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32話 明日からどんな顔して会えばいいの


夜。


廊下の灯りは落とされ、静かな足音だけが響く。


その足音の主は——手紙を握りしめて歩く、寝衣姿のアルターナである


(……な、なんで、来ちゃったのかしら、私)


今更ネオリムの部屋に向かっていることを後悔しているが、もう遅い。ここまで来たら行くしか無い。


手には、あの手紙。


夕食前、散々「文句を言いに行く」と息巻いていたはずなのに、結局あの時は何も言えずに逃げ帰ってしまった。今度こそ、文句を言わなければ。


(……で、でも。あの手紙には「夜は一緒に寝たりもしたい」って、書いてあったし……)


(……む、無視するのも、失礼じゃないかしら……いえ、違う。私は、ちゃんと問い詰めに来ただけよ。……そう、それだけ)


自分に何度も言い聞かせながら、アルターナは西棟から、ネオリムの部屋がある方角へと歩いていた。


心臓が、うるさいくらいに鳴っている。



——コンコン。



小さくノックすると、少しの間を置いて、扉が開いた。


「……アルターナ?」


寝衣姿のネオリムが、怪訝そうな顔で立っていた。


「……こんな時間に、どうした」


「……っ、」


声が、出なかった。


あれだけ「文句言わなきゃ」と息巻いていたのに、いざこうして本人を前にすると、頭の中が真っ白になる。



ちなみに記念すべき同棲初めての会話である。



(……い、言わなきゃ。「この手紙、何よ」って)



なのに、口を開いても、言葉が出てこない。

こんな話題を、この男との間で出したことも無かったし、触れることも無かったから。



「用意した部屋に不備でもあったか?」


「……」


「両親が恋しいのか」


「……」


「…迎えに行かなかったことを、怒っているのか」


「……」


「黙らないでくれ、その……困る」



アルターナの脳内では、聞きたいことがありすぎて混乱中であった。



(喉がカラカラで声が出ない!!どうして!?こいつも困ってるし、なにか言わなきゃなのに…っ…

…そういえば、この男の部屋に来て何を言おうとしてたんだっけ、私)


(…あ!そうよ、思い出したわ。文句を言いたいのよ、文句を言って…いつも通りの関係に戻さなきゃ、だって、今日からこの屋敷で毎日顔を合わせるのよ!?同居一日目でこの状況っておかしいわよ!!)


(…それにしても、どうしてあんな手紙を書いたの?なんで急にそっち方面に走ったの?今まで女に興味なさげな感じ出してたじゃない。同居の提案もやけに唐突だと思ってたけど、それ目的だったの?)



黙り込んでもじもじしているアルターナを、ネオリムは、しばらく迷うよう見つめていたが


やがて、なにかを決意したかのように小さく息を吐いた。



「……入れ」



扉を大きく開ける。


アルターナは、真っ赤になりながら後退りしたが——


ネオリムに手を引かれ、部屋の中に足を踏み入れた。


扉が、静かに閉まる音がした。





〜〜〜





(……できる。大丈夫だ、習ったから)


夜に。女が、男の部屋を訪ねてくる意味くらいは知っていた。


貴族社会で生きてきた以上、それを知らないほどネオリムは世間知らずでもない。


だからこそ、聞かなかった。


「何をしに来た」などと、これ以上尋ねる必要はないと思った。



ネオリムは先ほど、アルターナを見つめて状況を判断していた。



婚約者のアルターナは、眠りにつくような時間帯に、婚約者であるネオリムの部屋に尋ねてきた。

なぜ来たのかと理由を聞いても黙り、顔を真っ赤にして、声も出せないほど緊張し、もじもじしていた。



ネオリムは判断を下したのだ。



このような状況下だと、尋ねる方が野暮。

相手が黙るなら、リードしなければならない。…と





自分自身も混乱して、正常な判断ができていないと気づかないまま。





月明かりと、溶けかけた蝋燭の光だけが照らす部屋の中で、二人の距離は少しずつ縮まっていった。



「……アルターナ」


「……」



低く名を呼ばれ、アルターナの肩が、小さく跳ねる。

いつもの、皮肉げな声とは違う。



「緊張しているのか」


「し、してないわよ」



嘘だった。


握られている手が、震えている。

挙句に、手紙を握っている手はどのタイミングで手紙を離せばいいのかを、無意識のうちに図っている。



(……い、いいの。これで。多分、いいの、)



気づけば、背中にシーツの感触があった。


見上げると、ネオリムの顔がすぐ近くにある。

いつもの憎たらしい女顔…なのに、どうして、こんな


月明かりに照らされた長い指が、手のひらが、アルターナの頬をかすめる。



「……」


「……」



どちらも、何も言わなかった。


言葉より先に、距離が縮まっていく。


しばらく頬に触れていた手が、次はアルターナの寝衣の紐に触れる。


そして、迷っているかのように動く手は、再び頰へ。


アルターナの息が無意識に止まった。



「アルターナ」


「…なに」


「服か、接っ……接触か、どちらが先の方がいい」


「…接触って、なに」


「…接触は、接触だ」


「…私が選ぶの?」


「……当然だ」



こういうのって、選択制なのね。知らなかった。

私が選ばないといけないの?そんなの恥ずかしすぎる。


数秒間の沈黙が落ちた。考えても、どちらを選べばいいのか分からなかった。もはや沈黙すら恥ずかしい。


アルターナは涙目になりながら、恐る恐るネオリムを見上げた



「ネオリムの…したいやつ…で…」


「……」


「……」


「…目を、閉じて欲しい」


「わ、わか…った……」



アルターナは目を閉じた


(……ほ、本当に。本当に、これで……?)


心臓が、痛いくらいに鳴っている。


頭の芯が、痺れたように熱い。


——だが。



目を閉じて、握りしめたままだった手の中の紙の感触をやっと思い出した。



そうだ、まず、文句を言いたい。

こんな恥ずかしい手紙をあんなところに置いて、使用人に見られたらどうするつもりだったのかと。


……いや、違う、こんな手紙をいきなり送りつけるなんて、失礼だと文句を言いにきた。そうだ、そのために部屋に来た。



「……その、ネオリム」


「……なんだ」


「…一旦、目を開けてもいい?」


「………目を閉じずにするタイプなのか」


「馬鹿なこと言わないで…」



アルターナは目を開いた

目の前にはぎゅっと目を瞑っているネオリムの顔面。

その距離の近さにまた心臓が跳ねたが、アルターナはなんとか言葉を続けた。



「あの、手紙のこと、なんだけど」


「……手紙?」



ネオリムの目がぱちっと開いた。

距離の近さにネオリムは反射的に顔の位置を離した。その慌てた顔はなんだか間抜けで、面白くて、アルターナの緊張が少し解けた。



「……な、なんの話だ」


「……だから、あの、“夜は一緒に寝たりもしたい”って書いてあった、あれよ」



アルターナは、握りしめたままで、少し湿っている手紙を、そっと差し出した。


ネオリムは身を起こし、しばらくその文面を見つめていた。


——そして、明らかに、困惑した顔をした。



「……知らない」


「……は?」


「これは、僕の字じゃない」


「……え?」



アルターナは、ぱちくりと瞬きをした。


「ちょっと、見せて」



手紙をネオリムから受け取り、改めて読む。



「…あなたの字だと思うんだけど」


「確かに字の書き方は似ている。だが僕はこんなことを手紙には書かない」


「…確かに、よく見るとちょっと丸い感じ…」


「書くなら封筒に入れて封をしておくべきだ。差出人も書いていない。僕がそんなミスをすると思うか?」


「…」


「それに、この手紙の構成だと、気遣うような文を気持ち程度に前に添えているが、最後の一文で一緒に寝たいという欲望が丸出しだ。こんなにもあからさまな文は書かない」


「うるさい。急に饒舌にならないで」


「誤解されたままなのは心外だ」


「分かったから」



先ほどまでの熱が、急速に冷めていく



「……じゃあ、誰が」


「分からない」



部屋の中に、気まずい沈黙が落ちる。

さっきまでの空気は跡形もなく消え去った。


アルターナは身を起こしながら、手紙をもう一度見つめる。



「……差出人、書いてなかったのよ。だから、てっきり、あんたが……」


「僕はそんな手紙を書いていない」


「……じゃあ、誰よ!」


「僕が知りたい」



二人は、しばらく無言で見つめ合った。


——そして、ほぼ同時に、同じ可能性に思い至った。



「「……まさか」」


「……リシュア?」


「……リシュアか」


同じ名前を、同時に口にした。


「……あの子……」


アルターナは額に手を当てたが…

さっきまで自分がどんな体勢でいたのか、それを思い出すと、羞恥心で全身が焼けるようだった。


「……」


「……」


どちらからともなく、視線を逸らす。


ネオリムも珍しく、顔が真っ赤になっていた。


「……その」


「……なによ」


「……誤解が、あったようだな」


「……そうみたいね」



気まずい空気が、部屋いっぱいに満ちていた。


アルターナはベッドの端に座り直し、乱れた寝衣の襟元を、そっと直した。


ネオリムも、少し距離を取るようにベッドから降りて椅子に腰掛ける。



「……」


「……」



二人とも、しばらく口を開けなかった。


やがて、アルターナが、ぽつりと呟いた。



「……あの子、後で叱っておくわ」


「……ああ」


「……あんたも、叱っておいて」


「……分かった」



それだけ言うと、アルターナは立ち上がり、乱れた髪を軽く手で直した。



「……帰るわ」


「……ああ」



扉に向かいながら、ふと振り返る。



「……その」


「……なんだ」


「……このことは、忘れなさいよ」


「……わかった」


「……変なことしてごめんなさい」


「……」



アルターナは逃げるように部屋を出ていった。


残されたネオリムは、しばらく閉じた扉を見つめていた。





〜〜〜





——このちょっとした騒動が起きる少し前。



アルターナの部屋の扉が、こんこん、と控えめにノックされていた。


枕を両手で抱えた、この騒動の真犯人。

寝衣姿のリシュアである。


「……アルターナ様?入ってもいいですか……?」


返事がない。


「……あれ?」


もう一度、ノック。


「アルターナ様…?」


やはり、返事はなかった。


リシュアは、こてんと首を傾げた。


「……もう寝ちゃったのかな」


そう呟きながら、そっと扉を開けてみる。


部屋の中は、もぬけの殻だった。


「……あれ?いない……」


枕を抱えたまま、リシュアはきょろきょろと辺りを見回す。


「……ど、どこ行ったんだろ……迷子かな…?」


すると、廊下の先から巡回している使用人の足音が聞こえた


(わ、見つかっちゃう…っ…)


枕を抱え直し、パタパタと自分の部屋へと戻っていく。


——結局その夜、リシュアが「一緒に寝る」という目的を果たすことは、なかった。


お待たせしてしまい申し訳ございません( ;∀;)


読みに来てくださった方、感想をくださった方、本当にありがとうございます。励みになっています。


最終話までの構想はある程度練ってありますので、このお話を未完のまま終わらせる気はありません。

更新ペースは不定期になってしまうかもしれませんが、また書けたら更新します。よろしくお願いします!

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