろした。
その手には焼き菓子の入った小皿と、最近ハマっている恋愛小説がある(ちなみに、この小説はネオリムの部屋からくすねた品である)
「……お兄ちゃんも、そわそわしてるくせに」
「してない」
「してるよ。さっきから同じページ、指でとんとん叩いてる」
アシュリーは、開いていた本のページを慌てて指で押さえるのをやめた。
「……別に、母さんが来るからって、特に何も」
「素直じゃないなあ」
「うるさい」
否定はするものの、視線は何度も窓の外へ、馬車が通るはずの道の方へ向いていた。
〜〜〜
一方、その頃の執務室。
「……ロガート」
「はい」
「アルターナは、まだか」
「先ほど確認した限りでは、まだお発ちになっていないかと」
「……そうか」
「……坊ちゃま」
「なんだ」
「先ほどから、その書類、一文字も進んでおりませんが」
「……気のせいだ」
「左様でございますか」
ロガートはそれ以上は追及せず、静かに一礼して部屋を出ていった。
一人残されたネオリムは、小さく息を吐く。
(……別に、緊張する理由などない)
そう自分に言い聞かせながら、机の下では足が小刻みに動き、目線は書類と時計を行き来していた。
そして
その様子を覗き見る者たちがいた。
「……あれは、重症だな」
「そうですね」
公爵エルヴィンと、その妻オリヴィアは、執務室の扉の隙間からこっそりと中の様子を窺っていた。
いい歳をした公爵夫妻が、揃って扉に張り付いている姿は、傍から見ればなかなかに滑稽な光景である。
「昨日から、ずっとあの調子ですか?」
「ああ。昨夜など、寝室に戻ってからも“寝室の設備は問題ないか”とか“客間の家具の配置は今のままでいいか”などと、一人で延々と話していた」
「まあ」
「本人に自覚があるかどうかは怪しいが」
エルヴィンは、腕を組みながら小さく笑った。
「…まさか、あのネオリムがアルターナ嬢をここに住まわせたいと申し出てくるとは思わなかったな」
「ええ、そうですね」
「ガロードも驚いていたぞ。“まさかプロポーズより先に同居とは”と言って落胆していた」
「…無理もありません。いつ頃結婚するかもはっきり決めずに同居は、少々珍しいですから。」
「誰よりもアルターナ嬢の花嫁姿を見たがっているからな、あの男は」
オリヴィアはため息を吐き、エルヴィンもつられてため息を吐く。
「…全く、誰に似たんだか……」
「ふふ」
オリヴィアは、扉の隙間からもう一度、中の様子を覗く。
ネオリムは、相変わらず同じ書類を睨んだまま、時計を気にしていた。
「見ているだけでは埒が明かなそうですし、私たちは私たちで、あの子たちが困らないよう準備を進めておきましょう」
「そうだな」
二人は顔を見合わせ、静かに頷き合うと、それぞれの仕事へ戻っていった。
去り際、オリヴィアだけがもう一度だけ振り返り、
扉の向こうの息子を見た。
〜〜〜
オリヴィアたちが密かに去っていった後も、ネオリムはひたすらに書類を処理し、時計をチラチラと確認しながら机の上の書類を片付けていたのだが…
“こん、こん、こん”
「坊ちゃま、入室しても?」
丁寧なノックが部屋に響いた。
ネオリムは姿勢を正して「入れ」と指示する。
扉が開き
「坊ちゃま、アルターナ様がご到着なさいました」
…と言う使用人の声が響いた瞬間。
ネオリムは、椅子から勢いよく立ち上がった。
“ガタッ………”
「……っ、そうか。分かっ…
“バタンッッッ!!”
ネオリムが立ち上がった瞬間、大きな音を立てて椅子が倒れた。
「坊ちゃま!?お怪我はっ!!?」
音に驚いた使用人が慌てて近づいてきたが…
ネオリムは、椅子を直した後
また座った。
使用人は唖然としていた。
(……坊ちゃま、今朝私に“アルターナが来たら報告してくれ。アルターナを迎えに行く”って言ってましたよね?)
しばらく使用人は固まっていたが、すぐさま気を取り直して聞いた。
「……えっと、坊ちゃま…?アルターナ様を、お迎えに向かわないのですか…?」
一秒、
二秒、
三秒。
「すまない、まだ処理していない書類があると、アルターナに伝えてきてくれ」
三秒かけて絞り出した言葉がこれである。
そう言い残し、せっかく座ったのにも関わらず、すぐにまた立ち上がり、ネオリムは足早に執務室の奥、書類が積まれた棚の方へと向かっていく。
彼は無言のまま、とっくに片付けたはずの書類の束を、わざわざもう一度机の上に広げ始め…
明日処理する予定だった書類に手を付け始めた。
次の話は火曜日に投稿します。




